大林素子 大林素子の概要

大林素子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/28 04:58 UTC 版)

大林 素子
Motoko Obayashi
Volleyball (indoor) pictogram.svg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1967年6月15日(49歳)
出身地 東京都小平市
ラテン文字 Motoko Obayashi
身長 184cm[1]
体重 非公表
血液型 O型
選手情報
愛称 モトコ
ポジション ライト
指高 231cm
利き手
スパイク 310cm
ブロック 293cm
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来歴

父は商社マン、母は陸上競技で走り高跳びの東京五輪候補だった選手。この母親の後押しもあり中学生のときにバレーボールを始める。たまたま家が日立の練習場に近かったこともあり、当時の日立の監督であった山田重雄にファンレターを出した。すると山田から「良かったら練習を見に来てください。」と返事が来て、それがきっかけでたびたび日立の練習場に見学に行くようになった。

小平市立第二中学校卒業後の1983年八王子実践高等学校に進学。第15回(1984年春の高校バレーは3位、第16回(1985年)は準優勝であった。1985年、高校在学中に全日本代表初選出。同年のワールドカップで国際大会デビューを果たす。

1986年、当時実業団のトップチームであった日立に入団。1989年ワールドカップ直前に、半月板損傷、右足首靭帯断裂という大怪我をしたため、ベンチ入りはしたもののコートに立つ機会はなかった。 オリンピックには、1988年ソウル大会1992年バルセロナ大会1996年アトランタ大会の3大会に出場し、日本のエースアタッカーとして活躍した。

1994年7月、日立の他の選手と共にプロ契約を求めて辞表を出し、話し合いを経て撤回した。10月、世界選手権に主将として出場。

11月、チームの内紛に端を発した騒動で吉原知子とともに日立を解雇される[2]。Vリーグ発足の翌日のことであった。1995年1月、日本人初のプロバレーボール選手としてイタリアセリエAのアンコーナと契約し5か月にわたってプレーした後、同年5月に帰国。 帰国後はダイエー・オレンジアタッカーズ入りが有力視されていたが、代理人問題で二転三転した末に東洋紡オーキスとプロ契約した。1996年アトランタ五輪に出場後、Vリーグで1シーズンプレーし、1997年3月に現役引退した。

現役引退後はホリプロに所属しスポーツキャスタータレント女優としてテレビや舞台等で幅広く活躍しているほか、バレーボール中継解説やVAS(バレーボールアドバイザリースタッフ)として後進の指導に加え、日本バレーボール協会テクニカル委員、日本スポーツマスターズ委員会シンボルメンバー、日本スポーツ少年団委員などの要職に就いている。

またモータースポーツとの関わりも深く、カーレースの国内A級ライセンス、MFJ PITCREW LICENCEを取得しているほか、2001年には「大林アタッカーズ」の名称で女性ばかりのレーシングチームを結成して鈴鹿1000kmに参戦、同チームの監督を務めた(2003年にはチーム名を「レディスD」と改め再挑戦している)。またフジテレビF1グランプリ中継のピットレポーターを務めたこともあり(1996年)、スカパー!フジテレビワンツーネクストでは『モータースポーツパラダイス』(2001年 - 2005年)→『F1GPニュース』(2005年 - 2011年)の司会を務めていた。

2008年4月より、神戸親和女子大学発達教育学部に新設されたジュニアスポーツ教育学科客員教授に就任した。

2010年から、千葉県勝浦市バレーボール協会が主催する「大林素子杯」が開催されている[3]

2015年12月26日深夜(27日)のブログで、声帯結節の手術を受けることを明らかにした[4]12月30日、手術を終え退院[5]

役職

2015年9月現在[6]

  • JVA(日本バレーボール協会)広報委員、テクニカル委員
  • 日本スポーツマスターズ委員会シンボルメンバー
  • 福島県「しゃくなげ大使」[7]
  • 観光庁スポーツ観光マイスター
  • 環境省「チャレンジ25」キャンペーン応援団
  • JOC環境アンバサダー[8]
  • JOCオリンピック・ムーブメントアンバサダー(2014-2015年度)[9]

過去

  • JOCオリンピックデーラン・アンバサダー(2009・2010)[10][11]



  1. ^ a b 大林素子、また身長が伸びた「2年間で2センチ。184センチに」”. スポーツ報知 (2015年8月17日). 2015年8月17日閲覧。
  2. ^ 大林素子 『バレーに恋して』 講談社
  3. ^ 月刊バレーボール 2012年4月号 123ページ
  4. ^ “大林素子 声帯結節で手術決意「夏からずっと続く痛み…」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年12月27日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/12/26/kiji/K20151226011758750.html 2015年12月27日閲覧。 
  5. ^ “大林素子、声帯結節の手術受け退院…大晦日&正月も「3日間は無言で過ごす」”. SANSPO.COM (株式会社 産経デジタル). (2015年12月30日). http://www.sanspo.com/geino/news/20151230/geo15123016470031-n1.html 2015年12月30日閲覧。 
  6. ^ 大林素子さんとマイマイが記念撮影♪ - 大阪市中央体育館 2015.09.19
  7. ^ しゃくなげ大使名簿 福島県 2015年7月31日更新
  8. ^ JOCスポーツ環境アンバサダー - JOC
  9. ^ オリンピック・ムーブメントアンバサダー - JOC
  10. ^ 2009オリンピックデーラン・アンバサダーの任命式を実施 - JOC
  11. ^ スポーツ観光マイスター
  12. ^ 2009年11月14日放送の「出没!アド街ック天国」より本人談
  13. ^ 2010年2月8日放送 NHK わたしが子どもだったころ「バレー 大林素子」
  14. ^ バレーボール監修も兼任


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