金曜1部時代
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「鴻上尚史のオールナイトニッポン」の記事における「金曜1部時代」の解説
1987年11月13日深夜 - 東京都墨田区内のコンビニにおいて、放送終了後の28時(午前4時)から鴻上と集まったリスナー200人で「コンビニエンスストア荒らし」決行。コンビニの中の在庫が空っぽになるまで買い物をする企画。イベント中、その時間帯に放送していた「久本雅美のオールナイトニッポン」に鴻上が電話で出演。スタジオの久本から「そんなことして何が楽しいの?」と言われる。 1988年1月1日深夜 - 金曜2部の久本と共に29時(午前5時)まで4時間通しての放送。27時(午前3時)までは久本、以降は鴻上が外回り中継を担当。 1988年1月8日深夜 - パノラマエクスプレスを貸切、「チップスカンパニー号ミッドナイトトレイン」と称して、136人のリスナーを乗せ、車内から2時間の生放送を行う。25時10分(午前1時10分)に新宿駅を出発、途中日野駅、八王子駅、高尾駅に停車した後、26時45分(午前2時45分)に大月駅到着。途中通過駅でも見送るリスナーの姿があった。なお、トンネル内などからは電波が届きにくい事が考えられたため、それに備えて金曜2部の久本雅美がニッポン放送のスタジオでスタンバイしていた。 1988年1月15日 - 「10回クイズ ちがうね!」ニッポン放送出版・扶桑社より発売。同日深夜、本書の話で盛り上がる。 1988年2月26日 - 鴻上とデーモン閣下による「10回クイズ」カセット版が発売。同日深夜、南野陽子がゲスト出演。「信玄のハナクソ」コーナーで「ハナクソ」という言葉を連発する。放送日が新曲の発売日である「吐息でネット。」が流れる。 1988年4月1日 - 「ドラゴンクエストIII」のエンディング・テーマ「そして伝説へ…」のジャケット写真撮影をニッポン放送のラジオハウス銀河にて怪物に扮装したリスナー17人とともに鴻上も扮装して行なう。同日深夜、この様子を番組内で語る。 1988年4月29日深夜 - バンド、LAUGHIN’ NOSEがゲスト出演。 1988年5月13日深夜 - 映画「木村家の人びと」プロモーションのため、サンプラザ中野と滝田洋二郎監督ゲスト出演。中野は7ヶ月振りの同時間帯出演となった。爆風スランプの歌う主題歌「きのうのレジスタンス」オンエア。 1988年5月20日深夜 - 「そして伝説へ…」初オンエア。清水ひとみゲスト出演。 1988年5月27日深夜 - 演歌歌手、鏡五郎の息子からのハガキが紹介される。ここから「鏡五郎の息子」プロジェクトが始まる。 1988年6月17日深夜 - 工藤静香ゲスト出演。当時発売された新曲「FU-JI-TSU」オンエア。2時台、尾崎豊「太陽の破片」オンエア。 1988年6月21日 - 「そして伝説へ…」発売。 1988年7月1日深夜 - 「そして伝説へ…」がオリコン初登場29位という“快挙”を果たし、三宅裕司・上柳昌彦から「驚いちゃうよな」「信じられないよ」などと言われたことを語る。 1988年7月29日深夜 - 銀座のローソンに150人のリスナーを集め「落書きの天才」イベントを行う。南野陽子、2度目のゲスト出演。 1988年8月12日深夜 - 「夏休みトンデモはねてる放送局・鴻上尚史のオールコンビニエンスストアニッポン」と題して25時(午前1時)から29時(午前5時)までの4時間生放送。 1988年8月12日〜8月18日 - 代々木駅に「落書きの天才」コーナーで集まったリスナーの落書き作品136枚を展示。のちに、「ストリート・アート・ブック」として番組のノベルティになる。 1988年9月2日深夜 - 鴻上、「第三舞台」大阪公演・演出中のためネット局のラジオ大阪から生放送。鏡五郎が電話出演。何故か自分の持ち歌「おしどり人生」ではなく「そして伝説へ…」を歌う。鏡五郎の息子の芸名がズバリ「鏡五郎の息子」と決まる。翌週以降、「鏡五郎の息子」楽曲制作進捗が随時番組内で放送される。番組のジングルを制作したクレヨン社が作曲を担当することが発表された。 1988年12月2日 - 鏡五郎の息子の曲「Jrからの手紙」ジャケット写真撮影をニッポン放送のラジオハウス銀河で行なう。リスナー91人がお玉(オタマジャクシはカエルの子=二世の意)を持ち参加。同日深夜、鏡五郎・鏡五郎の息子・南野陽子(3回目)がゲスト出演。 1988年12月31日深夜 - 大晦日スペシャルとして、ニッポン放送正面玄関より鍋を煮立てながら生放送。リスナーに「具を持って来い」と呼びかける。当時ニッポン放送の金曜夜に放送していた「TOKYOベストヒット」の生放送を終え出てきた関根勤、田中律子らを番組に出演させる。鏡五郎の息子とその母親が広島のカキを持って訪れる。鴻上は「そして伝説へ…」を歌い、封印宣言。 1989年1月20日深夜 - 「Jrからの手紙キャンペーン」として、東京都江戸川区内のレコード店から生放送。鏡五郎の息子が「Jrからの手紙」を集まったリスナー300人と合唱。鏡五郎が自身の曲「おしどり人生」のノベルティ・手拭いを配布。封印宣言したはずの鴻上、再び「そして伝説へ…」を歌う。この時が最後の披露となった。 1989年1月21日 - 「Jrからの手紙」発売。8cmCD、シングル・カセットで発売。カップリング曲は「もしも親父がメジャーなら」。 1989年2月20日 - 書籍「脳みそパニック究極の選択」ニッポン放送出版・扶桑社より発売。 1989年3月3日深夜 - ニッポン放送ラジオハウス銀河で「究極の選択」公開生放送。大勢の観客と共に番組は終始大盛り上がりを迎える。番組終盤、CM明けの午前2時45分、この番組が3月を以て終了することが鴻上より発表。リスナーに謝辞を述べる。発表後、鴻上の曲紹介により中村雅俊「いつか街で会ったなら」がフルコーラス流れる。 1989年3月31日深夜 - 最終回。ゲストに翌々週4月14日深夜より同時間帯を担当するウッチャンナンチャンがゲスト出演。ラストは「泣かないように、負けないように、いい夢を見てください」の言葉で締め括る。
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