作家との交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 23:31 UTC 版)
また、森鷗外や夏目漱石らの作家とも親しく、挿絵や題字を手掛けることも多かった。 島崎藤村の詩集『若菜集』(1897年)、『一葉舟』(1898年)の挿絵を担当した。 1905年に『吾輩は猫である』上巻が刊行され挿絵を描いた。漱石は不折に宛てて「発売の日からわずか20日で初版が売り切れ、それは不折の軽妙な挿絵のおかげであり、大いに売り上げの景気を助けてくれたことを感謝する」という旨の手紙を送っている。 翌1906年には、伊藤左千夫の小説『野菊の墓』の挿絵も手掛けている。 1922年7月9日に森鷗外が没した際は、「書ハ中村不折ニ依託シ、宮内省陸軍ノ榮典ハ絶對ニ取リヤメヲ請フ」」との遺言により、不折が墓碑銘を揮毫した。
※この「作家との交流」の解説は、「中村不折」の解説の一部です。
「作家との交流」を含む「中村不折」の記事については、「中村不折」の概要を参照ください。
- 作家との交流のページへのリンク