保存機からの復元以後
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「国鉄D51形蒸気機関車498号機」の記事における「保存機からの復元以後」の解説
国鉄分割民営化後の1987年10月、JR東日本では「地域密着」をテーマに「蒸気機関車を復活して走らせよう」との動きが持ち上がった。折から横浜市の「みなとみらい21」地区で、1989年に開催される「横浜博覧会」の事務局から、品川 - 博覧会会場間をSL列車で運転したいと正式に申し入れがあり、これに間に合わせるためSLの復元計画がJR東日本内で正式に決まった。これにより、関東地方に保存されているさまざまな静態保存機をリストアップし、調査の結果、交通博物館に保存されていたC57 135が一番良く整備され保存状態の良い機関車であることが判明した。JR東日本はこのC57 135の復元を行おうとしたが、SLの代名詞的存在であり、最もポピュラーな「デゴイチ」を走らせることが、地域密着を図るうえで最も効果的であるという当時の社長住田正二の判断によって、C57 135の復元は見送られ、D51形を復元するという方針が決定した。改めて調査を行った結果、茨城県のD51 70とこのD51 498が同形式で最も状態の良かった機関車となった。そしてこの選択では、標準型である当機のスタイルが一番馴染み深く愛されるという理由で498号機が選ばれ、当機の動態復元が決定された。 1988年3月に後閑駅の静態保存場所から復線し、DD51形に牽引され高崎運転所へ、その後6月12日に同じくDD51形による牽引で大宮工場へと回送され、動態復元に向けた大掛かりな復元工事を11月25日までに完了した。その後、動態保存機として車籍が復活され、同日付で正式に高崎運転所に配属となっている。復元に際し、できるだけ原型に近付けるために前照灯(ヘッドライト)の変更(LP403→LP42)、デフレクターバイパス弁点検口の閉口、キャブ屋根延長部の切除、蒸気ドーム前方手摺りの小型化、テンダー重油タンクの小型化などの工事も行われている。また、ボイラー保護のため使用圧力を所定の15kg/cm2から14kg/cm2に下げて使用されている。運転速度も、メインロッドへの負荷を軽減するため、高崎地区での運用時は50km/hまでを最高運転速度としている。 当初予定されていた「横浜博覧会」での運転は、諸事情により中止となったが、その代わりに当時来日していた「オリエント急行'88」の国内ラストランに合わせ、上野 - 大宮間で当該列車を牽引し、復活記念の運転を行うことが決定された。1988年12月23日、EF58 61を補機として後ろに従え、前部本務機として先頭に立ち復活をアピールした。この運用に限り、テンダー側面には来日した「ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行」(NIOE) に使用されているワゴン・リ客車の側面エンブレムを模した特別塗装が施されていた。この際、後ろのEF58 61は赤羽駅での遅延回復による後押しを行った程度で、それ以外の区間はすべて当機の単独牽引によるものと語られている。 その後は車籍の再登録が行われ、「JR東日本の顔」として、主に上越線の「SL奥利根号」(後・「SLみなかみ」、現・「SLぐんま みなかみ」)を中心に、様々なイベント臨時列車に起用され、東日本全域で運転されている。特に注目されるものとしては、現役時代の縁の地である新潟地区にもC57 180の代行運転などとしても使用されることがあるなどが挙げられる。また、イベント列車以外でも高崎運転所(現・ぐんま車両センター)構内のほか、「SLぐんま みなかみ」使用区間の上越線高崎 - 水上間や「SL碓氷」(現・「SLぐんま よこかわ」)の信越本線高崎 - 横川間でSL運転士育成のための乗務員訓練運転に使用される機会も多い。 1989年6月には、同年8月31日にATS-P形が全線に導入されていた京葉線の蘇我 - 新木場間で、同機を使用した「SLコニカ号」 の運転のために保安装置(ATS-P形)の設置工事が大宮工場で行われ、テンダー後部に同装置の電源が追設され、本務機関士席の加減弁の上にATS-P形表示器が設置された。また、ATS-P形の専用車上子は先台車上部に設置された。なお、ATS-P形の車上子は1998年ごろに同装置の改良工事が行われ、カモフラージュ及び車上子保護を兼ねてスノープラウ(排雪器)の常備化を行っている。さらに、2000年代に入ってから仙台地区と新潟地区に普及している保安装置に対応するため、2006年12月にこれまで使用していたATS-SN形からATS-Ps形に改造・変更された。2010年春の中間検査B施工時では、防護無線装置の更新が図られ、首都圏地域で普及しているデジタル無線への置き換えが行われている。