大河内正敏 大河内正敏の概要

大河内正敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 05:38 UTC 版)

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日本の政治家
大河内 正敏
おおこうち まさとし
生年月日 1878年12月6日
出生地 東京府芝区浜松町
没年月日 1952年8月29日
出身校 東京帝国大学工学部卒業
前職 大学教授
所属政党 研究会
称号 勲二等旭日章
工学博士(東京帝国大学)

貴族院議員
選挙区 子爵議員
当選回数 2回
在任期間 1915年2月27日 - 1930年7月19日
在任期間 1938年2月10日 - 1946年4月7日
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大河内 正敏
生誕 1878年12月6日
日本東京府芝区浜松町
死没 (1952-08-29) 1952年8月29日(73歳没)
居住 日本
国籍 日本
研究分野 造兵学弾道学
研究機関 理化学研究所
出身校 東京帝国大学
主な業績 理研産業団の創設
主な受賞歴 勲二等旭日章(1952年)
プロジェクト:人物伝
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東京府出身。子爵理化学研究所(理研)の3代目所長、貴族院議員。身長は180cmと長身だった。妻は大河内信古の娘で、婿養子となった。息子は大河内信定、大河内信敬。孫の一人に女優の河内桃子がいる。無名時代の田中角栄を引き立てたことでも知られる。

来歴・人物

上総大多喜藩主で、子爵大河内正質の長男として東京浜松町に生まれた。のち旧三河吉田藩の子爵大河内家(江戸時代前期に活躍し、「知恵伊豆」と呼ばれた老中松平伊豆守信綱の子孫の家系で、大多喜藩主家の遠縁)の養子となり、最後の藩主・大河内信古の娘を妻に迎える。学習院初等科時代は、大正天皇の御学友であった。慶應義塾幼稚舎、学習院初等科、同中等科第一高等中学校を経て、東京帝国大学工学部造兵学科に入学。

1903年(明治36年)、東京帝大を首席卒業、講師となる。その後、私費でヨーロッパに留学し、1911年(明治44年) の帰国後は東京帝大教授に就任する。この頃、寺田寅彦と共同で飛行弾丸の流体的な実験を行う。

1914年大正3年)、工学博士となる。翌年、貴族院子爵議員補欠選挙で初当選、1918年(大正7年)原内閣海軍省政務次官を務める。

1921年(大正10年)9月30日山川健次郎(東大総長)の推薦により、理化学研究所の所長に登用される。理研に主任研究員に自由をもたせる研究室制度を導入するとともに、研究成果の事業化を進め、理研を国際的な研究機関にまで育て上げた。1925年(大正14年)、東大教授の職を辞して理研の所長職に専念する。1925年(大正14年)6月15日正三位となる。1927年(昭和2年)、ピストンリングに関する研究成果の事業化を目的に、理化学興業株式会社(後のリケン)を設立、同社は日本で初めて実用ピストンリングの製造を開始。その後も76におよぶ理研グループ(理研産業団)の会社を興し、理研産業団を新興財閥の一角を占めるまでに成長させる。

1930年(昭和5年)、勲四等に叙され、瑞宝章を授けられる。同年、貴族院議員を辞職[1]1934年(昭和9年)、東京物理学校(東京理科大学の前身)第4代校長となり、1936年(昭和11年)には東京物理学校理事長を兼務するが、1937年(昭和12年)東京物理学校理事長を辞する。1938年(昭和13年)2月10日、貴族院子爵補欠議員選挙で当選[2]1943年(昭和18年)、内閣顧問に就任する。

1945年(昭和20年)12月6日、軍需産業、内閣顧問、原爆製造計画の責任により、戦争犯罪人としてA級戦犯に指名され、巣鴨拘置所に収監される。収監にともなって、東京物理学校校長を辞する。1946年(昭和21年)4月に釈放されるが、貴族院議員を辞職し[3]、理化学研究所所長も辞任する[4]。所長辞任後に 公職追放となる[4]1951年(昭和26年)8月6日、公職追放を解かれる[5]

1952年(昭和27年)8月29日 - 脳梗塞で死去、享年73。勲二等に叙され、旭日重光章を追贈される[6]。墓所は、埼玉県新座市平林寺(松平信綱以来の菩提寺)にある。

栄典


  1. ^ 同年12月27日、第59回帝国議会貴族院議事速記録第1号 議長ノ報告
  2. ^ 同年2月15日、第73回帝国議会貴族院議事速記録第11号 議長ノ報告
  3. ^ 同年6月21日、第90回帝国議会貴族院議事速記録第1号 議長ノ報告
  4. ^ a b 理化学研究所の誕生と軌跡 (PDF) 『理研八十八年史』12頁
  5. ^ 同年8月15日総理府公告、指定理由取消公告第2号
  6. ^ 同年9月24日内閣公示
  7. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  8. ^ a b 大河内信好『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]


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