2017年 -通算最多勝利更新・優勝40回-
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:42 UTC 版)
「白鵬翔」の記事における「2017年 -通算最多勝利更新・優勝40回-」の解説
前場所と同じく東横綱2で迎えた2017年1月場所は順調に初日から連勝。4日目に栃ノ心に寄り切りで勝利し同一取組の初顔合わせからの連勝では歴代単独2位を記録した。7日目には横綱出場回数が歴代1位となる819回目となり並んでいた北の湖の記録を更新しこの日の取組にも勝利している。しかし、8日目に初顔合わせとなった荒鷲に立合い変化されそこは素早く対応をするも廻しを取られ劣勢になり、そのあとのこの場所鶴竜戦でも見せていた荒鷲の速攻に勢いよく時計回りに体を回されて不意をつかれて寄り切られる不覚をとり、中日での勝ち越しならず、初顔合わせの連勝も28で止まり1敗に後退した。荒鷲はここまで鶴竜戦での金星以外の勝ちが無くこの場所2勝目を2個目の金星であげることになった。白鵬は支度部屋でも何度も首を振り厳しい表情を見せつつ「まあ見ての通り。こういうこともある」と話し、どこか隙があったことを認めて気持ちを切り替え、1差で追う展開には「もうダメー」と笑う余裕も見せていた。だが、翌日の小結高安戦は立合いから攻め込まれ連敗。2敗に後退した。また全勝だった稀勢の里も敗れたため1差は変わらず。白鵬は「気合いが空回りした」と稀勢の里の敗戦後の取組を反省しながらも古傷の右足親指を気にするそぶりも見せ体調がまだ万全ではない様子も見せ「立ち合いで勝負あった」「横綱でも、ちょっとズレがあると負けるということ」と相撲の難しさを淡々と語っていた。そして「一番一番だよ」と勝負どころを見据えて気合いを入れていた。10日目の勢戦は危なげなく勝利し勝ち越し。また、昨年の名古屋場所で勢に敗れた際に右足親指を負傷しこの怪我のために左膝の痛みがぶり返した。それ以来の因縁の対戦とあって「きょうはリベンジというか突いていく意志を固めていった」といつも以上に気合いが入っていたと語っていた。また、11日目までに日馬富士、鶴竜ともに休場したためこの場所横綱は白鵬のみとなり、14日目は上位陣の休場が相次いだためこの場所優勝争いしていた平幕の貴ノ岩との対戦が初めて組まれる。実力差からすると勝利が濃厚だったが、一方的に寄り切られるというまさかの展開で敗れ、3敗に後退。8日目の荒鷲戦に続き初顔2連敗となり、横綱昇進後自身初の結果となった。この日稀勢の里が勝利したため、横綱昇進後初めて4場所続けて優勝を逃したと同時に稀勢の里の横綱昇進を許す結果となった。この日敗戦してしまった白鵬は初優勝を決めた稀勢の里について「おめでとう、だね」と祝福の言葉を贈り「強い大関がいて良かった」と稀勢の里の活躍を笑みを浮かべて褒め称えていた。千秋楽での稀勢の里との直接対決前には「明日もいい相撲取るだけ」と語った。千秋楽の稀勢の里との対戦は立合いから敢えて稀勢の里得意の左四つに組み一気に攻め込むも、土俵際のすくい投げで敗れ、2場所連続11勝4敗で場所を終えた。白鵬は稀勢の里を「最初は軽いと思ったが土俵際で残された。土俵際で強かったね。強い大関になった感じ」と語り、稀勢の里に「強い人が大関になり、宿命を持った人が横綱になる」と言ってきた白鵬は横綱昇進への最後の壁として「今日は宿命というか、運命に任せたんだけどね。強い大関が優勝しましたね」と勝利を称えて言葉を贈った。また、今場所を「取りこぼしがあり過ぎた」と反省。来場所については「精いっぱいやっていい相撲を取りたい」と語っていた。 3月場所は稀勢の里の昇進で4横綱となり、自身は東横綱として番付最上位で迎える。しかし、場所前に右足裏を痛め、初日の正代戦で突き落としで敗れた際に傷が悪化。4日目には勢に圧倒される形で寄り倒され(物言いがついたが軍配通り敗北)、通算15個目の金星配給となる。患部をかばっているうちに他の場所まで悪化し結局、翌日の5日目から「右母趾捻挫、右大腿筋群損傷で3週間の加療を要する」との診断書を提出して休場した。5日目対戦予定だった御嶽海が不戦勝。休場は5度目で、横綱昇進後は3度目。この休場で横綱になって5場所続けて優勝から遠ざかる格好となってしまった。その後モンゴルに帰国してリハビリに取り組み、ヨガや食事療法なども行い、春巡業は靖国神社奉納大相撲から参加した。