星野賀代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/29 10:14 UTC 版)
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| 基本情報 | ||||
| 国籍 |   | 
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| 生年月日 | 1972年9月12日(51歳) | |||
| 出身地 |   | 
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| ラテン文字 | Kayo Hoshino | |||
| 身長 | 177cm | |||
| 体重 | 69kg | |||
| 血液型 | A型 | |||
| 選手情報 | ||||
| 愛称 | カヨ | |||
| ポジション | レフト | |||
| 指高 | 226cm | |||
| 利き手 | 右 | |||
| スパイク | 305cm | |||
| ブロック | 287cm | |||
星野 賀代(ほしの かよ、現姓:木村、1972年9月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
来歴
沖縄県宜野湾市出身。中部商業高校在学中に、インターハイに2年連続出場。またジュニア代表に選出され、アジアジュニア選手権優勝や世界ジュニア選手権3位入賞に貢献した。
1991年、日本リーグのNEC(当時)に入部。パワーを武器にアタッカーとして活躍した。1996年のアトランタオリンピックにも出場した。2000年に28歳で現役引退。
引退後はNECで事務職を続けていたが29歳で退職し、オーストラリアに語学留学。遊びレベルでバレーボールを再開したところ、経歴を知ったナショナルチーム関係者からトップチーム強化に力を貸してほしいとの話が進み、オーストラリア女子代表のアシスタントコーチを務めた[1]。
結婚を機に帰国し、現在は2人の娘がいる。
エピソード
- 双子の妹の星野須美もバレーボール選手であり、1991年から1994年まで小田急ジュノーに在籍していた。
 
球歴
- 全日本代表 - 1996年 
    
- オリンピック - 1996年
 
 
所属チーム
- 市立大山小学校
 - 市立普天間中学校
 - 中部商業高校
 - NECレッドロケッツ(1991-2000年)
 
参考文献
- 月刊バレーボール2000年2月号臨時増刊 第6回 Vリーグ観戦ガイドブック(日本文化出版刊)
 
脚注
- ^ 琉球新報社 (2019年12月7日). “全国で絶賛されたスパイク 「1日の積み重ねの先に五輪の舞台」 アトランタ五輪バレー女子代表・星野賀代さん うちなーオリンピアンの軌跡(10)”. 琉球新報デジタル. 2024年3月19日閲覧。
 
外部リンク
- 星野賀代のページへのリンク