南北戦争と鉄道とは? わかりやすく解説

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南北戦争と鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:29 UTC 版)

アメリカ合衆国の鉄道史」の記事における「南北戦争と鉄道」の解説

19世紀半ばアメリカでは工業発達して保護貿易望んでいた北部と、プランテーション農業産業中心輸出のために自由貿易望み大農場での労働力確保のために奴隷制維持主張する南部対立するようになっていった。北部主張に基づく政策唱えたリンカーン1861年大統領当選する至り南部諸州アメリカ合衆国から脱退してアメリカ連合国結成宣言し南北戦争開始された。 南北戦争では、実用化されて間もない鉄道と電信技術大きな役割果たしたそれまで軍隊集結させるにはまず伝令送って命令伝え、それから徒歩騎乗兵士移動してきて、さらに休息取ってからようやく軍事行動が可能となっており、移動距離にもよるがかなり長い時間かかっていた。しかし電信一瞬命令伝達し、さらに鉄道大きな兵力極めて短時間移動させて、しかも疲れないので休息なしに即時軍事行動を可能とした。イギリスプロイセン王国などは観戦者を送り込み南北戦争様相その後20世紀半ばまでの軍事行動基本となったこのため南北戦争は"The First Railroad War"とも呼ばれる。 しかし南北鉄道には大きな差異があった。これは南部では農業中心経済であったため、農村輸出港を結ぶだけの交通路があれば十分で、それも凍結悩まされることが少な南部では水路の船や馬車十分なことが多く北部ほど鉄道への要求強くなかったことが理由として挙げられる開戦時点で北部には約21,000マイル(約33,600 km)、南部には約7,000マイル(約11,200 km)の鉄道があり、3倍に達す延長距離の差があるだけではなく車両数にも大きな開きがあった。フィラデルフィアピッツバーグを結ぶ北部鉄道使用されていた車両の数は、南部でもっとも鉄道発達したバージニア州全体よりも多かった鉄道網構造でも、北部乗換積み替えなしに長距離移動できるように統合されていたのに対して南部軌間がばらばらで何度も乗換が必要で、乗換駅は1マイル以上も離れたところに存在していることがあった。北部鉄道では燃料石炭への転換進んでいたのに対して南部ではまだ木材燃料主流であった南部鉄道北部発達した工業全面的に依存しており、ほとんどすべての部品北部からの供給頼っていた。南部にはわずかに1つしか機関車工場がなく、数少ない修理工場一部除いて開戦後武器弾薬生産転用せざるを得ず十分な予備部品備蓄もなかった南部鉄道維持苦しむことになった線路貧弱で、の害のあまりない南部ではバラスト敷設した軌道少なくほとんどは地面直接レール敷かれており、レール幹線でようやくレール使用されていた程度支線多くがまだストラップアイアンつきの木製レールであったレール製造もほとんどできなかったために、戦争破壊され鉄道復旧するには重要性の低い路線撤去してレール持ってくるしかなかった。鉄道途切れた所をつなぐ法案南部連合国議会承認受けたものの、レール労働力不足し鉄道会社間の利害対立もあってほとんど進まなかった。開戦時点でも南部列車25マイル毎時 (40 km/h) を超えることはまずなかったが、戦争終結時点では10マイル毎時 (16 km/h) で走るのがやっとになっていた。戦闘では互いに相手方鉄道破壊が行われたが、強大な工業力に支えられ北軍迅速に鉄道復旧することができた。 鉄道統制においても南北には大きな差異があった。リンカーン大統領新し法律制定し合衆国軍鉄道英語版)を1862年設立し陸軍長官エドウィン・スタントン合衆国軍鉄道最高責任者にダニエル・マッカラム(英語版)を任命したまた、陸軍省軍用鉄道建設と運用担当する局が設置され、その局長にかつてペンシルバニア鉄道主任技術者務めたハーマン・ハウプト(英語版)が任命された。ハウプトが率い部隊破壊され鉄道素早く復旧して前線にいる部隊への兵站支えた。軍とハウプトの間で鉄道指揮権権限巡って争い起きることもあったが、次第鉄道の運行に関しては軍の指揮官よりも鉄道管理者命令優先されるべきとの慣行確立されていった北部鉄道戦争中であっても国有化されたわけではなくそれぞれ利益のために運営されていたのであるが、合衆国軍鉄道監督下に互いによく協力して軍事輸送支えていた。一方南部では、もともとアメリカ連合国自体中央政府からの干渉少なく各州自治尊重するという主張基づいて作られたものであったため、新たに鉄道運営監督統合する組織作ろうとする提案手ひどい反対受けた必要に迫られて、主要な鉄道国有化し鉄道運営建設修復計画統合するという法案ジェファーソン・デイヴィス大統領署名したのは、アメリカ連合国崩壊する寸前1865年3月9日のことであった南北両軍とも鉄道と電信活用軍事行動において重要な位置占めたこのため互いに相手鉄道と電信妨害しようとする活動活発に行われた南北戦争最大戦いと言われる1863年ゲティスバーグの戦いも、南軍ロバート・E・リー将軍中西部の州からの食料供給遮断することを狙って鉄道拠点となるこの地に侵攻したことから生起したものであった。