事業開始時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 04:12 UTC 版)
「DDIセルラーグループ」の記事における「事業開始時期」の解説
1989年7月 - 関西セルラー電話 12月 - 中国・九州セルラー電話 1990年4月 - 東北セルラー電話 8月 - 北海道セルラー電話 9月 - 北陸セルラー電話 12月 - 四国セルラー電話 1992年10月 - 沖縄セルラー電話 一方、トヨタグループは、1987年に「日本移動通信」(IDO)を設立。京セラグループとは異なる、NTT大容量方式(ハイキャップ)によるアナログ自動車電話サービス事業を1988年12月に開始。 この結果、IDOとDDIセルラーのシステムの互換性がないため、DDIセルラーと相互利用ができず、IDOの事業地域である関東・東海・甲信地区以外はライバル企業のNTTにローミングせざるを得なくなった。この状態は、TACS(JTACS)方式を販売するモトローラにとっては不利であり、モトローラはその政治力を利用し、アメリカ政府に陳情。アメリカ政府は、日本の対米輸出の黒字による貿易摩擦の引き換えとして、TACS(JTACS)方式を導入するよう圧力を与えるようになった。 このアメリカの政治的圧力に押される形で、1991年10月に、IDOも東京23区からJTACS方式の導入を始め、1992年12月にようやく両グループのJTACS方式のローミングが開始され、相互利用が可能になり、事実上の全国サービスとなった(なお1994年より日産自動車と合弁で関東甲信地域にツーカーセルラー東京、東海地域にツーカーセルラー東海の事業を開始している。ツーカーの項も参照)。 その後、IDOとともに、PDC方式を導入したが、アンテナ配置の関係でNTTドコモの方が受信しやすいとのユーザーからの要望に応えてNTTとのローミングを残存させ、ショートメールサービスはIDOとDDIセルラーは異なる方式となった。その後、CDMA方式のデジタル通話(CdmaOne)を導入し、ショートメールなどを含め料金体系を除き全国統一サービスとなった。それをきっかけに、DDIとIDOは提携関係から、「au」ブランドへの統一、会社合併へと進んでいくこととなった。ブランド統一から現在への移り変わりについては、auの項で詳述する。なお、TACS方式は1999年8月に相次いで新規受付を終了し、現在のKDDIが発足する前日の2000年9月30日に全社とも停波し、11年の歴史に幕を下ろした。
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