2013年4月の全般検査出場では、テンダーに変化が見られ、テンダー内部のタンク水容量の残存状況をデータ化するための装置が重油タンクとATS-P形電源箱の間に追設、ATS-P電源箱自体もそれに合わせて更新された。同時に冬季の旧型客車の牽引に備えて蒸気暖房設備の再整備を実施し、暖房ジャンパ管の取り付けが復活した。運転室内部では速度計の更新を実施、C61 20やC57 180同様、ATS-Ps形の速度検知に対応した電気式速度計となった。 また、LP402A形ヘッドライト(C57 180、C58 363などのLP-403とは違う。またC6120はヘッドライト、テンダー共にLP-402E)への交換(2002年)が行われている。この時、ヘッドライト上部に庇状の氷柱きりを装備した特殊なスタイルとされたが、2008年5月から7月にかけての中間検査A実行時で外され、より往年の状態に近いスタイルになった。なお、2015年5月には同15日に初めての夜間営業となった「SL YOGISHA碓氷」の運行のために、新たにLP405形ヘッドライト(シールドビームタイプ)を追加装備したが、副灯取り付け台座自体は動態復元以前から設置されている。2020年3月の全般検査出場時からは、暗所での照明範囲改良のため、双方のライトの設置角度が下に向くように変更されている。 正面のナンバープレートは復活時には赤地に金抜き文字で形式入りの大型のものであったが、1995年12月ごろに形式のない往年の状態のナンバープレートに取り替えられた。その後、赤や緑のものや青地に白抜き文字のものなど何種類かのナンバープレートを取り付けた状態も過去に見受けられた。赤は「奥利根」10周年の1999年と15周年の2004年に実施。緑も同じく2004年に高崎駅開業120周年記念事業として登場している。水色プレートは、2003年の「ELSLみなかみ物語号」で実現した。また、2007年12月の「SLみなかみ物語号」からは、同機の復活20周年を記念して赤ナンバープレートで運転していたが、2008年5月の「EL&SL奥利根号」で一旦通常の黒ナンバープレートに戻されている。その後、7月19日から9月17日まで連続して運行された「EL&SL奥利根号」および「SLみなかみ」(EL&SL奥利根号のSL区間のみに短縮した列車)では、期間限定で赤→青→黒(通常)→緑の4パターンでナンバープレートの色を塗り替えて運行されている。これは当時、水上地区とタイアップしたミニデスティネーションキャンペーンのイベント企画の一つでもあり、鉄道ファンの注目を浴びせるための配慮でもあった。なお、お盆期間に掲出された青色は、前述の「ELSL水上物語」のものとは若干異なり、濃い青地であった。 D51 498の汽笛の音(2004年1月から2006年5月まで、ならびに2016年6月より2019年5月まで) この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 D51 498の汽笛の音(2006年10月から2016年1月まで) この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 D51 498の汽笛の音(1995年12月から2004年1月まで) この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 当機の汽笛の音色は、復活以来5回以上に渡ってチューニングの変更がされており、復活蒸機の中では汽笛の音色のバリエーションが一番豊富となっている。というのも、当機の汽笛吹鳴は膨大な圧力がかかっており汽笛本体の消耗が一番激しいためで、特に検査入りの直前ではクラックが発生して汽笛吹鳴時にうまく鳴らなくなるなど、安全上の支障を来たす懸念も多い。そのため、変更時に本体そのものの交換が行われている場合もある。 その他の外観上の変化としては、2006年10月の全般検査出場の際、スノープラウの右下側に「D51498」と記されたペイントが施され、2007年2月の内房線、木更津 - 館山間の快速「SL南房総号」や千葉 - 木更津間の快速「SLちばDC号」の運行などで見られた。しかしながら、これは1年間限定であり、2007年10月の「EL&SL奥利根号」「SLみなかみ物語号」からはペイントが塗り潰され、通常仕様に戻されている。なお、復活初期にも一時期、大文字でスノープラウにペイントが記されていたこともある。 2010年4月28日には、鷹取工場式をイメージした長野工場式集煙装置の取り付け、および後藤工場式に準じた切取大型デフ後藤工式変形デフ(門鉄デフの一種)へ変更した形態で報道陣に公開され、いわゆる「重装備仕様」となった。この集煙装置および切取デフ(後藤工式変形デフ)は、同年5月29日から6月6日まで運転された「SLやまなし号」が甲府 - 小淵沢間で運転されるのに際し、連続25パーミルの急勾配かつ約1kmのトンネルが存在する新府 - 穴山間を通過するため、その対策を兼ねて新造・取り付けが行われたもの。