主な歴代の球団歌・応援歌
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「埼玉西武ライオンズ」の記事における「主な歴代の球団歌・応援歌」の解説
球団歌「地平を駈ける獅子を見た」(作詞:阿久悠/作曲:小林亜星/歌:松崎しげる/1979年発表、2018年リメイク発表) 応援歌「若き獅子たち〜ウィー・アー・ザ・ライオンズ」(作詞:門谷憲二/作曲:伊藤薫/歌:西武ライオンズ応援合唱団/1986年発表、ブルー・メガホンズ/1992年カヴァー発表) 「吠えろライオンズ」(作詞・作曲:石川優子/歌:成田洋明、ライオンズ応援合唱団/1996年発表、広瀬香美/2020年カヴァー発表) 「地平を駈ける獅子を見た」と同時期に発表された(同曲シングルレコード盤のB面に収録)応援歌「LET'S GO LIONS」(作曲・編曲:長戸大幸)もあるが、現在演奏される機会は少なくなっている。 福岡で球団創設してのちの1951年にチーム名がクリッパースからライオンズに変更して70周年に当たる2020年には、広瀬香美がカヴァーした「吠えろライオンズ」が6月9日にリリースされた。リニューアルにあたり、歌詞が「西武ライオンズ」から「埼玉西武ライオンズ」に改められている。 ホームラン編集部制作の「12球団全選手カラー百科名鑑」(日本スポーツ出版社→廣済堂出版→廣済堂あかつき)では、各球団を紹介する際に球団歌を掲載するのが基本であるが、西武に関しては応援歌である「吠えろライオンズ」の方を掲載している。 ほか文化放送が「文化放送ライオンズナイター」用の挿入歌としてばんばひろふみ・梶原しげる(当時同局アナウンサー)が歌う「Vのシナリオ〜吼えろライオンズ」という楽曲が1985年ごろに発表されているが、現応援歌の「吠えろライオンズ」とは同名異曲である。 福岡時代の主な球団歌「西鉄野球団歌(西鉄クリッパースの歌)」(1950年発表。サトウハチロー作詞・古賀政男作曲。古賀政男音楽記念館に楽譜・歌詞・再録音源が存在する。) 「西鉄ライオンズの歌」(1951年発表。1958年の主力選手=稲尾和久、豊田泰光らが歌った音源も存在する。) 「君こそライオンズ」(1974年発表。西郷輝彦 太平洋→クラウン時代。今陽子が歌った未発売音源も存在する。) 「惚れたぜライオンズ」(1975年発表。中村基樹=当時RKB毎日放送アナウンサー 太平洋時代) 「ぼくらの憧れライオンズ」(子門真人・少年ライオンズ 太平洋時代。シングルレコード盤「惚れたぜライオンズ」のB面に収録。)
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主な歴代の球団歌・応援歌
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「東京ヤクルトスワローズ」の記事における「主な歴代の球団歌・応援歌」の解説
2016年現在、球団公式サイトには応援ソングとして「We Are The Swallows」のみが掲載されている。 アトムズ - ヤクルトアトムズ時代 アトムズマーチ(1969年製作。1970年にヤクルトアトムズとなったとき歌詞を一部変更した。歌手は1969年のものがボニー・ジャックス、1970年の歌詞変更バージョンは砂川啓介) ヤクルトスワローズ時代 とびだせヤクルトスワローズ(歌:松岡弘) - 初代の球団公式応援歌。新とびだせヤクルトスワローズ(大洋ホエールズが横浜ベイスターズにチーム名を改めたのに伴い、関連する箇所の歌詞を変更したヴァージョン) スワローズ賛歌(歌:坂上二郎) ビクトリーロード(歌:ILYS(アイリス)) - 神宮球場で勝った場合、最後に場内で流す曲。1980年代頃と、2000年前後に流されていた。現在は使われていない。1978年9月発売。 ディスコ翔べスワローズ! - 1979年5月発売。当時のディスコブームに乗って発売された。 スワローズ音頭 - 1983年4月発売。メインボーカルは坂上二郎、荒木大輔・松岡弘・梶間健一・尾花高夫・大矢明彦・角富士夫・大杉勝男・若松勉らのスワローズ選手がコーラスを務めている。 君こそヒーロー - 「スワローズ・ビクトリー・マーチ」。球場では、ドリマトーンの演奏で使われたが、実際の曲は優勝セレモニーなど特別な場合以外は流されなかった。2006年以降、応援団によって四死球による出塁・盗塁成功時などのテーマとして使われていたが、2012年からは試合前、攻撃前に流される形式に変更されている。 青春のダイヤモンド - スワローズの球団歌。 ラッキー・セブンの歌 - 1995年9月1日発売。 Field Of Dreams (Beat Park Anthem) - 2005年9月21日発売。F-Projectの一環として作成。ZeebraとG.K.MARYANによるパフォーマンス。曲はZeebraのStreet Dreamsと同一で歌詞だけが変更され球団応援になっている。曲中に「ヤクルト」「スワローズ」という単語が現れないが、「東京音頭」「神宮」「神宮外苑」という単語が出現し、また「とびだせヤクルトスワローズ」の冒頭の一節が使われている。 東京ヤクルトスワローズ時代 We Are The Swallows - 2009年 ヤクルト球団創設40周年を記念し(ヤクルトスワローズへの改称以降)2代目の球団公式応援歌として制作。作詞・作曲は林田健司。2009年より応援団によって安打による出塁のテーマとして使われるようになり、2012年からは攻撃中の出塁全般に使用されている。
