土曜夜戦争とは? わかりやすく解説

土曜夜戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:13 UTC 版)

視聴率」の記事における「土曜夜戦争」の解説

日本最大視聴率戦争 この視聴率戦争日本のテレビ番組では歴史上最大視聴率争いとして語り継がれている。 TBS『8時だョ!全員集合』1969年-1985年)が「お化け番組」と呼ばれる程の凄まじい人気誇ったことで発生した。 「8時だョ!全員集合の歴史#1971年」および「8時だョ!全員集合#概要」も参照 他局への影響大きく当初コント55号の世界は笑う』で優位だったライバルフジテレビ対抗する番組コント55号のやるぞみてくれ!』を企画するも、僅か2ヶ月打ち切られその後時代劇中心としたドラマ路線変更する悉く放送終了し、土曜20時枠は「鬼門」とまで言われた。1974年3月荒井注ザ・ドリフターズから抜けてしばらくは、翌1975年4月から放送開始された『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の成功もあり、視聴率上昇して全員集合』を脅かしたが、1976年に、その2年前4月荒井に代わってメンバー加入した志村けんの「東村山音頭」のヒットで再び引き離し以後『オレたちひょうきん族』1981年 - 1989年)が登場するまで、他局対抗出来番組はほぼ皆無となり、女子プロ野球チーム「ニューヤンキース」の試合メインとした『土曜グランドスペシャル』(1978年)が目立つ程度だった。中にはピーマン白書』のように大々的番宣キャンペーン行ったにも関わらず放送回数僅か6回で打ち切りになったものも存在した日本テレビ1972年10月より『全日本プロレス中継』を約6年半の長き渡って放送するも、視聴率振るわず1979年4月放送移動以後19:30統合し90単発特別番組枠土曜スペシャル』を放送その後笑点』の司会として当時人気だった三波伸介出演させて90バラエティ爆笑ヒット大進撃!!』→『ダントツ笑撃隊!!』を放送し対抗する短命終了1982年1月より『土曜トップスペシャル』として単発復活した詳細は「全日本プロレス中継#土曜20時枠時代」を参照 テレビ朝日時代劇現代劇といった1時間ドラマ放送した対抗できず、1972年昭和47年7月から、直前である19:30『仮面ライダー』毎日放送制作)の視聴者ある子供ターゲットに、「変身大会」と称した前後半の30分番組として分離し前半30分は特撮番組『人造人間キカイダー』『キカイダー01』後半30分はアニメ『デビルマン』『ミクロイドS』『キューティーハニー』放送した。それらの番組スタート当初16%前後と『全員集合』という強力な番組の裏番組としては大健闘したものの、次第児童層も『全員集合』を選ぶ傾向強くなったため、視聴率回復しなかった。このため1時間戻したものの、それでも1978年1月より放送開始松平健主演時代劇暴れん坊将軍シリーズ』までヒットしなかった。特に1976年5月に『刑事バレッタ』(第1シリーズ終了後同年10月開始時代劇五街道まっしぐら!』までの間は、定時番組置かず単発つなぎ番組)を編成し、『戦え!ぼくらのヒーロー大集合』や劇場版『サイボーグ009』などの子供向け番組特番扱い放送する状態だった。 詳細は「キカイダー01#概要」、「キューティーハニー#解説」、および「テレビ朝日土曜8時枠の連続ドラマ#参考・『土曜時代劇』までのつなぎ番組」を参照 NHK総合テレビでは、1970年に『ステージ101』、1972年に『お笑いオンステージ』といった、後年日曜日放送時間を変更する番組放送したが、いずれも視聴率面で『全員集合』には追い付けず、ようやく1974年海外ドラマ『刑事コロンボ』導入して大ヒットさせる。これが現在まで続く『土曜ドラマ』に受け継がれる東京12チャンネルテレビ東京では1970年代中盤から3ヶ月程度番組連発し1978年より90単発特別番組枠土曜特番』を開始以後何度中断を置きながら単発継続した。