これにより、D51 499に類似した形態となった。同時にキャブのナンバープレート下に取り付けられている製造銘板も新たに製作・交換されている。この形態で、同年4月29日の「SL碓氷」より営業運転を再開。また、2010年5月1日からの「SLみなかみ」からは、D51 499のデフに取り付けられていた後藤工場標準仕様車を示すプレートを摸した、JR東日本のマークを添えた動輪柄のシールがデフに追加された。「SLやまなし号」運転当日は、ファンサービスとして2008年夏で使用された4種類のナンバープレートが1日ごとにリレーし、29日に黒色、30日は青色、翌週5日に緑色、6日は赤色を掲出した。 この重装備スタイルはその後もしばらく維持されて、同年12月の「SL湯けむり号」、2011年春の「D51ばんえつ物語」、同年6月の「SL津軽路号」などの出張運転でも同スタイルでの運転となったが、同年7月から開幕する「群馬デスティネーションキャンペーン」に合わせて元のスタイルに戻された。ただし、再度重装備仕様で運行できるよう、集煙装置の取り付け用台座、および非公式側から操作できる集煙装置開閉ハンドルテコはそのまま残された(取り付け用台座は、ボイラーケーシングに溶接したため、綺麗に復元することが困難であるのも理由)。2013年4月の全般検査出場後も取り付け用台座と運転台ハンドルテコ挿入口はそのまま残存し、集煙装置取り付けの準備は確保されている。しばらく重装備仕様での運行はなかったが、2021年7月10日運転の「SL横川ナイトパーク」から翌週7月18日の「SLぐんま よこかわ」まで短期間ではあるが、10年ぶりに重装備仕様が復活した。 2022年3月12日のダイヤ改正による高崎車両センターの再編に伴い、高崎車両センター高崎支所がぐんま車両センターに改称されたため、区名札が「高」から「群」に差し替えられた。 ちなみに2010年以降、節目の年を迎えるにあたっての特別な装備などは以下のとおり実施されている。 2010年11月23日:「D51誕生70周年号」紫色ナンバープレート掲出 同機が翌24日を以って満70年を迎えるにあたっての装備。この日に運転された「SLみなかみ」の列車名を変更。 以降、2011年と2013年にも、似たような列車名(D51誕生記念号)としても走っているが、いずれも特製ヘッドマークを掲げただけとなっている。 2015年11月23日:「D51誕生記念号」赤色ナンバープレート掲出およびロッド赤色化 誕生75年を記念して、復活初期に見られたロッドの赤色塗装を復元。なお、同列車運転前の「SLみなかみ」では通常のナンバープレートに赤色のロッドというスタイルで運転されている。 当機は2018年11月に復活30年周年を迎え、それを記念して全般検査入場となる2019年5月までの半年間、復活当時に牽引した「オリエント急行'88」の装飾をリスペクトした30周年記念装飾をヘッドマーク・テンダーに施した。 D51 498のATSはP形・Ps形どちらも搭載(2006年12月24日 水上駅) D51 498の運転室内にあるP形・Ps形の表示器(2007年3月15日 村上駅) 「SL南房総号」(2007年2月12日 富浦駅) 「SL村上ひな街道号」(2007年3月18日 新発田駅) 給水中のD51 498 (2007年5月 水上駅) 快速「SLお座敷ゆとり号」(2006年3月26日上越線八木原 - 群馬総社間) (1993年2月東北本線) 「SLみなかみ物語号」(2007年12月 水上駅) 「D51復活20周年号」(2008年12月 水上駅) 集煙装置と後藤工場式に準じた切取デフを取り付けた姿(2010年7月3日) 集煙装置・後藤デフとともに新たに製作された製造銘板(2010年5月2日 水上駅) 「SL津軽路号」(2011年6月12日 青森駅) SLレトロ碓氷に充当される本機(2014年9月21日 横川駅)
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「台湾鉄路管理局DT668号機」の記事における「保存機からの復元以後」の解説
1984年3月に共に除籍となったCT273号機(C57形の同形機)と一緒に新竹機関区苗栗機関支区(現・新竹機務段苗栗機務分駐所)に留置されていたが、1993年8月に屏東県麟洛運動公園へ移設され、一般公開された。2000年に屏東県政府から台湾鉄路管理局へ返還され、彰化扇形庫にて静態保存されていたが、2010年12月13日には動態復元された。民国100年を迎えた2011年11月11日に復活運転が行なわれ、初運転は「新竹内湾支線」の六家線接続工事完成による全線運転再開の一番列車でもあった。
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