金曜1部時代とは? わかりやすく解説

金曜1部時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:20 UTC 版)

鴻上尚史のオールナイトニッポン」の記事における「金曜1部時代」の解説

1987年11月13日深夜 - 東京都墨田区内のコンビニにおいて、放送終了後の28時(午前4時)から鴻上集まったリスナー200人で「コンビニエンスストア荒らし決行コンビニの中の在庫空っぽになるまで買い物をする企画イベント中、その時間帯に放送していた「久本雅美のオールナイトニッポン」に鴻上電話出演スタジオ久本から「そんなことして何が楽しいの?」と言われる1988年1月1日深夜 - 金曜2部久本と共に29時(午前5時)まで4時通して放送27時(午前3時)までは久本以降鴻上外回り中継担当1988年1月8日深夜 - パノラマエクスプレスを貸切、「チップスカンパニー号ミッドナイトトレイン」と称して136人のリスナー乗せ車内から2時間生放送を行う。25時10分(午前1時10分)に新宿駅出発途中日野駅八王子駅高尾駅停車した後、2645分午前2時45分)に大月駅到着途中通過駅でも見送るリスナーの姿があった。なお、トンネル内などからは電波届きにくい事が考えられたため、それに備えて金曜2部久本雅美ニッポン放送スタジオでスタンバイしていた。 1988年1月15日 - 「10回クイズ ちがうね!」ニッポン放送出版扶桑社より発売同日深夜本書の話で盛り上がる1988年2月26日 - 鴻上デーモン閣下による「10回クイズカセット版発売同日深夜南野陽子ゲスト出演。「信玄のハナクソコーナーで「ハナクソ」という言葉連発する放送日新曲発売日である「吐息でネット。」が流れる。 1988年4月1日 - 「ドラゴンクエストIII」のエンディング・テーマ「そして伝説へ…」のジャケット写真撮影ニッポン放送ラジオハウス銀河にて怪物扮装したリスナー17とともに鴻上扮装して行なう同日深夜この様子を番組内で語る。 1988年4月29日深夜 - バンド、LAUGHIN’ NOSEゲスト出演1988年5月13日深夜 - 映画木村家の人びとプロモーションのため、サンプラザ中野滝田洋二郎監督ゲスト出演中野は7ヶ月振り同時帯出となった爆風スランプの歌う主題歌きのうのレジスタンスオンエア1988年5月20日深夜 - 「そして伝説へ…」初オンエア清水ひとみゲスト出演1988年5月27日深夜 - 演歌歌手鏡五郎の息子からのハガキ紹介されるここから鏡五郎の息子プロジェクトが始まる。 1988年6月17日深夜 - 工藤静香ゲスト出演当時発売され新曲FU-JI-TSUオンエア。2時台、尾崎豊太陽の破片オンエア1988年6月21日 - 「そして伝説へ…」発売1988年7月1日深夜 - 「そして伝説へ…」がオリコン初登場29位という“快挙”を果たし三宅裕司上柳昌彦から「驚いちゃうよな」「信じられないよ」などと言われたことを語る。 1988年7月29日深夜 - 銀座ローソン150人のリスナー集め落書き天才イベントを行う。南野陽子2度目ゲスト出演1988年8月12日深夜 - 「夏休みトンデモはねてる放送局鴻上尚史のオールコンビニエンスストアニッポン」と題して25時午前1時)から29時(午前5時)までの4時生放送1988年8月12日8月18日 - 代々木駅に「落書き天才コーナー集まったリスナー落書き作品136展示。のちに、「ストリート・アート・ブック」として番組ノベルティになる。 1988年9月2日深夜 - 鴻上、「第三舞台大阪公演演出中のためネット局ラジオ大阪から生放送鏡五郎電話出演何故か自分持ち歌おしどり人生ではなく「そして伝説へ…」を歌う。鏡五郎の息子芸名ズバリ鏡五郎の息子」と決まる。翌週以降、「鏡五郎の息子楽曲制作進捗随時番組内放送される番組のジングル制作したクレヨン社作曲担当することが発表された。 1988年12月2日 - 鏡五郎の息子の曲「Jrからの手紙ジャケット写真撮影ニッポン放送ラジオハウス銀河行なうリスナー91人がお玉オタマジャクシカエルの子二世の意)を持ち参加同日深夜鏡五郎鏡五郎の息子南野陽子3回目)がゲスト出演1988年12月31日深夜 - 大晦日スペシャルとして、ニッポン放送正面玄関より鍋を煮立てながら生放送リスナーに「具を持って来い」と呼びかける当時ニッポン放送金曜夜に放送していた「TOKYOベストヒット」の生放送終え出てきた関根勤田中律子らを番組出演させる鏡五郎の息子とその母親広島カキ持って訪れる。鴻上は「そして伝説へ…」を歌い封印宣言1989年1月20日深夜 - 「Jrからの手紙キャンペーン」として、東京都江戸川区内のレコード店から生放送鏡五郎の息子が「Jrからの手紙」を集まったリスナー300人と合唱鏡五郎自身の曲「おしどり人生」のノベルティ手拭い配布封印宣言したはずの鴻上、再び「そして伝説へ…」を歌う。この時が最後披露となった1989年1月21日 - 「Jrからの手紙発売8cmCDシングル・カセット発売カップリング曲は「もしも親父メジャーなら」。 1989年2月20日 - 書籍脳みそパニック究極の選択ニッポン放送出版扶桑社より発売1989年3月3日深夜 - ニッポン放送ラジオハウス銀河で「究極の選択公開生放送大勢観客と共に番組終始大盛り上がり迎える。番組終盤CM明け午前2時45分、この番組3月を以て終了することが鴻上より発表リスナー謝辞を述べる発表後鴻上曲紹介により中村雅俊いつか街で会ったなら」がフルコーラス流れる。 1989年3月31日深夜 - 最終回ゲスト翌々週4月14日深夜より同時間帯を担当するウッチャンナンチャンゲスト出演ラストは「泣かないように、負けないように、いい夢を見てください」の言葉締め括る

※この「金曜1部時代」の解説は、「鴻上尚史のオールナイトニッポン」の解説の一部です。
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