南北戦争と郵政長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:54 UTC 版)
「ジョン・レーガン」の記事における「南北戦争と郵政長官」の解説
アメリカ合衆国から離脱した南部諸州によりアメリカ連合国が設立されると、連合国臨時議会でジェファーソン・デイヴィスが初代大統領に選出された。デイヴィス大統領はレーガンを郵政長官に指名し、レーガンはそれを受諾した。郵政省においてレーガンは政治家としての優秀さを発揮し、南北戦争の交戦状態においてもアメリカ合衆国郵政省と連絡を取り合い、郵便サービスを継続した。レーガンの指揮した郵政省は、南北戦争の状況下でも有効に機能した連合国唯一の政府部門であった。 またレーガンはワシントンD.C.に多くの諜報員を派遣し、合衆国郵政省の各事務局に職員として送り込んだ。それらの諜報員はその後、合衆国郵政省の多くの記録、規約、帳簿などのコピーを持ち帰った。またレーガンは、デイヴィス大統領が各閣僚に対して各省の現状を報告するよう求めたとき、わずか6週間で報告書を仕上げて提出し、デイヴィス大統領を驚嘆させた。このようなレーガンの手腕について歴史学者のウィリアム・デイヴィスは、自らの著書の中で「レーガン長官は事実上、合衆国郵政省を盗んでいた」と記述している。 レーガンは手紙の輸送に使用する鉄道から、利用の少ない路線を廃止し、輸送にかかる費用の削減を図った。そして戦争が引き起こした様々な問題に丁寧に対処し、郵政省の収支を黒字に収めた。歴史学者のデイヴィスは、「連合国郵政省は、アメリカの歴史において利益を上げた唯一の郵便機関である」と述べている。 1865年4月2日、陥落直前の首都リッチモンドからデイヴィス大統領が逃走すると、同じくリッチモンドでジョージ・ミード率いるポトマック軍と対峙していたレーガンは、他の閣僚とともにデイヴィス大統領に同伴した。同年4月27日、疲労によりジョージ・トレンホルム財務長官が辞職・離脱すると、デイヴィス大統領はレーガンを財務長官に任命した。 そして5月10日、レーガンはジョージア州アーウィンヴィル近郊においてテキサス州知事フランシス・ラボックとともに拘束された。レーガンはアレクサンダー・スティーヴンズ副大統領とともにボストンのフォート・ワーレンに拘置された。8月11日、レーガンはテキサス州民に対して合衆国への協力、連保離脱会議の決議放棄、奴隷制の廃止を求める書面を発表し、武力をもってしてもこれらの要求を実現させると述べた。このためレーガンはテキサス州民から非難を受けたが、同年末に釈放され、テキサス州パレスタインに帰郷した。
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