創業 - 終戦まで
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1931年(昭和6年) - 青井忠治が「丸二商会」からのれん分けで独立・創業。家具の割賦販売を行う。 1935年(昭和10年) - 商号を「丸井」に変更。これに合わせ「井」の字を○で囲んだマークが制定された。 1937年(昭和12年)3月30日 - 資本金5万円で株式会社丸井を設立。 1941年(昭和16年) - 重要産業団体令施行により、戦時商業統制の対象となり全店閉鎖。
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創業 - 終戦まで
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「そごう心斎橋本店」の記事における「創業 - 終戦まで」の解説
1830年(天保元年) - 十合伊兵衛が、大坂の坐摩神社(陶器神社)近くに古手屋(古着屋)「大和屋」を開業。 1860年3月7日 - 近隣より出火類焼。 12月12日 - 近隣より出火類焼。 1872年(明治5年) - 吊りぎれを売り出す。 1875年(明治8年)2月7日坐摩の大火により類焼。 1876年(明治9年) - 大和屋を大阪府第2大区安堂寺橋通3丁目に移転し木綿呉服店を開業。 1877年(明治10年) - 大和屋を大阪府第2大区心斎橋筋1丁目に移転し、呉服商に転業、商号を「十合呉服店」とする。 1889年(明治22年) - 心斎橋店が南区内となる。 1894年10月1日 - 現在地に移転。これが後のそごう心斎橋本店(旧そごう大阪店)である。 1897年(明治30年)5月26日 - 十合合名会社設立。 9月30日 - 電話架設。 1900年 - ショーウインドー設置。 1901年3月1日 - 売場に陳列場新設。 1903年3月1日 - 売場に陳列場新設。同時に第五回内国博覧会に協賛出品。 1904年9月 - 地方出張販売開始。 1907年4月 - 耐火土蔵造り店舗建築を起工。 1908年4月1日 - 耐火土蔵造り2階建ての店舗を新築開店し会社組織整備。百貨店営業をめざす。 10月2日 - 商号を合名会社十合呉服店と変更。 1910年1月 - 意匠図案部設置。 10月 - 十合洋服店心斎橋筋1丁目8番地に移転。 1911年10月 - メッセンジャー制を採用し仕入部を大宝寺西之町に設置、高砂会を結成。寄宿舎を南区清水町に設置。 1912年12月2日 - 天王寺区餌差町に寄宿舎味原寮を新築。 1917年5月20日 - 鉄筋コンクリート造の地下1階・地上4階の増築を起工。 1918年 - 新店舗を完成。 1919年(大正8年)増築開店し百貨店事業を開始、同時に美術部設置。 12月20日 - 資本金10万円で株式会社十合呉服店設立。 1920年5月 - 大暴落半額売出し開催。 1921年7月 - 蔵ざらへ売出し創始。 8月1日 - コタチ百貨部創設。 9月 - 持越品競売日 時間提供等の売出し開催。 1923年9月 - 外売部に通信販売係設置。 10月1日 - 十合洋服店吸収、洋服部新設。 1925年1月 - 5階建に増築。 3月 - 大大阪記念博覧会協賛催し「流行の大阪館」開催。 1926年4月 - 本格的夜間営業開始。 1927年4月15日 - 十合ビルヂング大阪本店新築用地買収開始。 1928年9月1日 - 下足預りを廃止全店土足とす。 1930年3月10日 - 本店新店舗設計を村野藤吾に委嘱。 1931年8月26日 - 大倉土木と本店建築工事契約締結。 10月22日 - 本店第一期工事起工 1932年6月30日 - 大阪本店が竣工。 7月11日 - 大阪本店建築契約を実費精算方式に改更。 9月6日 - 大阪本店通信販売チェーン店募集。 1933年(昭和8年)2月27日 - 大阪本店第1期工事上棟式。 7月3日 - 大阪本店第1期工事竣工。 7月5日 - 大阪本店第1期新築開店。 10月12日 - 大阪本店第2期建築用地として鴻池銀行所有地の取得決定。 10月1日- 神戸支店、元町より三宮阪神ビル(現在地)に移転、新築開店。 1934年(昭和9年)1月10日 - 大阪本店第2期工事起工。 3月1日 - 大阪本店組織機構整備。 6月1日 - 大阪本店心斎橋入口閉鎖臨時入口を北隣に設置。 1935年(昭和10年)3月24日 - 板谷宮吉に大阪本店建築資金調達協力を申入れ。 6月27日 - 板谷宮吉と大阪本店建築資金導入覚書交換。 9月24日 - 大阪本店第2期工事竣工。 10月1日 - 大阪本店が新築開店。同時に建物を十合ビルヂングに売却し同社と賃貸借契約締結。 1936年8月10日 - 十合ビルヂングいづ勘化粧品店所有地を買収登記。 9月14日 - いづ勘跡地に第3期工事起工。 1937年12月1日 - 大阪本店第3期工事竣工全館新築開店。 1938年7月7日 - 大阪本店慰問品売場開設。 8月1日 - 大阪本店愛国お買物貯金実施。 9月3日 - 大阪本店百貨更生部を設置。 1940年(昭和15年)4月 - 株式会社十合と商号変更。
