伊藤信徳とは? わかりやすく解説

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いとう‐しんとく【伊藤信徳】

読み方:いとうしんとく

[1633〜1698]江戸前期俳人京都の人。貞門から談林風傾倒松尾芭蕉らと交流し蕉風確立影響与えた。著「江戸三吟」など。


伊藤信徳


伊藤信徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 01:38 UTC 版)

伊藤 信徳(いとう しんとく、1633年寛永10年)- 1698年11月15日元禄11年10月13日))は、江戸時代前期の俳人[1][2]。通称は助左衛門[1]。別号に梨柿園、竹犬子等がある[2]。姓は山田ともと伝えられている[3]

経歴・人物

京都の優雅な商人の子として生まれる[2]。幼年期より自身の家業のため全国を行脚する事が頻繁あった[3]1645年正保元年)頃に貞門派高瀬梅盛の門人となり[2][3]俳諧を学び始める。

後に菅野谷高政や田中常矩らに師事し[3][4]談林派に転じ江戸にて松尾芭蕉山口素堂ら多くの著名な俳人と親交を持った[1]1677年延宝5年)には芭蕉、素堂との共著『江戸三吟』を執筆し翌1678年(延宝6年)に刊行した[2]。その後も芭蕉の作風を踏まえた俳諧を学び[4]、多くの著書を刊行する。元禄の頃には、池西言水や信徳と同じ梅盛門下の斎藤如泉、三上和及、中尾我黒ら共に京都における代表的な俳諧師となった[4]

主な著作物

代表的な著書

  • 『江戸三吟』- 1678年(延宝6年)刊行。

その他の著書

  • 『信徳十百韻』- 1673年(延宝元年)成立[5]
  • 『七百五十韻』- 1681年(天和元年)成立[5]

脚注

  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『伊藤信徳』- コトバンク
  2. ^ a b c d e 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『伊藤信徳』- コトバンク
  3. ^ a b c d 世界大百科事典 第2版(平凡社)『信徳』- コトバンク
  4. ^ a b c 日本大百科全書小学館)『信徳』- コトバンク
  5. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン)『伊藤信徳』- コトバンク

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