土曜夜戦争
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日本最大の視聴率戦争 この視聴率戦争は日本のテレビ番組では歴史上最大の視聴率争いとして語り継がれている。 TBSの『8時だョ!全員集合』(1969年-1985年)が「お化け番組」と呼ばれる程の凄まじい人気を誇ったことで発生した。 「8時だョ!全員集合の歴史#1971年」および「8時だョ!全員集合#概要」も参照 他局への影響は大きく、当初『コント55号の世界は笑う』で優位だったライバルのフジテレビは対抗する番組『コント55号のやるぞみてくれ!』を企画するも、僅か2ヶ月で打ち切られ、その後は時代劇を中心としたドラマ路線に変更するも悉く放送終了し、土曜20時枠は「鬼門」とまで言われた。1974年3月に荒井注がザ・ドリフターズから抜けてしばらくは、翌1975年4月から放送が開始された『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の成功もあり、視聴率が上昇して『全員集合』を脅かしたが、1976年に、その2年前の4月に荒井に代わってメンバーに加入した志村けんの「東村山音頭」のヒットで再び引き離し、以後、『オレたちひょうきん族』(1981年 - 1989年)が登場するまで、他局が対抗出来る番組はほぼ皆無となり、女子プロ野球チーム「ニューヤンキース」の試合をメインとした『土曜グランドスペシャル』(1978年)が目立つ程度だった。中には『ピーマン白書』のように大々的な番宣キャンペーンを行ったにも関わらず、放送回数僅か6回で打ち切りになったものも存在した。 日本テレビは1972年10月より『全日本プロレス中継』を約6年半の長きに渡って放送するも、視聴率が振るわず、1979年4月に放送枠を移動。以後19:30枠と統合し、90分単発特別番組枠『土曜スペシャル』を放送、その後『笑点』の司会として当時人気だった三波伸介を出演させて90分バラエティ『爆笑ヒット大進撃!!』→『ダントツ笑撃隊!!』を放送し対抗するが短命で終了、1982年1月より『土曜トップスペシャル』として単発枠を復活した。 詳細は「全日本プロレス中継#土曜20時枠時代」を参照 テレビ朝日は時代劇や現代劇といった1時間ドラマを放送したが対抗できず、1972年(昭和47年)7月から、直前枠である19:30枠の『仮面ライダー』(毎日放送制作)の視聴者である子供をターゲットに、「変身大会」と称した前後半の30分番組として分離し、前半30分は特撮番組『人造人間キカイダー』→『キカイダー01』、後半30分はアニメ『デビルマン』→『ミクロイドS』→『キューティーハニー』を放送した。それらの番組はスタート当初は16%前後と『全員集合』という強力な番組の裏番組としては大健闘したものの、次第に児童層も『全員集合』を選ぶ傾向が強くなったため、視聴率は回復しなかった。このため1時間枠に戻したものの、それでも1978年1月より放送開始の松平健主演時代劇『暴れん坊将軍シリーズ』までヒットしなかった。特に1976年5月に『刑事バレッタ』(第1シリーズ)終了後、同年10月開始の時代劇『五街道まっしぐら!』までの間は、定時番組は置かずに単発枠(つなぎ番組)を編成し、『戦え!ぼくらのヒーロー大集合』や劇場版『サイボーグ009』などの子供向け番組を特番扱いで放送する状態だった。 詳細は「キカイダー01#概要」、「キューティーハニー#解説」、および「テレビ朝日土曜8時枠の連続ドラマ#参考・『土曜時代劇』までのつなぎ番組」を参照 NHK総合テレビでは、1970年に『ステージ101』、1972年に『お笑いオンステージ』といった、後年日曜日に放送時間を変更する番組を放送したが、いずれも視聴率面で『全員集合』には追い付けず、ようやく1974年に海外ドラマ『刑事コロンボ』を導入して大ヒットさせる。これが現在まで続く『土曜ドラマ』に受け継がれる。 東京12チャンネル→テレビ東京では1970年代中盤から3ヶ月程度の番組が連発し、1978年より90分単発特別番組枠『土曜特番』を開始、以後何度か中断を置きながら単発枠を継続した。