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創業 - 終戦まで
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「日東交通 (千葉県)」の記事における「創業 - 終戦まで」の解説
1913年(大正2年)4月 - 旧君津郡湊町(現:富津市 )の旅館・万歳館(代表:笹生万吉)が自動車部を設立。千葉県初のバス路線となる木更津港 - 上総湊間が開業。 1921年(大正10年)4月 - 万歳館自動車部が万歳自動車として法人化。 1922年(大正11年) - 小川国松が運営する路線を継承し、君津自動車を設立。 1925年(大正14年)2月 - 万歳自動車の本社を湊から鴨川に移転。 1927年(昭和2年)3月 - 安房自動車(本社:旧北条町)と房州自動車(本社:旧安房郡白浜村)が合併し、安房合同自動車となる(資本金10万円)。 1928年(昭和3年)7月28日 - 万歳自動車が三日月自動車(本社:勝浦)へ路線譲渡の後に解散。 1931年(昭和6年)12月10日 - 君津自動車が君津合同自動車に社名変更。その後、1939年(昭和14年)までに君津郡市の他社路線を吸収し事業区域を拡大する。 1937年 (昭和12年) - 貸切バス(観光バス)事業開始。 1939年(昭和14年) - 外房遊覧自動車が外房内湾自動車に社名を変更する(東京湾内への路線拡大に伴う)。 1942年(昭和17年) - 資本金を19万5千円に増資する。 1943年(昭和18年)11月17日 - 君津合同自動車を吸収合併する。併せて、資本金を35万円に増資する。 1944年(昭和19年)7月5日 - 外房内湾自動車および丸共自動車を合併し、日東交通株式会社に商号変更。社長には中村庸一郎が就任。資本金を60万円に増資する。
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創業 - 終戦まで
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1929年3月 - 理化学研究所が開発した感光紙「理研陽画感光紙」の九州総代理店「吉村商会」の権利を、市村清が譲受して福岡市で独立開業する。 その後、業績拡大により日本統治時代の朝鮮と満州国の総代理店の権利も得る。 1933年3月 - 理化学研究所所長の大河内正敏から招聘され、研究所で開発された技術の商品化を図る理化学興業株式会社の感光紙部に部長として入社。 しかし貧農出身で学歴もない市村の抜擢に周囲が反発し、社内で四面楚歌となる。 1936年2月6日 - 会社設立。大河内正敏の厚意により、理化学興業感光紙部を理研感光紙株式会社として独立。市村清が代表権を持つ専務取締役に就任、会長は大河内が務めたが、社長は空席での会社設立であった。これに伴い吉村商会は解散、理研感光紙福岡支店となる。 その後、理研感光紙の業績良好につき大河内からの信任が深まり、市村は理研関連会社の役員を兼務、60社を越える理研コンツェルンの中心的存在となる。 1937年11月 - 大河内が会長を務める旭光学工業株式会社(現:リコー大森事業所)の専務取締役に市村が就任。 1938年3月 - 理研光学工業株式会社に商号変更。 1942年6月 - 旭光学工業が旭無線に社名変更。 大河内の厚意により、理研光学工業、旭無線、飛行機特殊部品の3社が理研コンツェルンから切り離され完全に独立。
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創業 - 終戦まで
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1830年(天保元年) - 十合伊兵衛が、大坂の坐摩神社(陶器神社)近くに古手屋(古着屋)「大和屋」を開業。 1876年(明治9年) - 安堂寺橋通に移転。 1877年(明治10年) - 大阪の心斎橋筋に大和屋を移転すると共に十合呉服店へ改称する。 1919年(大正8年)12月20日 - 資本金10万円で株式会社十合呉服店設立。 1933年(昭和8年) 10月1日- 神戸支店、元町より三宮阪神ビル(現在地)に移転、新築開店。 1935年(昭和10年) - 村野藤吾設計のモダニズム建築の傑作、大阪本店が御堂筋とともに竣工(2003年(平成15年)解体)。 1940年(昭和15年)4月 - 株式会社十合と商号変更。
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