金曜20時戦争とは? わかりやすく解説

金曜20時戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:13 UTC 版)

視聴率」の記事における「金曜20時戦争」の解説

1970年代から1980年代にかけて金曜20時に放送され『太陽にほえろ!』日本テレビ)と『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)、TBSドラマ・バラエティ番組視聴率争い中心したものである。『太陽にほえろ!』と『ワールドプロレスリング』の両番組は、ほぼ同時期にスタートし同時期に終了枠移動行っている。当時日本プロレス中継日本テレビNET(現テレビ朝日)の2局で放送行っていたが、日本プロレス意向により日本テレビジャイアント馬場試合を、NETアントニオ猪木試合中心に放送していた。その後日本プロレスから猪木除名追放されたことを機にNET首脳陣馬場試合中継要求日本プロレス幹部がこれに応じたため、日本テレビ側激怒1972年5月放送していた『日本プロレス中継』を打ち切り7月21日から金曜20時枠刑事ドラマ『太陽にほえろ!』放送開始した詳細は「日本プロレス#崩壊」および「日本プロレス中継#実況中継終了」を参照ジャイアント馬場#猪木のクーデターと放送問題」および「上田馬之助 (プロレスラー)#密告事件」も参照 一方NETは、『太陽にほえろ!』放送開始から1週間後7月28日より、同じく金曜20時枠に『NET日本プロレスリング中継』のタイトルプロレス番組開始した(翌1973年4月より、その前年1月に潴木が設立した新日本プロレス試合中継放送するのを機にワールドプロレスリング』に再改題)。当初日本テレビ『太陽にほえろ!』放送1クール終了させ、10月から馬場設立した全日本プロレス中継番組を『ワールドプロレスリング』に直接ぶつける計画があった。しかし、『太陽にほえろ!』が高視聴率記録したため、『全日本プロレス中継』は「お化け番組」と呼ばれた『8時だョ!全員集合』にぶつける事となった(詳細前述の「#土曜夜戦争」を参照)。その後『太陽にほえろ!』が、新人無名の若手俳優主演新米刑事として出演させ、成長させるパターン安定した視聴率稼いだのに対し、『ワールドプロレスリング』が、猪木中心とした「ストロングスタイル」をメインに、「過激なプロレス」(「ハイスパート・レスリング」とも呼ばれた)や、「異種格闘技戦路線で高視聴率挙げた詳細は「太陽にほえろ!#太陽にほえろ! 誕生まで」および「全日本プロレス中継#土曜20時枠時代」を参照日本プロレス#団体崩壊後」および「ワールドプロレスリング#放送開始 - 古舘全盛期」も参照 両番組のために低迷していたTBS1979年秋から、学園ドラマの『3年B組金八先生』(以下『金八先生』)を放送。『金八先生』は放送開始するや瞬く間に巷の話題となって視聴率毎回上がり続け視聴率争い三つ巴となる。『金八先生』は半年後の終了前に30パーセント超える視聴率毎回獲得して『太陽にほえろ!』と『ワールドプロレスリング』を完全に逆転した。特に『金八先生第1シリーズ最終回関東地区で39.9パーセント視聴率記録した同日『太陽にほえろ!』400スペシャル放送した視聴率は『金八先生』の半分以下18.8パーセントに終わる。『金八先生第1シリーズ終了後TBSは『金八先生』と舞台設定同じにした学園ドラマ(通称・『桜中学シリーズ』)をこの時間帯敷いてリード保った。しかしその間にも『太陽にほえろ!』見所であった殉職降板や新刑事登場連発して巻き返し図り、『ワールドプロレスリング』側も1981年4月同時期にテレビ朝日系列放送スタートしたテレビアニメタイガーマスク二世』とのタイアップ企画によって誕生したタイガーマスク初代)登場、そしてデビューライバル団体全日本プロレスとの外国人レスラー引き抜き合戦同年8月崩壊した国際プロレス残党ラッシャー木村アニマル浜口寺西勇)によって結成された「国際軍団」や、長州力率いる「維新軍団」(結成当初は「はぐれ軍団」や、「革命軍」とも呼ばれた)を登場させ、猪木率い本隊にあたる「新日正規軍」を加えた三つ巴軍団抗争や、正規軍藤波辰巳維新軍団長州との「名勝負数え歌」が人気呼んだ。