だがその単発中断時に放送した番組は各局同様苦戦続き、特に1980年昭和55年10月に、国際プロレス主催プロレス中継国際プロレスアワー』を月曜20時から移動するも、先述の『ピーマン白書』と最下位を争う状態で、遂に1981年3月にはレギュラー放送打ち切り同年8月団体崩壊つながってしまう。 詳細は「プロレスアワー#土曜20時台時代 - レギュラー放送終了」を参照 当時ドリフ人気を示すエピソードとして、タレント王理恵自分ドリフ全員集合)を見たかったが、家では父(王貞治)が出ている野球中継見ていた。月曜日自分学校ドリフの話についていけなかったと当時回顧した1981年10月改編で、フジテレビお笑いブーム乗り『オレたちひょうきん族』(以下『ひょうきん族』)を放送開始開始直後視聴率伸び悩んだが、ドリフ不祥事仲本工事志村けんの「競馬ノミ行為事件」)や、「囚人コントギロチン事件」が大きく響いた事もあり、以降ひょうきん族』は徐々に視聴率獲得し1984年年間視聴率でついに『全員集合』を逆転、翌1985年昭和60年10月改編で『全員集合』は終了した。翌1986年1月、『全員集合』の後継番組加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(以下『加トケン』)が放送されると、徐々に『加トケン』が視聴率獲得同年12月起きたフライデー襲撃事件により、『ひょうきん族』の看板タレントだったビートたけし芸能活動謹慎の為、番組レギュラーから抜けたこともあり、1987年に『ひょうきん族』を逆転。それから約2年後1989年10月改編で『ひょうきん族』は放送終了となった詳細は「フライデー襲撃事件#たけし出演番組などへの影響」および「オレたちひょうきん族#番組終了とその後」を参照 1990年代に入ると『加トケン』への対抗として、1990年10月より、『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ。 以下『マジカル』)が、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ。以下『やるやら』)がそれぞれ放送開始テレ朝暴れん坊将軍』と合わせて人気4番組による争いとなる。争い2年ほど続いたが、まず『加トケン』が1992年4月、『KATO&KENテレビバスターズ』としてリニューアルするも、これが裏目に出て視聴率急速に低迷し同年9月終了一方の『やるやら』も1993年6月収録時の事故により放送急遽打ち切られると『めちゃ×2イケてるッ!』(以下『めちゃイケ』)の放送まで再びフジテレビ土曜20時枠は「鬼門となった一方マジカル』は『あるなしクイズ』が放送局番組またいでブームとなったこともあり終了したKATO&KENウンナン視聴者獲得する形となり高視聴率獲得したが、4月から9月までの間はプロ野球中継(主に巨人戦)により放送休止することが度々あったため、それを避け目的番組枠木曜日同時間帯に移動した詳細は「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!#ウォン・カークイ死亡事故とその影響」および「マジカル頭脳パワー!!#沿革」を参照 TBS長年続いたザ・ドリフターズ出演バラエティー番組シリーズ終了後は、『音楽派トゥギャザー以来2年9ヶ月ぶりとなるゴールデン及びプライムタイムでの音楽バラエティー番組の『突然バラエティー速報!!COUNT DOWN100』や、紀行番組の『自然がいちばん!地球塾』を放送するも、いずれの番組放送開始から半年放送時間変更終了追い込まれ1993年10月より、『どうぶつ奇想天外!』をスタート当初は『マジカル』に苦戦したが、『マジカル』の木曜日への移動により安定した視聴率獲得し「親が子どもに見せたい番組の上位にランクインされる人気番組になったフジテレビ1996年10月『めちゃイケ』スタートさせる視聴率獲得1978年放送以来、常に安定した人気保っていた『暴れん坊将軍』を移動させた。 2000年4月に『どうぶつ奇想天外!』が日曜20時に移動すると、しばらくは『めちゃイケ』独走状態であったが、2004年放送開始した日本テレビ世界一受けたい授業』の台頭により、同番組陰り見え始めてくる。