オープニング・エンディング曲
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「森田一義アワー 笑っていいとも!」の記事における「オープニング・エンディング曲」の解説
^ 番組生放送終了の正確な時刻は12:58:30。 ^ 放送開始当初の『笑っていいとも!』とほぼ同時(同じ週の金曜日)に放送開始 ^ 2005年5月に、トーク番組『スター千一夜』の22年6か月の記録を塗り替えている ^ 例:年齢当てクイズ、身内自慢コンテスト、若見えコンテスト、美男子・美少女コンテスト、ギャップコンテスト、夫婦コンテスト、そっくりさんカーニバル、年齢ギャップコンテスト、木曜なんでもコンテスト、腹筋イケメンコンテスト、似顔絵コンテスト、オネメンコンテスト。 ^ 年末の時点で一番勝利数の多かったチームが年間優勝となる。 ^ 1991年以前は13:00 - 13:30に同じスタジオアルタで生番組『ライオンのいただきます』(後の『ライオンのいただきますII』→『ライオンのごきげんよう』)が引き続き放送されており、基本的に『いいとも!』とセットで観覧することとなっていた(観覧募集も一括して行っていたため、宛先は「いいとも!」「いただきます」の両番組名となっていた)。 ^ 祝日の時などは多く出演(登場)する。 ^ 金曜日は「それじゃあまた、来週も見てくれるかな?」、特大号の翌日以降に年内最後の場合は「それじゃあまた、来年も見てくれるかな?」 ^ a b c d e f g h i j k l m n (2)の各曜日レギュラーコーナーが延長し、(3)のコーナーがなくなる場合がある。 ^ a b c d e f g h i j (3)の各曜日レギュラーコーナーのみ行い、(2)の各曜日レギュラーコーナーを行わない場合もある。(2)・(3)の各曜日レギュラーコーナーを入れ替えて行う場合もある。 ^ タモリを含む全曜日レギュラー陣が登場。オープニングからは全員が変装をして登場した。 ^ 後に『アッコにおまかせ!』(TBS)も、2020年9月の35周年時に同じような記録を認定されているが、こちらは「生放送バラエティ番組で同一司会者による放送年数の最多記録」であり、「回数」と「年数」で大きく異なっている。 ^ スタッフはこのために2週間前から準備を進め、当日の観客にも前もってこのことを知らせて協力を呼び掛けるという用意周到ぶりだった。また、これに関してさんまは「いい加減にしろ」とキレており、タモリから「さんまちゃんを騙す企画ですので、私が入ってきても静かにして下さい」と観客に事前の説明がされていたことを聞かされると「君らも知ってたの?」と観客に尋ねていた。また、観客に配布された説明書には『みんなでさんまちゃんを騙そう』と『さんまちゃんを騙そう友の会スタッフ一同』という一文が記載されていた ^ 佐藤義和はインタビューで、起用の理由を「『笑ってる場合ですよ!』はすごい子供に受ける番組になっていたから、笑いの質が違うじゃないですか。だからお客さんを18歳未満お断りにして、大人の知的な笑いを提供しようと。そのとき、知的な笑いって誰だろうと考えたとき、タモリしかいなかったんです」と回想。また、本名の森田一義名義にしたのは「僕のエクスキューズとしては、「これはタモリでやるんじゃなくて、森田一義を演じて下さい」ということで、あえて『森田一義アワー』を入れたんですよ。それまでのオールバックでレイバンのサングラスのタモリでなくて、色の薄いサングラスの、アイビースタイルのおじさんを演じてくださいって。結局発注したメガネは放送開始に間にあわなかったから、1か月遅れくらいで色の薄いサングラスになりましたね。」(実際はオールバックではなく真ん中分け、色の薄いサングラスの導入は後述の通り1か月遅れではなく2週目から)と述べている。その構想通り、放送初期のタモリは七三分けに色の薄い茶色系レンズのサングラス、アイビールックという姿だった。1984年頃からは服装はセーターとシャツに変わり、80年代末期にはスーツか上着だけワイシャツにセーターのスタイルが定着し、終了まで固定される。 ^ この日のテレフォンゲストは美保純であった。 ^ 1990年10月以降はフジテレビ系列フルネット局。 ^ テレビ朝日系列の新潟テレビ21開局に伴う。1983年9月30日までは、テレビ朝日系のワイドショー『アフタヌーンショー』を同時ネット。 ^ TBS系列のテレビユー福島(TUF)の開局に伴う。1983年9月30日まで『スーパーダイスQ』『悪友親友』『ポーラテレビ小説』を放送。1983年10月1日にTUFが開局する予定であったが、12月4日開局に順延、前述の番組は2ヶ月弱中断。 ^ 1987年10月以降はTBS系列フルネット局。 ^ 因みに変更初日は意外なことにフジテレビの日の制定日でもあった。 ^ 9日は1984年、10日は1985年、11日は1987年、12日は1986年、13日は1982年・1983年に放送した分から一部を放送した。 ^ この2日間はアルタ自体が正月休業だったためか、後続の『いただきます』も谷川岳天神平スキー場から生放送された。 ^ タモリは、1996年1月3日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋20周年記念スペシャル』に出演した際に、「多忙で髪を洗う時間がなくなり抜けてしまったため髪型を変えた」と話している。他の番組でもほぼ同時期にオールバックに変えている。 ^ これに先駆けて『ミュージックステーション』では、1990年4月20日から、それまで着用していた銀縁の黒色系サングラスから、上縁の黒色系サングラスに変更した。また、1992年頃まで他のタモリ出演番組ではこのサングラスを着用。 ^ 黒色系レンズのサングラスは、夏休み中だった1987年8月21日放送の当番組内コーナー「日本一の最低男」(明石家さんまと関根勤の代理)にタモリが飛び入り出演した際や、1988年1月8日放送の『ミュージックステーション』で、C-C-Bにインタビュー収録した際にも着用している。 ^ 『笑っていいとも!イブ特大号「テレフォンショッキング`90」』1990年12月24日放送分。なお、1990年11月28日の『テレフォンショッキング』は、森公美子が出演。 ^ 『増刊号』もオープニング演出が変更され、それまで歌うタモリ・青年隊とともに番組冒頭に流れていたスタッフロールが、この週の日曜日の3月5日放送分からエンディングに変更された ^ タモリは歌わなくなった理由について、この日のオープニングでは「恥ずかしいぜ?世界中でいきなり司会者が出てきて歌う番組なんて」と言い、この日のレギュラーだった東野幸治に「でも本番前、ちょっと寂しいなって言ってじゃないですか」と突っ込まれていた。その後、同年3月12日放送の『増刊号』で、「長年不思議に思ってたんだけど、司会者がオープニングからいきなり歌って出てくるっていうのはどう考えてもおかしいと思ってたんだ。それでプロデューサーにやめさせてくれって頼んだんだよ。まあ最初はね横澤さんのあれ(番組最高責任者の意見)もあるし、まあいいかって感じだったんだけど、だんだんだんだん、考えてみたら変だよな、と」と語っている。 ^ 番組第1回放送日当日の新聞ラテ欄によると、「タモリのフランス料理教室」というサブタイトルで、「即興エンタテイナー・タモリ」という紹介文があった。 ^ 2011年3月21日から25日まではテレビ山口での放送が最終週、仙台放送での放送が休止(21日は福島テレビでも放送休止)となったほか、また3月11日に青森テレビでの放送が報道特別番組で休止となったため、30局ネットは実質上3月10日を以て最後となった。 ^ テレビ山口における本番組終了と同時に、山口県は1993年4月 - 1997年3月までの山形県以来となるフジテレビ系帯番組が一切放送されない唯一の県となった(フジテレビ系列局が所在しない山梨県と徳島県では本番組は非ネットだが、本番組の直後番組である『ライオンのごきげんよう』は時差ネットしている)。 ^ この日の正午に特別に作られた『デジタルウォッチング』が、AD隊(クルット&ハリー)、ナインティナインの岡村隆史、タモリで歌われる。 ^ なお、テレビ大分はNNS加盟局であるものの、FNSとのクロスネット局という事情から「おもいッきり」シリーズはネットせず、当番組をネットしていた。またテレビ宮崎はNNS非加盟かつFNS主体でANN系列とのトリプルネット局であるため、こちらも当番組をネットしていた。 ^ 通常は宮根が司会を務める『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系列)が大阪・読売テレビから生放送を行っている関係で出演できないが、この日は高校サッカーの決勝が中継される関係で番組が放送休止だったため出演できた。なお翌日の『ミヤネ屋』で「テレフォンショッキング」出演時のネームプレートを披露した。 ^ なお、翌週となる次回2月17日のテレフォンゲストは羽鳥慎一(フリーアナウンサー、日本テレビ出身)が紹介された。 ^ ナイナイとは『めちゃ×2イケてるッ!』担当時から関わりがあり、頻繁に顔出しもしていた。 ^ これは後継番組『バイキング』はフジテレビ本社6階・V7スタジオからの生放送となるから。 ^ スタジオアルタ閉鎖後の2016年11月3日より、多目的劇場「アルタシアター」としてオープンしている。 ^ 2017年は22:18まで放送された。 ^ 『とんねるずのみなさんシリーズ』の冠レギュラーであり、当番組の最末期にスペシャルレギュラーとして出演。 ^ タモリが同コーナーのゲストとして出演したのは2004年のFNS27時間テレビ以来、13年ぶりであった。また、当日は放送当時の「森田一義」ではなく「タモリ」名義だった。 ^ 2011年10月3日から2012年11月2日まで担当。 ^ 後者は景山民夫との対談集『極楽テレビ』より。 ^ NNSには非加盟 ^ 2014年3月31日の最終回は1時間前倒しの15:45 - 16:45に放送された。 ^ EPG上の番組名には「!」が付されなかった。 ^ フジ系新局岩手めんこいテレビ(mit)の1991年4月1日開局内定に伴う系列番組移行準備のため。 ^ フジ系新局高知さんさんテレビ(KSS)の1997年4月1日開局内定に伴う系列番組移行準備のため。 ^ 山形テレビのネットチェンジ直後の当該枠の番組は『人間探検!もっと知りたい!!』になったものの、皮肉にも山形テレビにおける本番組終了の2日後に終了したため、当該週の番組に(終)マークが2回もつく事態となった(『おはよう!ナイスデイ』 → 『モーニングショー』も同様)。 ^ 1986年9月5日放送分のネット局表示による。 ^ 正式にはニュース系列のみ(一般番組供給協定はFNS単独(NNS非加盟))。 ^ ただし、ネットチェンジによる打ち切り後も、ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局(新潟総合テレビ・福島テレビ・秋田テレビ・仙台放送)を受信できた場合は引き続き視聴可能だった。 ^ 2008年4月から実施 ^ 引用エラー: 無効な タグです。「tos」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ 全てクレジット表記なし。 ^ 上り線当SAにフジテレビショップが設置されているのは、施設運営がフジ・メディア・ホールディングスの持分法適用関連会社であるフジランドによって行われているためである。一方の下り線海老名SAは、フジサンケイグループが施設運営に一切関与していないため、フジテレビショップは設置されていない。
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オープニング・エンディング曲
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「坂崎幸之助のほとんど冗談!」の記事における「オープニング・エンディング曲」の解説
大瀧詠一の『NIAGARA CALENDAR '78』に収録された「十二月 クリスマス音頭〜お正月クリスマス音頭」の81年リミックスマスターで、歌がミックスされていないもの。なお最終週のみ、大滝の歌入りバージョン(77年オリジナルミックス版)が流された。
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オープニング・エンディング曲
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「六點半新聞報道」の記事における「オープニング・エンディング曲」の解説
開局当初の1967年から1976年まではファンファーレ調の音楽を使用し、1976年からはモールス信号「NEWS TODAY」の音を使用した。1983年12月まで使用された。その月からは以前のモールス信号に電子音楽を組み合わせた音楽が使われ、1988年からはエンド部分まで音楽が延長された。1990年7月からはこの音楽をアレンジしたものを使用し、台湾TVBSでも2013年まで使われた。現行のは1995年7月から使われ、2010年からはエンド部分がエンドレスに変更。2014年6月からは英語放送も含め全てエンドレス版に切り替わった。 なお現在のTVBSはこの音楽のオーケストラバージョンを使用している。 この項目は、テレビ番組に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送または配信の番組)。
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オープニング・エンディング曲
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「News At 7:30」の記事における「オープニング・エンディング曲」の解説
現在の曲は1995年に変更されたもので、TVB翡翠台のニュース番組「六點半新聞報道」共通である。 この項目は、テレビ番組に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送または配信の番組)。
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オープニング・エンディング曲
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「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」の記事における「オープニング・エンディング曲」の解説
「カタヴェント」(Catavento) - デイヴ・グルーシン(Dave Grusin)アルバム「ONE OF A KIND」(GRP Records UCCU-5147)の3曲目に収録。1977年録音、4分06秒。 オープニングに長く喋ることもあったので、放送では繋いでループにして使っていた。当番組に於いては「チキチン」という通称でも知られていた。 エンディング後はOBCソングとコールサイン等のアナウンスが流された後、朝に再び放送が開始されるまで停波されていた。
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オープニング・エンディング曲
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「YAMAMAN presents MUSIC SALAD FROM U-kari STUDIO」の記事における「オープニング・エンディング曲」の解説
オープニング曲:テレビドラマ『奥さまは魔女』主題曲「奥さまは魔女のテーマ」(2013年4月1日 - 2015年4月16日)全曜日オープニングの曲こそ同じだが、バージョン違いが4つある。 2013年4月第1週の放送以前は、HALFBYの「Baby Love (HALFBY More Shambles Remix)」が使用されていた。 エンディング曲:サカモト教授「SAMURAI」(2013年4月1日 - 2015年4月16日)2013年3月28日以前はピチカート・ファイヴの「Happy Sad」が使用されていた。
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