大河内秀綱とは? わかりやすく解説

大河内秀綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 14:36 UTC 版)

大河内 秀綱(おおこうち ひでつな、天文15年(1546年) - 元和4年9月13日1618年10月31日))は、戦国時代安土桃山時代武将江戸時代初期の旗本。寺津城主[1]。大河内信貞の子。母は小見頓斎の娘。通称は孫太郎、金兵衛。子は大河内久綱松平正綱秋元泰朝室、由利姫(永井直勝側室)。


  1. ^ 秀綱の居所について、『額田郡志』、『三河国二葉松』では額田郡(大平村大河内郷、洞村)としている。このことから大河内氏支流から宗家へ養子に入った可能性もある。
  2. ^ 『神武創業録』永禄7年2月28日。
  3. ^ 吉良家中での確執に巻き込まれ、伊奈忠次の配下となり、その後、家康に仕えたという説もある。
  4. ^ 埼玉県大里郡寄居町大字鉢形に「大河内金兵衛陣屋」の跡が残っていたが、遺構はほぼ消滅した。


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