密告事件とは? わかりやすく解説

密告事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 14:03 UTC 版)

上田馬之助 (プロレスラー)」の記事における「密告事件」の解説

力道山亡くなった後の日本プロレス末期に、不透明な経理に不満を抱いていた馬場猪木選手会一同は、一部幹部退陣要求しようと密かに画策していた。もし要求受け入れられない場合は、選手一同退団するという嘆願書全員サインをしていたという。上田は「猪木日本プロレス乗っ取ろうとしている」と幹部密告していた。 猪木腹心の仲でありサイドビジネスの手伝いもしていた経理担当某氏が、不透明な小切手切ったり、猪木社長に祭り上げ日本プロレス経営権握ろう画策しているかのような動き見せたため、このことに気付き危機感持った上田馬場相談したのが発端であったともいわれている。 当時日本プロレス暴力団との関係取り沙汰されたり(ただし当時の「興行」はプロレス限らず良くも悪くも現在の価値観で言う暴力団影響免れることは有り得なかった)、ドンブリ勘定資金管理など闇の部分存在したのは間違いない猪木自身自著である『アントニオ猪木自伝』の中でこの件について触れ経営陣の不正を正したかったことに嘘はない」としている。また、馬場自伝においては猪木行動日本プロレス経営改善名を借りた乗っ取り計画だったとされ、これに関係していた上田馬場詰問したら「上田全部しゃべったんです」との記述がある。雑誌ゴングの元編集長竹内宏介馬場側近としても有名だった)も「馬場上田詰問上田真相告白馬場幹部報告」という経緯著書書いている。 ユセフ・トルコ自著での猪木の弟、猪木啓介との対談で「いや、あれを上層部にいったのは間違いなく上田」と語っており、元日プロレス経理部長である三澤正和も「実際会議猪木さんが『馬之助、テメェ、よくもばらしやがったな』と言っていた」と証言している。 ただ2007年1月から5月にかけて東京スポーツにて連載されていた「上田馬之助 金狼遺言」において、上田は「実はあの事件最初に裏切り首脳陣密告行ったのは馬場であるが、当時社内状況ではとてもそのこと言える状態ではなく自分が罪を被らざるを得なかった」「証拠となるメモ残っている」と語っている(但しこの「メモ」が公開される事は終に無く、また「メモ」も法律上能力証拠能力有しているかは不明である)。 猪木日本プロレス除名並びに新日本プロレス旗揚げまでの経過以下の通りである。 1971年11月4日 - 猪木上田面談。その席で上田は、「日本プロレス幹部横暴には目に余るものがある。ここは手を握って改革してほしい」と懇願し猪木承諾11月5日 - 上田が「内密話したいことがある」という理由馬場呼び出す。猪木同席11月18日 - 猪木上田馬場京王プラザホテル呼び出し馬場改革具体案開示した内容は、「臨時役員会開催し芳の里淳三吉村道明遠藤幸吉役員退任要求する」という内容であった11月19日 - 『'71ワールド・チャンピオン・シリーズ』が全17戦の日程開幕後楽園ホールでの開幕戦で、試合開始前猪木上田改革概要説明した大木金太郎戸口正徳以外の17人の選手改革案に署名11月26日 - 臨時役員会開かれる当日夜に芳の里吉村グレート小鹿の3人は新宿スナックに出かけた。上田は、3人がいスナックに「シリーズ終了後猪木会社定款変えて社長になることを企んでいる」と電話入れた状況がつかめなかった芳の里上田スナック呼び出し芳の里上田に対して「これは猪木一人計画か」「お前も仲間か」「じゃあ馬場は?」などと問いただすと、上田は「最初仲間だったが、大変なことになると思い電話した」「馬場さんも知っている」「馬場さんも猪木さんと一緒に行くはずだ」などと回答して上田スナックを後にした。馬場上田入れ変わるように同じスナック呼び出され芳の里馬場にこのことを問いただし、馬場は「私は一切知りません」の一点張りだった。その後幹部猪木動き警戒するうになる11月28日 - 臨時役員会開催役員でもある馬場猪木選手署名した連判状開示し猪木出席せずに某氏出席)、「日本プロレス経理明朗化と健全な経営」について要求した11月29日 - 横浜文化体育館遠藤上田接触し遠藤上田から猪木行動事情聴取すると共に上田新宿スナックの件を遠藤説明同時に遠藤猪木行動阻止作戦開始12月1日 - 馬場京都駅上田呼び出し上田から猪木動向聴取名古屋への移動中の東海道新幹線車内でも、隣の席に座らせて状況聴取を行う(馬場は他の選手と違う車両座席予約していた)。その席で上田は「猪木新会社社長になり、自分印鑑証明用意するよう言われた」と馬場説明し馬場も「話が違う。完全なクーデターだ」と返答した馬場名古屋駅下車せず、芳の里猪木動向報告するためそのまま帰京し報告当日試合がある愛知県体育館直行12月2日から3日 - 上田浜松市体育館大会山形県体育館大会欠場し同時に日本プロレス顧問弁護士と共に猪木行動に関する告発状作成する山形大会で芳の里馬場面談。この時点猪木計画選手会筒抜けとなる。同時に山形大当日に、馬場選手会長並びに取締役辞任し猪木取締役辞任12月5日 - 巡業先の仙台からの帰京後に、緊急選手会開催。