特に、後に維新軍団に加わる小林邦昭タイガーマスクマスク剥ぎにかかるシーン放送されると、タイガー正体見たさに視聴率上昇した。その反抗影響と、『桜中学シリーズ自体シリーズ重ねて飽きられ始めると、再び三つ巴様相となっていったものの、『桜中学シリーズ』は徐々に視聴率落とし、ついに1983年3月、『3年B組貫八先生』を最後に金曜20時枠での放送終了した詳細は「桜中学シリーズ#作品・放送リスト」および「3年B組金八先生#概要」を参照桜中学シリーズ終了後しばらくの間児童若者向けドラマ中心に放送していたTBSは、1986年5月絶大な人気誇っていたビートたけしメイン据えた視聴者参加バラエティ番組風雲!たけし城』(以下『たけし城』)をスタートさせると、視聴率逆転し金曜20時の視聴率覇権収めた対す日本テレビ主演石原裕次郎体調不良もあって、『太陽にほえろ!』終了決断石原出演PART2含めると、番組は翌1987年2月終了石原同年7月死去)。テレビ朝日1986年10月、『ワールドプロレスリング』を月曜20時へ移動させ、音楽番組ミュージックステーション』(以下『Mステ』)の放送開始した。 しかし、これら長寿番組だった両番組を打ち切り『太陽にほえろ!』)や放送時間変更(『ワールドプロレスリング』)に追いやった『たけし城』だが、前述フライデー襲撃事件により、看板だったビートたけし襲撃参加したたけし軍団芸能活動謹慎となったことで、番組降板して一時勢い衰えてしまう。彼らは事件から約半年後に番組復帰したものの、勢い取り戻すことはできず、1989年4月に『たけし城』はレギュラー放送終了した一方、『Mステ』は放送開始当初視聴率取れなかったが、放送開始から約半年後の1987年4月タモリ2代目司会就任後一定の人気得た番組にはジャニーズ事務所所属男性アイドルをはじめ、様々なゲスト登場中でも番組放送開始から3カ月後、タモリ司会者就任する前の1987年1月には、かつてのライバル番組(『太陽にほえろ!』)に出演していた石原裕次郎ハワイ別荘からビデオ出演近況報告後、カバー曲の「BEYOND THE REEF」を披露し番組エール送った(前述通り石原番組出演から約半年後の同年7月死去したため、この番組彼にとって生涯最後テレビ出演となった)。また、1996年には同年4月から日本テレビ系放送されていたバラエティ番組の『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(以下、『ウリナリ』)から誕生したユニットポケットビスケッツ」、「ブラックビスケッツ」の登場、そしてブレイクにより、視聴率面で苦戦する事もあったが、1999年6月宇多田ヒカルテレビ初出演視聴率20%台に乗せた1990年代半ばから2000年初め頃の「金曜20時戦争」は、かつての前述1970年代の「『太陽にほえろ!』対『ワールドプロレスリング』」のように、日本テレビテレビ朝日2強時代長らく続いていたが、最終的にMステ』は 「金曜20時戦争」に勝利を収め2002年3月で『ウリナリ』を放送終了追い込んだその後Mステ』は、2019年10月改編金曜21時に枠移動。後として水曜23時台放送していた『マツコ&有吉 かりそめ天国』の放送時間を変更させた上でゴールデンタイムに進出した。 「ミュージックステーション#沿革」も参照 一方フジテレビ1979年秋に当時人気番組だった『ザ・ベストテン』対抗してビッグベストテン』を開始させるが、視聴率振るわず、わずか5ヶ月打ち切られた。また後続番組花の金曜ゴールデンスタジオ』→『ハナキンスタジオ』も、同様に打ち切られ単発番組移動した1988年、『Mステ』や『たけし城』に対抗するため、明石家さんま中心とした新番組計画や『ひょうきん族』の放送枠移動計画があったが、当時昭和天皇病状悪化による自粛ムードや、出演者側のスケジュールの問題などもあり中止になった

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