2006年度には『世界一受けたい授業』が『めちゃイケ』上回ることも珍しくなくなった。しかし『めちゃイケ』直前番組脳内エステIQサプリ』(以下『IQサプリ』)の視聴率一時17%前後にまで及んだことで、一時的に視聴率回復したものの、2007年4月、『IQサプリの裏番組に『天才!志村どうぶつ園』が移動。これにより『IQサプリ』の視聴率11%前後にまで低下し、その効果『めちゃイケ』にも及び、再び『世界一受けたい授業』に負けだすようになった追い打ちをかけるように、2008年4月にはTBSドラマ枠設置し、その第1弾として、森田まさのり原作野球漫画実写化した『ROOKIES』が放送され人気を博す2009年5月にはジャニーズ事務所所属人気グループSMAPメンバー一人である木村拓哉主演『MR.BRAIN』放送されたことにより、『めちゃイケ』視聴率低迷していた。但し、TBSドラマ枠は『ハンマーセッション』を最後に2010年9月をもって廃止されている。 その後『めちゃイケ』特別企画中心に視聴率稼いでいたが、2010年以降テレビ東京の『土曜スペシャル』が「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」を中心に人気集め中には『めちゃイケ』凌ぐ視聴率記録する回もあり、『めちゃイケ』独走状態ではなくなった。2015年からNHKの『ブラタモリ』の第4シリーズが本開始2017年からは『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京)のレギュラー放送始まり『めちゃイケ』視聴率一桁台へ低迷最終的に『めちゃイケ』2018年平成30年4月改編終了することとなった土曜19時枠でも1970年代から1980年代までは『まんが日本昔ばなし』(毎日放送制作第2期)と『クイズダービー』を擁したTBS独走態となって他局苦戦強いられた日本テレビ1985年10月に『全日本プロレス中継』を土曜夕方枠から19時枠移動して6年半ぶりにゴールデンタイム生中継復活するも、僅か2年半で日曜22時半録画中継への枠移動追い込まれた。フジテレビ1975年4月より19時枠前半放送されていた長寿番組の『ズバリ!当てましょう』(第2期)が1982年3月打ち切られ、翌1983年4月には、かつて18後半看板番組であったアニメタイムボカンシリーズ』の『イタダキマン』を19時枠後半移動させるも、視聴率奪えず僅か20話終了しシリーズ自体終了追い込まれる事態となったテレビ朝日1989年1月より、19時枠後半コロコロコミック連載され絶大的な人気誇っていた小林よしのり原作ギャグ漫画『おぼっちゃまくん』アニメ化して放送開始される子供中心に人気集め視聴率肉薄1990年秋頃から『クイズダービー』を視聴率で抜くことも増え結果フジテレビ系19時半アニメを廃追い込んだ。もっとも、『おぼっちゃまくん』は約3年9ヶ月長き渡って放送続いたものの、過激かつ下品なギャグ多かった事から、視聴率取れて肝心なスポンサー離れて定着しなかった。 その後1991年10月フジ19時枠に『平成教育委員会』を、翌1992年3月テレビ朝日19時台前半枠に『美少女戦士セーラームーンシリーズ』を、さらにその翌1993年10月同じく後半枠に『SLAM DUNK』をそれぞれ投入して、ようやくTBS勢い止めることに成功したが、そこまで10年上の時間要した。『平成教育委員会』は、1992年9月『おぼっちゃまくん』放送終了へ追い込み1997年9月までレギュラー放送続けた(『おぼっちゃまくん』終了原因前述理由もある)。 また、同じフジテレビ系列である関西テレビでは『クイズダービー』(関西では毎日放送放映の裏番組が『部長刑事』だったこともあり、さらに厳し戦いとなった後述の「#関西土曜戦争」を参照)。 詳細は「仮面ライダー#企画」および「部長刑事#放送に伴う影響」を参照

※この「土曜夜戦争」の解説は、「視聴率」の解説の一部です。
「土曜夜戦争」を含む「視聴率」の記事については、「視聴率」の概要を参照ください。

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