その席で猪木自分が行ってきた行動について謝罪した。しかし、新選会長となった大木は翌12月6日猪木処分議決する発表12月6日 - 茨城県立スポーツセンター体育館移動する直前に、選手会が「猪木選手会から除名したので、水戸大会以降猪木出場させないでほしい。出場させるであれば、全選手水戸大会欠場する」と芳の里連判状提出。但し、山本小鉄署名しなかった。芳の里は、「プロモーターに迷惑がかかる。シリーズ終了後猪木処分決定する」と返答した猪木山本から、猪木除名決議が行われることを聞かされる当日水戸宿泊予定だったが、予定変更して当日帰京12月7日 - 札幌中島スポーツセンター大会のため選手札幌移動したが、猪木山本ユセフ・トルコと共に航空便宿泊先別にするなどの行動を取る。 12月8日 - 札幌から帰京後猪木入院し、残る日程欠場12月9日 - 大阪府立体育館にて、坂口征二猪木に代わって、ドリー・ファンク・ジュニアNWA世界ヘビー級王座挑戦カード変更に伴いチケット払い戻し処置取られたが、払い戻し行った観客少数であった12月10日 -この時点猪木除名処分社内決定しており、12月13日記者会見向けて準備が進む。 12月11日 - 猪木山本練馬区ボウリング場呼び出し、その席で山本猪木との共闘宣言する12月12日 - 『'71ワールド・チャンピオン・シリーズ』の全日終了12月13日 - 代官山にあった日本プロレス興業猪木除名に関する記者会見開かれる芳の里社長大木選手会長平井義一日本プロレス協会会長会見で、「猪木日本プロレスから除名追放する理由日本プロレス乗っ取ろう計画し会社の重要書類無断持ち出した」「馬場責任問わない」と会見した選手会全員署名捺印による猪木除名決議書が提出されたことを明らかにした。これに伴い猪木日本プロレスから除名された。記者会見後、大木坂口小鹿などの選手祝杯上げていたという(馬場上田欠席していた)。 12月14日 - 猪木京王プラザホテル反論会見開き会見猪木は、日本プロレス対す法廷闘争辞さないことを示唆した日本プロレス同日に、「日本プロレス日本プロレス追放するメンバーを他にも決めていた」などと会見した同時に藤波辰巳木戸修日本プロレス退団ユセフ・トルコ日本プロレスから謹慎処分を受ける(トルコ1972年1月12日付で日本プロレス解雇)。 12月15日 - 芳の里から自宅謹慎言い渡されていた山本が、これを不服として日本プロレス退団1972年1月13日 - 猪木新日本プロレスリング株式会社会社登記手続きを行う。 1月26日 - 猪木京王プラザホテル新日本プロレス設立会見を行う。 3月6日 - 新日本プロレス旗揚げいずれにせよ、この事件発端となり馬場猪木決裂決定的なものとなり、「新日本プロレス」を旗揚げした猪木、「全日本プロレス」を起こした馬場日本プロレスから離脱、客の呼べる両エース中継行っていた日本テレビNETテレビ(現・テレビ朝日)をそれぞれ失った日本プロレス崩壊した慎重派といわれた馬場は、この事件についてその後一切語らず以降信頼関係第一に考えようになった。「裏切り者」の汚名きせられ猪木は、以降攻撃的な策士の面をみせる一方でその行動にはスキャンダル付きまとった元来お人好し馬場より猪木と気が合ったといわれる上田は、以降孤独の身となりフリーとして悪役レスラー貫き通したユセフ・トルコの話では、札幌大会選手会猪木襲撃する計画があったという。最終的に猪木は、本来の控室ではなくトルコ用意した別の控室向かったために難を逃れている(本来の控室には選手がすでに待ち伏せていた)。 後に上田は、「あの時、私は裏切り者にされた。一度猪木経緯説明したい。いかに私が日本プロレス幹部からいじめられていたことを…」と雑誌インタビュー答え自身引退興行の際にも「猪木さんにお詫びしたい」と語ったといわれ、後に和解したものの、猪木は「追放され事実よりも仲間だと思っていた上田の裏切りに深く傷ついた」と語っている。 猪木側に付いていた山本小鉄は、「こんな事があろうがなかろうが、馬場猪木遅かれ早かれ決別していた」と語っている。また1992年大熊元司没した際、上田不信感を抱く馬場大熊訃報すら伝えなかったため、上田は「祝儀不祝儀付き合いも断つのか」と涙ながらに激怒した

※この「密告事件」の解説は、「上田馬之助 (プロレスラー)」の解説の一部です。
「密告事件」を含む「上田馬之助 (プロレスラー)」の記事については、「上田馬之助 (プロレスラー)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「密告事件」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「密告事件」の関連用語

密告事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



密告事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの上田馬之助 (プロレスラー) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS