移行準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 09:03 UTC 版)
リトアニア政府では独立宣言以前にリタスの導入に向けた準備が開始されており、仮にリトアニアがソビエトに残ったとしてもルーブルを残したままリタスを導入することが想定されていた。1989年12月、新硬貨と新紙幣の意匠案を作成するよう画家への依頼がなされ、また肖像画に描かれる著名人の一覧もまとめられた。 1990年3月1日にリトアニア銀行が再設置され、その10日後にリトアニアは独立を宣言する。当初リトアニア政府はフランスの印刷会社フランソワ・シャルル・オーバーテュアに紙幣発行を交渉したが失敗に終わった。その後1990年11月、リトアニア銀行は United States Banknote Corporation(のちの American Banknote Corporation)に紙幣発行を依頼し、1991年の晩秋にリタス紙幣と硬貨の第1便がリトアニアに到着した。 1991年11月に通貨発行法が可決され、リタス委員会が設置された。リタス委員会はリタス流通開始日、ルーブルの引き上げに関する規定、リタスとほかの通貨との交換比率を決定する権限が与えられた。政府は新通貨リタスがインフレーションにさらされないようにするため、経済が安定するまで時をおいてから発行することとした。リトアニアの貿易の80%はロシアが相手となっており、政府はルーブルからの円滑な切り替えを図る必要があった。またリトアニアは為替平衡のための資金を集めなければならなかった。
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