矛盾 科学理論の交代における矛盾の役割

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矛盾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 03:59 UTC 版)

科学理論の交代における矛盾の役割

科学史家の板倉聖宣は基本理論の交代における矛盾の役割の重要性を明らかにした[21][22]

板倉は古典力学、電磁気学、量子力学の理論形成を研究し、「理論の交代が起こるのは古い理論の内部に矛盾が出現することである」とした。理論の内部矛盾が認識されることで理論は危機に陥る。そしてその矛盾をのりこえようとする結果として形成されるのが新理論であると主張した。古い理論の内部矛盾の存在は、その理論に深くコミットした人ほどより深刻にとらえられ、顕在化してくるという特徴を持っている。従って新しい理論はしばしば古い理論の見かけをもっている。古い理論の敵は説明できないデータの存在でもなく、競合する新理論の出現でもなく、矛盾の存在なのであると板倉は主張した[23]たとえば、「コペルニクスは天動説の抱える内部矛盾を発見し、それを解決するためにはどうしても天体の回転の中心を地球から太陽にしなければならなかったのだ」としている[24][注 4]

物理学者の武谷三男は「量子力学においては波動と粒子という対立した現象形態が「状態」という本質的な概念に統一される。系が空間に限定されているためには(すなわち粒子であるためには)、異なった波長の多数の波を足し合わせて波束を作らなければならない(波の性質)。かくて空間的に限定された系は自己の中に矛盾を持ち、この矛盾が系の自己運動となる」と「量子力学には将来止揚されるべき矛盾に充ちている」と述べた[25]

パラダイム理論を唱えたトマス・クーンは、「ある個人がいかにして集積されたすべてのデータに秩序を与える新しい方法を発明するかは、ここでは測り知れないものであり、永遠に不可知にとどまるであろう[26]」として、科学者による理論の選択は、もともと合理的説明はできないのであって、宗教的回心のようなものだと主張したが、板倉聖宣は、理論交代の必然性を「理論内部の矛盾による自滅とそののりこえ」によって説明できると批判した[27][注 5]


注釈

  1. ^ 1900年代の中国の翻訳家・厳復は「相滅」と訳している[5]
  2. ^ ニュートンが近代科学の力学を造りあげることができたのは、「力と運動の矛盾(力によって運動が生じ、運動によって力が克服される過程)」を乗り越えるために、微分と積分法を自ら作りだすことに成功したからである[11]
  3. ^ 実際、共産主義政権のもとで誕生したソビエト連邦(現:ロシア)は政府や経済の活動が停滞し、政府の厳しい管理体制下で生じた経済の失敗で崩壊した[20]
  4. ^ たとえば、天動説に対してコペルニクス地動説を提唱したとき、新しいデータは何も関与していなかった。一般の常識としてはコペルニクスは子供じみた天動説を批判し、観測に基づく実証的な地動説を提唱したのだということになっている。しかしコペルニクスが新しい観測事実を持っていたわけではないし、当時の天動説は観測データに基づいた十分に実証的な理論だった。コペルニクスは当時の天動説に深刻な矛盾を見たのである。例えばコペルニクスは「天動説は地球が動くと破壊されることを心配したが、なぜ同じことを地球よりはるかに大きく速く「回転する天」に心配しないのか」と指摘した。また、天動説の計算は確かに「惑星が地球から見える方向」はそれなりの予想精度を持って示すことができる。しかし、それを「惑星の明るさの変化」にも当てはめようとすると矛盾が生じる。コペルニクスは天動説では惑星の見える方向と、その惑星の明るさの変化(彼はそれを惑星の地球からの距離の変化と見た)は両立できないことを、深刻な矛盾と見た[24]
  5. ^ 板倉は自身の「理論の交代における矛盾の役割」の研究結果から、「理論選択の基準はその単純性にある」とする「マッハ主義」(エルンスト・マッハに始まる実証主義的認識論の立場をいう。物質や精神を実体とする考えに強く反対し、科学の目的は観察された事実を記述することのみにあるとし、仮想的原子などを考えることは全く非科学的であると主張した。)を批判した[28]。また、基本理論の交代が理論外の新事実の発見や他の理論の影響で引き起こされるという「機械論」も科学史の現実に合わないとした[29]。さらに、理論は事実に合わせて変化するという「実証主義」を、「天動説は事実に合わせるという点では十分実証的だった。コペルニクス説がこの点で優れていたわけではない」として否定した[29]。また、プトレマイオスとコペルニクスは座標変換に過ぎず、「どっちもどっち」というような「相対主義」は旧理論の内部矛盾に着目することによって乗り越えることができると主張した[30]

出典

  1. ^ a b goo辞書.
  2. ^ a b c d Wikibooks 2022.
  3. ^ 金谷治訳注『韓非子』, 「難一」, pp. 254–256
  4. ^ a b 朱京偉 2002, pp. 107–110.
  5. ^ 加地伸行 1983, p. 346.
  6. ^ 朱京偉 2005, p. 79.
  7. ^ 村主朋英 2012, p. 68.
  8. ^ 研究社「新英和中辞典」contradict[1]
  9. ^ P+D MAGAZINE 2018.
  10. ^ 三浦つとむ 1968, p. 274.
  11. ^ 板倉聖宣 1957, p. 156.
  12. ^ a b 三浦つとむ 1968, pp. 274–275.
  13. ^ 板倉聖宣 2004, p. 78.
  14. ^ a b 板倉聖宣 2004, p. 80.
  15. ^ 毛沢東 1957.
  16. ^ 三浦つとむ 1968, pp. 282–283.
  17. ^ 板倉聖宣 2004, p. 81.
  18. ^ a b 板倉聖宣 2004, p. 83.
  19. ^ 三浦つとむ 1968, p. 283.
  20. ^ 世界雑学ノート 2018.
  21. ^ 板倉聖宣 1955.
  22. ^ 唐木田 1995, p. 24.
  23. ^ 唐木田 1995, p. 15.
  24. ^ a b 唐木田 1995, pp. 24–29.
  25. ^ 武谷三男 1936, pp. 41–44.
  26. ^ トマス・クーン 1971, p. 102.
  27. ^ 唐木田 1995, pp. 10–11.
  28. ^ 唐木田 1995, p. 36.
  29. ^ a b 唐木田 1995, p. 37.
  30. ^ 唐木田 1995, p. 38.


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