だがその単発枠中断時に放送した番組は各局同様苦戦が続き、特に1980年(昭和55年)10月に、国際プロレス主催プロレス中継『国際プロレスアワー』を月曜20時から移動するも、先述の『ピーマン白書』と最下位を争う状態で、遂に翌1981年3月にはレギュラー放送を打ち切り、同年8月の団体崩壊につながってしまう。 詳細は「プロレスアワー#土曜20時台時代 - レギュラー放送終了」を参照 当時のドリフの人気を示すエピソードとして、タレントの王理恵は自分はドリフ(全員集合)を見たかったが、家では父(王貞治)が出ている野球中継を見ていた。月曜日、自分は学校でドリフの話についていけなかったと当時を回顧した。 1981年10月改編で、フジテレビはお笑いブームに乗り、『オレたちひょうきん族』(以下『ひょうきん族』)を放送開始。開始直後の視聴率は伸び悩んだが、ドリフの不祥事(仲本工事、志村けんの「競馬ノミ行為事件」)や、「囚人コントのギロチン事件」が大きく響いた事もあり、以降『ひょうきん族』は徐々に視聴率を獲得し、1984年の年間視聴率でついに『全員集合』を逆転、翌1985年(昭和60年)10月改編で『全員集合』は終了した。翌1986年1月、『全員集合』の後継番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(以下『加トケン』)が放送されると、徐々に『加トケン』が視聴率を獲得、同年12月に起きたフライデー襲撃事件により、『ひょうきん族』の看板タレントだったビートたけしが芸能活動謹慎の為、番組レギュラーから抜けたこともあり、1987年に『ひょうきん族』を逆転。それから約2年後の1989年10月改編で『ひょうきん族』は放送終了となった。 詳細は「フライデー襲撃事件#たけし出演番組などへの影響」および「オレたちひょうきん族#番組の終了とその後」を参照 1990年代に入ると『加トケン』への対抗として、1990年10月より、『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ。 以下『マジカル』)が、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ。以下『やるやら』)がそれぞれ放送開始。テレ朝『暴れん坊将軍』と合わせて、人気4番組による争いとなる。争いは2年ほど続いたが、まず『加トケン』が1992年4月、『KATO&KENテレビバスターズ』としてリニューアルするも、これが裏目に出て視聴率が急速に低迷し、同年9月に終了。一方の『やるやら』も1993年6月、収録時の事故により放送が急遽打ち切られると『めちゃ×2イケてるッ!』(以下『めちゃイケ』)の放送まで再びフジテレビの土曜20時枠は「鬼門」となった。一方『マジカル』は『あるなしクイズ』が放送局や番組をまたいで大ブームとなったこともあり終了したKATO&KENやウンナンの視聴者を獲得する形となり高視聴率を獲得したが、4月から9月までの間はプロ野球中継(主に巨人戦)により放送を休止することが度々あったため、それを避ける目的で番組枠を木曜日の同時間帯に移動した。 詳細は「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!#ウォン・カークイ死亡事故とその影響」および「マジカル頭脳パワー!!#沿革」を参照 TBSは長年続いたザ・ドリフターズ出演のバラエティー番組シリーズ終了後は、『音楽派トゥギャザー』以来2年9ヶ月ぶりとなるゴールデン及びプライムタイムでの音楽バラエティー番組の『突然バラエティー速報!!COUNT DOWN100』や、紀行番組の『自然がいちばん!地球塾』を放送するも、いずれの番組も放送開始から半年で放送時間変更や終了に追い込まれ、1993年10月より、『どうぶつ奇想天外!』をスタート。当初は『マジカル』に苦戦したが、『マジカル』の木曜日への移動により安定した視聴率を獲得し「親が子どもに見せたい番組」の上位にランクインされる人気番組になった。フジテレビも1996年10月に『めちゃイケ』をスタートさせると視聴率を獲得、1978年の放送以来、常に安定した人気を保っていた『暴れん坊将軍』を移動させた。 2000年4月に『どうぶつ奇想天外!』が日曜20時に移動すると、しばらくは『めちゃイケ』の独走状態であったが、2004年に放送開始した日本テレビ『世界一受けたい授業』の台頭により、同番組に陰りが見え始めてくる。