密命説に否定的な意見とは? わかりやすく解説

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密命説に否定的な意見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:32 UTC 版)

赤穂事件」の記事における「密命説に否定的な意見」の解説

一方宮澤誠一は、(2)(3)により、寺坂と忠左衛門には「何か二人の間で個人的に複雑な事情についての了解があったのかもしれない」としつつも、密命に対して批判的で、その理由として以下の二つ挙げている。 第一に、仮に内蔵助や忠左衛門寺坂をかばうためにあえて嘘をついているにしても私信にまで「欠落」したと書く必要はないはずである。寺坂とは直接関係がないと思われる四十七士一人三村次郎左衛門すらも泉岳寺で母にあてて書いた手紙に、寺坂立ち退いた旨を述べている。 第二に、そもそも討ち入り終わった時点浅野大学らに密かにどうしても伝えなければならない事柄果たしてあるのか疑問である。仮にあったとしても、浅野大学差し置きになったときすら主家累が及ぶのを恐れて会うのを避けたほど慎重な内蔵助が、討ち入り顛末知らせ使者立てるとは思えない。また内蔵助大石無人三平書簡出し死後の供養を頼むとともに芸州上方へも仰せ遣わされ下さるべく候」と述べている。つまり危険を冒して寺坂派遣するまでもなく、無人三平言伝を頼むなど、もっと安全な方法討ち入り報告ができたはずである。 佐々木杜太郎宮澤誠一と同様、浅野大学差し置きの際にすら会うのを避けた内蔵助寺坂浅野大学瑤泉院への報告に使うはずがないとして密命説を退けている。 八木哲治も寺坂密命をおびて広島浅野大学のもとに行ったという説を退けている。前述のように寺坂の孫は『寺坂信行私記』に寺坂芸州広島行ったと書いているものの、伊藤十郎太浩行寺坂から聞き書きした史料には広島行ったとは書いていない。寺坂の孫と違い伊藤寺坂をかばう立場にはない事を考えると、伊藤聞き書きの方が信用でき、寺坂広島行っていないと見る方が自然ではないか八木哲治は述べている。史料から確実に言えるのは寺坂討ち入り後、吉田忠左衛門の娘と孫がいる播磨国亀山向かった事だけである。 山本博文寺坂の孫が書いた(6)文章関し足軽身分が「内匠頭殿」と書くはずがないとして(6)を孫による弁明なのだと解釈している。 また『寺坂信行私記』は『寺坂信行自記』に加筆し作られたものだが、加筆部分例え寺坂の名前の入った口上書など、寺坂討ち入り参加した事を証拠づける意図見え隠れするものが多い。したがって前述芸州広島行ったとする加筆も、寺坂作為解釈するべきであろう。 なお前述した伊藤による聞き書きには、「大石から播磨に向かうように言われたので、皆が泉岳寺から仙石邸にいくのを見届けて播磨行った」という趣旨の事が記載されているが、前述のように寺坂泉岳寺行っていない可能性が高いので、これも寺坂作為がある弁明であると考えられる。 さらに言えば前述のように寺坂泉岳寺引き上げ早い段階姿を消していると考えられ大石播磨にいくよう説得する暇がなかったと思われる。 また密命説では寺坂身分低かったから寺坂報告役に選んだとするが、大石身分が低いものの討ち入り参加歓迎しており、身分が低い事で差別される事はなかったのではないか八木哲治は述べている。

※この「密命説に否定的な意見」の解説は、「赤穂事件」の解説の一部です。
「密命説に否定的な意見」を含む「赤穂事件」の記事については、「赤穂事件」の概要を参照ください。

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