南北戦争と黒人奴隷の「解放」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:08 UTC 版)
「アフリカ系アメリカ人公民権運動」の記事における「南北戦争と黒人奴隷の「解放」」の解説
アメリカに送られた奴隷の多くは、奴隷主との「奴隷契約」のもと、農業中心のプランテーション経済が盛んな南部で先住移民である白人の所有する綿花農場などで、過酷な条件の下で働かされていた。 しかしその後、奴隷制度の存続についての議論が盛んになったことで、1860年11月に行われた大統領選挙では奴隷制が争点のひとつになり、奴隷制の拡大に反対していた共和党のエイブラハム・リンカーンが当選した。 これに対して奴隷制度存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で1861年に「南北戦争」が始まった。 南北戦争は奴隷制度の存続に批判的な北部が勝利する形で1865年に終結し、その後奴隷出身のフレデリック・ダグラスの尽力もあり、連邦議会が奴隷制度廃止や公民権の付与、黒人男性への参政権の付与を中心とした3つの憲法修正条項(アメリカ合衆国憲法修正第13条・14条・15条)を追加したことで、黒人奴隷の「解放」が表向きは実現したことになっていた。
※この「南北戦争と黒人奴隷の「解放」」の解説は、「アフリカ系アメリカ人公民権運動」の解説の一部です。
「南北戦争と黒人奴隷の「解放」」を含む「アフリカ系アメリカ人公民権運動」の記事については、「アフリカ系アメリカ人公民権運動」の概要を参照ください。
- 南北戦争と黒人奴隷の「解放」のページへのリンク