事業開始、第二次大戦終戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 07:28 UTC 版)
「広電バス」の記事における「事業開始、第二次大戦終戦まで」の解説
広島瓦斯電軌時代の1928年(昭和3年)、広島乗合自動車が創業。鷹野橋を起点に、市中心部・舟入・観音本面に路線網を展開した。対抗策として、広島瓦斯電軌の定款に乗合自動車営業を追加を申請。1929年(昭和4年)9月に認可後、翌10月に己斐から宮島間で乗合自動車の運行を開始した。また、1929年(昭和4年)に広島乗合自動車の株式の大部分を取得し、系列化および、当時の専務を広島乗合自動車社長としてを送り込んだ。それらが、広島電鉄のバス事業の開始になる。 当時は、バス事業への本格参入を目的とせず、競合路線への参入阻止を目的とされたと思われている。自社で開設した己斐-宮島間の路線も、1930年(昭和5年)1月に、子会社化した広島乗合自動車に譲渡した。 1938年(昭和13年)2月1日に、広島乗合自動車と合併し自動車部を創設。その時より、木炭ガス発生炉使用開始による木炭バスの使用を開始。1941年(昭和16年)8月に、広島郊外自動車株式会社と合併。1943年(昭和18年)4月10日に、政府のバス事業統合の方針に伴い、三段峡自動車株式会社・太田自動車株式会社・平和自動車株式会社・牧野バス 牧野正男・丸三自動車株式会社・合名会社水内自動車商会・熊野胡子自動車合資会社と合併した。1945年(昭和20年)8月6日の原子爆弾により被災。同年8月13日、4台の車両により運行を再開して終戦を迎えた。
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