作家に専念
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その後、福島は1975年(昭和50年)、「阿武隈の霜」で第8回九州文学賞を受賞した。1976年(昭和51年)の冬に、三島の母・倭文重が入院している虎の門病院に見舞いに行った。その頃には、福島の母親はすでに肝臓病で死去していた。 1987年(昭和62年)、57歳で35年間の教職から退いた後は文筆活動に専念した。退職金も使い果たし、年金だけでは小旅行もできずに困っていた福島は、1993年(平成5年)3月、三島から貰った手紙13通と葉書3枚を東京の神田神保町の古本屋に売り、多数の札束を受け取った。予め2、3通と全部のコピーを郵送し思わぬ高額の前金を振り込まれていた福島は、出発前から新宿で数日遊んだ後の帰途の京都旅行の予定を立てていた。 1996年(平成8年)、高校教師と生徒との同性愛関係を描いた「バスタオル」(『詩と眞實』2月号掲載)が第115回芥川賞候補となった。また1999年(平成11年)には、同性愛者の兄弟の絆を描いた「蝶のかたみ」(『文學界』1998年11月号に掲載)が第120回芥川賞候補となった。 三島の死から28年経ち、三島の両親や瑤子夫人、三島の弟・千之、荒木精之らも全員亡くなった後の1998年(平成10年)3月20日、福島は三島との愛憎関係を綴った実名小説『三島由紀夫――剣と寒紅』(第1章・第2章は『文學界』4月号初出で、第3章・第4章は書き下ろし)を文藝春秋から出版した。この実名小説は、三島の同性愛界隈の一端が垣間見られるものとして重宝された一方で、作品自体は文章力も低く、宣伝のわりには同性愛の内容が薄っぺらいため、別れた芸能人に対する暴露本まがいの売名行為との批判も浴びた。 1998年(平成10年)3月24日、『三島由紀夫――剣と寒紅』で三島の書簡を無断で掲載したことが著作権侵害に当たるとして、三島の遺族である長女・冨田紀子と長男・平岡威一郎から、同書の出版差し止めを求める訴訟を起こされた。福島は版元の文藝春秋と共に最高裁まで争ったが、2000年(平成12年)5月23日に敗訴が確定した。 晩年は健康を害して入退院を繰り返したが、その間も2005年(平成17年)に、「花ものがたり」、「淫月」などを発表した。また、県民文芸賞の選考委員も務めるなど精力的な活動を続けた。2003年(平成15年)から2005年(平成17年)まで、自伝的小説「いつまで草」を、同年4月からは随筆「花のかおり」を、熊本日日新聞紙上に連載していた。 2006年(平成18年)2月22日午前4時40分、膵癌のため熊本市の病院で死去した。享年76。2月24日に葬儀が営まれた。
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