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主な歴代の球団歌・応援歌
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「北海道日本ハムファイターズ」の記事における「主な歴代の球団歌・応援歌」の解説
「ファイターズ讃歌」(作詞:石原信一、作曲:中村泰士、編曲:高田弘、歌:ささきいさお→速水けんたろう)1977年制定・発表。元は「それゆけ ぼくらのファイターズ」のB面曲だった。歌詞に特定の地名や企業名が含まれていないため、北海道への移転後もそのまま引き継がれパ・リーグの現存チーム中では最古の球団歌となっている。 フライヤーズ時代 「東急フライヤーズの唄」→「東映フライヤーズの歌」(作詞:藤浦洸、作曲:古関裕而)1950年に東急電鉄社内報『清和』5月号で発表。古関裕而の作品リスト等により存在は判明していたが、レコード化されておらず長年に渡って楽譜も未確認だったため当時の所属選手や往年のファンも「聞いたことがない」という「幻の球団歌」とされてきた。2021年1月、北海道新聞の調査により楽譜と歌詞が福島市古関裕而記念館に所蔵されていることと、作詞者が藤浦であることが判明した。1967年には「別の曲と考えた方が良い」と言われるほど大幅な旋律の改訂が作曲者の古関自身により行われたが、歌詞の改訂は最小限に留まっている。 応援歌(日本ハム時代以降) 「それゆけ ぼくらのファイターズ」(作詞・作曲:石原美代子、補作詞・補作曲:中村泰士、編曲:高田弘、歌:ささきいさお) 1977年発表。「ファイターズ讃歌」と同じレコードに収録され、元はこちらがA面曲であった。 「GO!GO!ファイターズ」(作詞・作曲・編曲:大島隆二、歌:宮本毅)(2004年 - 2008年) 「La La La FIGHTERS」(作詞:いしわたり淳治、作曲:福原美穂、福原将宜、大坪稔明、中村優規、編曲:安原兵衛、歌:福原美穂)(2009年5月1日 - ) 「ファイターズと共に」(歌:TRIPLANE)※移転10周年記念ソング
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主な歴代の球団歌・応援歌
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「横浜DeNAベイスターズ」の記事における「主な歴代の球団歌・応援歌」の解説
熱き星たちよ(球団歌)1993年、球団名が「横浜ベイスターズ」となったのを機に製作。メインボーカルは、横浜出身の歌手・高尾直樹、作曲・朝倉紀幸(朝倉紀行)、作詞・秋谷銀四郎。 本拠地横浜スタジアム周辺の駅のうち、JR関内駅では2011年6月2日から現在まで発車メロディとして使用されている。過去には横浜市営地下鉄ブルーライン関内駅にて2012年4月3日から2022年2月1日まで、みなとみらい線日本大通り駅でも2013年4月2日から2019年3月28日まで使用されていた。 DeNAベイスターズとなった2012年、歌詞のうち球団名部分が「横浜ベイスターズ」から「DeNAベイスターズ」に変更され、中畑清監督以下5選手(三浦大輔・A.ラミレス・森本稀哲・高崎健太郎・石川雄洋)がヴォーカルを担当した「熱き星たちよ・2012年ヴァージョン」を発表。曲調は以前のものとは大きく異なるものとなった。なお、ベイスターズの得点時・勝利時にも応援団によりトランペット演奏が行われるが、この際の歌詞は従来通り「横浜ベイスターズ」のままである。 2014年の新バージョンでは、中畑監督、三浦、金城、久保、ブランコ、バルディリス、石川、黒羽根、三嶋の9名が参加。旧バージョンで、ラミレスがアドリブでコールしたセリフは、ブランコとバルディリスによるスペイン語のコールとして継承されている。 2015年以降は毎年のように新バージョンが制作されている。 2015年-中畑監督、山崎憲晴、ロペス、梶谷、黒羽根、山口、三浦、筒香、モスコーソ、バルディリス 2016年-A.ラミレス監督、山口、三浦、石川、梶谷、筒香、山﨑康晃、嶺井 2017年-A.ラミレス監督、筒香、石田、山﨑康晃、今永、倉本、戸柱、桑原 勝利の輝き(応援歌) 横浜ベイスターズ球団テーマ(公式テーマ。インストゥルメンタル曲)1998年の優勝を記念して製作。主に横浜主催ゲームでの、横浜のスタメン選手発表時にBGMとして使用されていたが、横浜DeNAとなってからは一軍戦のスタメン発表では使用されていない模様。なお、二軍戦のスタメン発表時には従来通り使用されている。 勇者の遺伝子2013年3月に作詞・森雪之丞、作曲・布袋寅泰によって制作された応援歌。この応援歌のレコーディングには抽選で選ばれたDeNAファン50人が参加した。2019年3月29日からは、横浜スタジアムの最寄り駅である日本大通り駅の発車メロディに使用されている。
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主な歴代の球団歌・応援歌
