大河内久徴とは? わかりやすく解説

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大河内久徴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/14 19:31 UTC 版)

大河内久徴
時代 江戸時代後期
生誕 安永3年(1774年
死没 天保13年6月2日1842年7月9日
別名 金之丞
戒名 清凉院殿無関元透居士
墓所 埼玉県新座市野火止の平林寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
氏族 大河内家
父母 父:大河内久雄 母:安藤定厚の娘
兄弟 久徴、久誠、鉱之助、女
石河政武の娘
久信、女

大河内 久徴(おおこうち ひさあきら)は、江戸時代後期の旗本大河内宗家20代。石高は715石。

生涯

安永3年(1774年)に大河内久雄の長男として生まれる。文化3年(1806年)7月に父が死去したため家督を相続する。小姓組を勤め、天保7年(1836年)10月8日に小姓組与頭となる。天保12年(1841年)閏1月6日に職を辞し、天保13年(1842年)6月2日に死去。享年69。

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十五
  • 小川恭一編『寛政譜以降旗本家百科事典 第1巻』(東洋書林、1997年)
  • 『平林寺史』(春秋社、1988年)



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