佐藤伊知子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/29 09:11 UTC 版)
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基本情報 | ||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1965年3月11日(59歳) | |||
出身地 | ![]() |
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ラテン文字 | Ichiko Sato | |||
身長 | 169cm | |||
体重 | 68kg | |||
血液型 | AB型 | |||
選手情報 | ||||
ポジション | レフト/ライト | |||
指高 | 211cm | |||
スパイク | 303cm | |||
ブロック | 291cm |
佐藤 伊知子(さとう いちこ、1965年3月11日 - )は、日本のバレーボール指導者、元選手。東北福祉大学総合福祉学部通信教育部准教授。日本バレーボール協会女子強化委員。
来歴
宮城県仙台市出身。アニメ「アタックNo.1」の影響で小学校5年生からバレーボールを始め、仙台市立三条中学校から聖和学園吉田高校に進み、高校時代は3年時に国体に出場した。
東北福祉大学社会福祉学部(現・総合福祉学部)福祉心理学科に進学し、大学4年次の1985年にはユニバーシアード代表に招集され、神戸ユニバーシアードに出場して日本の優勝に貢献する。それが評価されて同年に全日本代表に初選出され[1]、ワールドカップで代表デビューを果たした。
1986年、日本電気(現・NEC)入社。NECではリーグ初優勝に貢献し、後に主将としてチームをまとめあげた。
全日本ではセッターの中田久美と共にチームのまとめ役となり、大林素子ら若手選手を牽引した。オリンピックには1988年のソウル、1992年のバルセロナと2大会に出場。バルセロナ大会では主将を務めた。
1992-93年シーズンの日本リーグを最後に現役を引退し、NECでコーチとして活躍したが、のち退社して帰郷、母校に再就職した[2]。女子バレーボール部監督も務め、現在は部長[3]。
2005年、日本バレーボール協会女子強化委員に就任。テレビの大会中継では解説者を務めることがある。
2024年、リガーレ仙台のチームアドバイザーに就任した[4]。
球歴
- 全日本代表 - 1985-1992年
- 全日本代表としての国際大会出場歴
- オリンピック:1988年、1992年
- 世界選手権:1986年、1990年
- ワールドカップ:1985年、1989年、1991年
受賞歴
所属チーム
脚注
- ^ 女子選手は大半が高校卒業後、社会人チームに入っているため、数少ない大学生全日本代表選手となった。
- ^ <リオ五輪>バレー佐藤 野性的な勘すごい - 河北新報オンラインニュース、2016年6月21日
- ^ “女子バレーボール部”. 東北福祉大学. 2024年6月28日閲覧。
- ^ “リガーレ仙台 2024-25シーズン 新体制のお知らせ | 【リガーレ仙台】公式ホームページ”. ligare-sendai.com. 2024年7月3日閲覧。
外部リンク
- 佐藤伊知子 - 東北福祉大学研究者情報
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固有名詞の分類
日本の教育者 |
中川小十郎 鳥飼玖美子 佐藤伊知子 水島銕也 阿部一 |
日本の女子バレーボール選手 |
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全日本女子バレーボール選手 |
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