しかし南部鉄道網不備南軍行動大きく制約し、鉄道輸送力不足しているためにバージニア州前線にいる兵士飢えているのに、すぐそばのノースカロライナ州では積み上げられ食料腐っていく状況で、食料状況改善のために一部部隊分散させなければならないほどであった北軍のジェームズ・アンドリュース(英語版)はスパイとして南部支配地域潜入し、その指揮下の部隊とともに南部側の蒸気機関車ゼネラル号」を奪って逃走し、その行程線路対す破壊行為企てた車掌のウィリアム・ファラー(英語版)は逆行運転の「テキサス号」を使ってゼネラル号を追いかけ追跡妨害するためにアンドリュース貨車線路上に放置したレール撤去したりしているところを乗り越えて北部支配地域逃げ込む前に燃料切れ立ち往生したところでアンドリュース一団捕まえることに成功したアンドリュースにとって不運だったのは、直前降っていて木造濡れており、思うように火がつかず破壊失敗したことであったアンドリュースは後にスパイとして絞首刑となった。このエピソードは「機関車大競走英語版)」として知られる西部戦線指揮する南軍ブラクストン・ブラッグ将軍は、北軍ウィリアム・ローズクランズ将軍軍隊押されテネシー州チャタヌーガからの撤退強いられたブラッグ援軍を送るために、南軍は843マイル (1,348.8 km) 離れたバージニア州ハノーバー・コートハウス(英語版)から12,000人の兵士鉄道7日10時間かけて輸送した。これにより形勢逆転してローズクランズは撤退したが、一方でローズクランズも電信援軍要請した。この電信受けて早速ゲティスバーグ駐屯していた部隊援軍として送られた。こちらは25,000人の兵士が1,233マイル (1,972.8 km) の距離を14日移動し、しかもこれには砲兵含まれていた。鉄道以前であればゆうに3か月かかったであろう兵力の展開をわずか2週間終えて北軍はローズクランズを救援することに成功したこのように南北両軍とも鉄道による兵力機動最大限活用した1863年には南部鉄道荒廃は深刻となり、輸送には大変な時間要するようになり始めた機関車不足のために貴重な物資積んだ貨車側線放置されたままとなり、一般貨物輸送障害生じて鉄道員輸送引き受けリベート要求するような事態発生した。軍は鉄道管轄下に置こうとしたが、鉄道会社州政府に訴えてこれを撤回させるといった衝突発生した大軍が一か所に集中する食料不足は深刻となり、大量食糧輸送計画されたが、南部の荒廃した鉄道はその大輸送耐えることができず、一般旅客輸送削減までが深刻に検討される事態となった1864年になると、北軍西部戦線指揮官であったウィリアム・シャーマン将軍深南部への侵攻開始し南部経済枢要地であるジョージア州アトランタ攻略してさらにサバンナまで海への進軍実行した。この過程シャーマン肥沃なジョージア州徹底的に破壊しつくしたが、本当に軍事的な偉業であったのはシャーマン指揮する10万兵力と3の馬を支え兵站であった南軍撤退時に鉄道徹底的に破壊して去っていたが、合衆国軍鉄道は8,000人の人員投入して迅速に鉄道復旧していき、シャーマン部隊への補給継続した。この進軍により南軍前線部隊への補給物資供給線が絶たれアメリカ連合国壊滅時間の問題となった連合国首都であったバージニア州リッチモンドへの入口となるピーターズバーグめぐっては、リッチモンド・ピータースバーグ方面作戦展開され長期間にわたる塹壕戦となった。これは第一次世界大戦広く用いられ塹壕戦さきがけとなり、前線のすぐ手前まで鉄道による輸送が行われた。また砲を直接貨車載せて前線へ投入することも行われた有名なものが13インチ列車臼砲通称ディクテーター」である。南北戦争事実上終わらせることになったアポマトックス・コートハウスの戦いでも鉄道重要な要素であった追い詰められ補給物資至急必要としていたリー将軍部隊は、補給品運んできた列車北軍の手落ちたことで、降伏決断することになった。 この戦争では、しばしば「の馬」と称される機関車が、従来戦争不可欠であった馬匹かわってその地位占めたことが明確になった。それまでなら何週間も何か月かかっていた機動が、鉄道ではわずか数時間完了し迅速に前線兵力送り込むことができた。鉄道24時間365日いつでも利用できる交通機関であり、船のように天候冬期凍結左右されなかった。馬車輸送力では兵站は不完全で、兵士占領地で広い範囲散開して食料徴発を行わなければならず、これは時間浪費し占領地荒廃もたらし、しかも軍紀を乱すことにもなった。鉄道では常に食料弾薬十分に送り届けることができるようになり、こうした恐れ解消された。重い砲も配備することができるようになり、これは戦死者増加もたらすことにもつながったイリノイ州アイオワ州などアメリカ合衆国中西部の諸州には、南部主張同情的な人々多く開戦時点で北部諸州中西部諸州が南部につくのではないか恐れていた。しかしこれらの州は鉄道で密接に東部大都市結ばれており、経済的に緊密な関係があったために合衆国残留した。これらの州で生産される大量食料東部大都市支えと共に南軍との前線対峙する北軍へも潤沢供給された。シカゴ・アンド・ノース・ウェスタン鉄道開業皮切りに多く鉄道接続して大都市として発展し始めていたシカゴはこの食料供給拠点ともなり世界最大市場のある都市として地位固めていった。鉄道北部連帯固めた経験は、後にカリフォルニア州までを結ぶ大陸横断鉄道構想へとつながっていく。 南部黒人奴隷たちは、地下鉄道呼ばれる秘密結社通じて自由を求めて北部逃亡していた。この地下鉄道物理的に地下走っているわけではなく逃亡中の隠れ家を駅、案内する人を車掌逃亡する奴隷乗客などと鉄道用語呼んだことから来ている。

※この「南北戦争と鉄道」の解説は、「アメリカ合衆国の鉄道史」の解説の一部です。
「南北戦争と鉄道」を含む「アメリカ合衆国の鉄道史」の記事については、「アメリカ合衆国の鉄道史」の概要を参照ください。

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