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「千葉ロッテマリーンズ」の記事における「主な歴代の球団歌・応援歌」の解説
戦う男達のテーマ(1960) わがオリオンズ(毎日球団の歌) われらロッテ親衛隊 ビバ!オリオンズ! We Love Marines マリンに集う我ら2010年に作られ、当時の千葉マリンスタジアムでの試合開始前に流れていたが、2011年3月に球場名がQVCマリンフィールドに変わったため使われることが少なくなっていたが、同年7月に復活し、2012年から2014年は7回裏攻撃前に流れ、2015年は試合開始前、2016年は5回終了後とビジターユニで開催時の試合開始前に流れ(なお、2017、2018年も)、2018年以降は9回終了後の延長戦入る前に流れるほか、2019年は試合終了後に勝利した場合に流れる。 マリンフィールドの風 千葉、心つなげよう ONE HEART MARINES
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主な歴代の球団歌・応援歌
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「広島東洋カープ」の記事における「主な歴代の球団歌・応援歌」の解説
「それ行けカープ 〜若き鯉たち〜」(1975年 - 現在) - 歌・塩見大治郎、南一誠、鯉してるオールキャスターズ、Marquee Marblish BAND 過去の球団歌 「我れらのカープ」(1950年 - 1952年) - 球団結成時に制定。 「広島カープの歌」(1953年 - 1974年) - 歌・RCC合唱団。1975年に「勝て勝てカープ」へ改題・編曲し、公式応援歌として継続使用(歌・塩見大治郎)。 応援歌 「燃える赤ヘル僕らのカープ」(歌・事崎正司=現・加納ひろし)ホームでビジターチーム先発投手交代時や9回裏に流れる(ビジターチームにリードされているか、タイスコアのゲーム)。マツダスタジアムのみで流される。 「勝鯉の女神」(歌・セレナ)球団公認 「宮島さん」(歌・加納ひろし) 「痛快! 赤ヘル音頭」(歌・柏村武昭) 「ゴーゴーカープ」(歌・富永一朗) 「Red 〜僕らの広島カープ〜」(歌・石田匠) 「わしを市民球場に連れてって。」(歌・堂珍嘉邦〈CHEMISTRY〉) 「勝利を我らに!〜Let's win!〜」(歌・鯉してるオールキャスターズ、Marquee Marblish BAND) 「カープロード」(歌・矢野昌大) 球団公認
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主な歴代の球団歌・応援歌
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「阪神タイガース」の記事における「主な歴代の球団歌・応援歌」の解説
大阪タイガースの歌(作詞:佐藤惣之助 作曲:古関裕而 歌:中野忠晴とコロムビア・ナカノリズムボーイズ)大阪タイガース行進曲(発表当時球団、日本蓄音器商会〔現:日本コロムビア〕製作、上記の曲のレコードのB面に収録された器楽曲で、一部に「大阪タイガースの歌」と同じメロディが使われていた) 阪神タイガースの歌(球団名変更に伴う改題及び歌詞変更 歌:若山彰、立川清登、中村鋭一、道上洋三、唐渡吉則ら多数) 公式の球団歌はこの「タイガースの歌」(通称:「六甲おろし」)のみであるが、その他に球団応援歌も多数ある。 タイガース音頭/進め!タイガース(歌:中村鋭一 朝日放送アナウンサー) トラトラマーチ(歌:植草貞夫 朝日放送アナウンサー) 阪神タイガース数え歌(歌:道上洋三 朝日放送アナウンサー) トラトラ阪神応援歌(同上) タイガースよ永遠に/今日も勝ったよタイガース(歌:平田勝男、吉竹春樹、池田親興=1985年タイガース所属選手) 阪神タイガースの優勝を知らない子供たち(戦争を知らない子供たちのパロディー替え歌。歌:リリアン、板東英二、やしきたかじん、桂雀々) WIN!WIN!タイガース(歌:JK21) 負ける気せんね/ハイハイ敗 (歌:辛坊治郎・森たけし=読売テレビアナウンサー) みごと優勝!ザ・タイガース・オンド(歌:杉本紘宇、余炉頭弥兵)尼崎信用金庫の元広報・余炉頭弥兵(本名:高橋仁司)の作詞・作曲。最初の歌詞はタイガースが優勝した1985年に書かれ、次第に歌詞が増えていき、2003年8月時点では17番までの歌詞が完成している。2003年4月に自主製作で、同年8月にテイチクからメジャー盤として発売。メジャー盤に収録されたのは「みごと優勝バージョン」と「歓喜の甲子園バージョン」を5番ずつ。 他多数 CD『阪神タイガース 選手別応援歌』1992年から2003年まで毎年、日本コロムビアから発売されていた球団歌や球団応援歌、選手応援歌などを収録したCD。2001年版は1万3000枚、2002年版は2万8000枚、2003年版は11万枚を売り上げた(日本コロムビア調べ)。2004年版以後は制作されていない。
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