2006年度には『世界一受けたい授業』が『めちゃイケ』を上回ることも珍しくなくなった。しかし『めちゃイケ』の直前番組『脳内エステIQサプリ』(以下『IQサプリ』)の視聴率が一時17%前後にまで及んだことで、一時的に視聴率は回復したものの、2007年4月、『IQサプリ』の裏番組に『天才!志村どうぶつ園』が移動。これにより『IQサプリ』の視聴率は11%前後にまで低下し、その効果が『めちゃイケ』にも及び、再び『世界一受けたい授業』に負けだすようになった。追い打ちをかけるように、2008年4月にはTBSがドラマ枠を設置し、その第1弾として、森田まさのり原作の野球漫画を実写化した『ROOKIES』が放送され、人気を博す。2009年5月にはジャニーズ事務所所属の人気グループSMAPのメンバーの一人である木村拓哉主演の『MR.BRAIN』が放送されたことにより、『めちゃイケ』は視聴率が低迷していた。但し、TBSのドラマ枠は『ハンマーセッション』を最後に、2010年9月をもって廃止されている。 その後『めちゃイケ』は特別企画を中心に視聴率を稼いでいたが、2010年以降はテレビ東京の『土曜スペシャル』が「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」を中心に人気を集め、中には『めちゃイケ』を凌ぐ視聴率を記録する回もあり、『めちゃイケ』の独走状態ではなくなった。2015年からはNHKの『ブラタモリ』の第4シリーズが本枠で開始、2017年からは『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京)のレギュラー放送が始まり、『めちゃイケ』の視聴率は一桁台へ低迷、最終的に『めちゃイケ』は2018年(平成30年)4月改編で終了することとなった。 土曜19時枠でも1970年代から1980年代までは『まんが日本昔ばなし』(毎日放送制作。第2期)と『クイズダービー』を擁したTBSの独走状態となって他局は苦戦を強いられた。日本テレビは1985年10月に『全日本プロレス中継』を土曜夕方枠から19時枠に移動して、6年半ぶりにゴールデンタイムの生中継を復活するも、僅か2年半で日曜22時半の録画中継枠への枠移動に追い込まれた。フジテレビは1975年4月より19時枠前半で放送されていた長寿番組の『ズバリ!当てましょう』(第2期)が1982年3月で打ち切られ、翌1983年4月には、かつて18時枠後半の看板番組であったアニメ『タイムボカンシリーズ』の『イタダキマン』を19時枠後半に移動させるも、視聴率を奪えず僅か20話で終了し、シリーズ自体も終了に追い込まれる事態となった。テレビ朝日は1989年1月より、19時枠後半にコロコロコミックで連載され、絶大的な人気を誇っていた小林よしのり原作のギャグ漫画『おぼっちゃまくん』をアニメ化して放送。開始されるや子供を中心に人気を集め、視聴率で肉薄。1990年秋頃から『クイズダービー』を視聴率で抜くことも増え、結果フジテレビ系の19時半のアニメ枠を廃枠に追い込んだ。もっとも、『おぼっちゃまくん』は約3年9ヶ月の長きに渡って放送が続いたものの、過激かつ下品なギャグが多かった事から、視聴率は取れても肝心なスポンサーが離れて定着しなかった。 その後、1991年10月にフジが19時枠に『平成教育委員会』を、翌1992年3月にテレビ朝日が19時台前半枠に『美少女戦士セーラームーンシリーズ』を、さらにその翌1993年10月、同じく後半枠に『SLAM DUNK』をそれぞれ投入して、ようやくTBSの勢いを止めることに成功したが、そこまで10年以上の時間を要した。『平成教育委員会』は、1992年9月『おぼっちゃまくん』も放送終了へ追い込み、1997年9月までレギュラー放送を続けた(『おぼっちゃまくん』終了の原因は前述の理由もある)。 また、同じフジテレビ系列である関西テレビでは『クイズダービー』(関西では毎日放送が放映)の裏番組が『部長刑事』だったこともあり、さらに厳しい戦いとなった(後述の「#関西土曜戦争」を参照)。 詳細は「仮面ライダー#企画」および「部長刑事#放送に伴う影響」を参照
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