久しぶりに土俵に上がった白鵬は「春巡業の優勝争いはテレビで見ていた。稀勢の里は横綱の責任を果たしてくれた。今度は自分が優勝するという気持ちになりました」と5月場所で1年ぶりの賜杯奪還を果たすことに意欲を見せた。さらに白鵬は「知人からは40回以上の優勝は誰もいないと言われて体が熱くなりました。いつ達成できるか分からないが、大台の40回を平成の土俵で見せたいです」と新たな目標に向かう決意を語った。3月場所後、12代宮城野から「いっぺんやってみたら」とこれまで主義として行わなかった筋力トレーニングによる強化を提案され、これまで以上に体をいじめ抜き、12代宮城野に「死ぬかと思った。こんなにきついのは大関に上がる時以来だった」と漏らすほど自らを追い込んだ。 5月場所は自身初の西横綱2の番付で迎える。初日から好調で2016年夏場所以来となる中日勝ち越しを記録した。10日目の高安戦では高安の馬力を警戒して右の張り手から右に動き、左上手を確実に取りに行き、寄り切れないと判断した後は頭を付けた(寄り倒しで白鵬の勝ち)。この相撲は場所後の尾車のコラムでも触れられている。そのまま勢いに乗って14連勝で38度目の優勝を決めた。1年ぶりの優勝に白鵬は「長かったかなと、改めて自分と見つめ合い、土俵に感謝していた」「全部特別だけど、今回はひと味違う」「頑張って努力すれば、こうやってやれると示せた。休んだ分、暴れてやろうという気持ちでやった」と感慨深げに語っていた。5月場所は8回目の優勝でこれで大鵬に並ぶ12年連続の優勝となった。千秋楽も日馬富士を倒し自身の記録を更新する13回目の全勝優勝を決めた。優勝インタビューでは「ただ今、帰りました!」と挨拶した。また、5月場所は2年連続の全勝優勝となった。一夜明け会見では3日目の千代翔馬戦で左足親指を打撲(あるいは脱臼)したことを明かしている。 7月場所は東横綱で迎え、5日目には先場所から20連勝で大鵬に並ぶ9度目の20連勝。さらに先場所に続き中日勝ち越しを記録した。さらに9日目には平幕の輝と対戦し勝利。歴代2位の勝ち星だった千代の富士に並び、翌日の千代の富士の弟子だった千代翔馬に勝利し、千代の富士の記録を抜いた。番付では東前頭5枚目と対戦する可能性は低いが横綱、大関と休場が相次いだために実現し、白鵬は「巡り合わせというかね。弟子に勝って恩返しできたのかな」と笑みを浮かべた。だが、11日目はこの場所横綱稀勢の里を倒すなど好調だった関脇の御嶽海に土俵際で粘るも敗れて黒星。先場所からの連勝は25で止まった。白鵬は記録への重圧などもあって硬くなったかもしれないと口にしていた。しかし、翌日は問題なく関脇の玉鷲を倒し、歴代1位の魁皇に並ぶ1047勝目を記録した。翌13日目の7月21日、大関の高安を押し倒しで下して1048勝とし、前人未到の新記録を達成した。白鵬はインタビューで「満足しています。硬くはなかったんですけど、ちょっと安心したというのがありましたね。相撲は奥が深い。秋場所じゃなくて名古屋場所で応援してくれる人の前で決めることができて良かったですね」とコメントしていた。このまま勢いに乗り千秋楽まで全て勝利し14勝1敗で39回目の優勝を決めた。自身9回目の連覇で名古屋場所は7回目の優勝。白鵬は優勝インタビューで39回目の優勝にかけて「名古屋のみなさん、サン・キュー!」と言っており、「11日目に負けてしまいましたが、そのあと(の相撲)が良かったので、もう1番あると信じて、気楽に土俵に上がりました」と、御嶽海に敗れた後に、自らの気力を奮い起こしたことを明らかにした。インタビューではまた、誰も歩いたことがない道をどんな思いであるくかと聞かれて、子供の頃に過ごしたモンゴルの草原を思い出したのか「ゆっくりあしたからふるさとに帰って休む」と語った上で「幕内1000勝を目指します」と新たな目標を示して飽くなき挑戦心を見せていた。 7月30日から始まった夏巡業では、他の3横綱が休場する中で「自分が休んだ時も他が頑張ってくれた。今回は託されたと思って」と夏巡業を1人横綱としてまっとうする決意を口にした。しかし、7月場所前に発症した左膝痛の治療に専念せざるをえなくなり8月13日から無念の帰京となった。 症状は場所前になってもおさまらず結局、9月場所は左大腿四頭筋腱炎、左足関節靱帯損傷で7日から約3週間の投薬リハビリテーション加療を要する見込みとの診断書を提出して休場した。12代宮城野は左ヒザの炎症で全治3、4週間と説明し「横綱は無理をして変な相撲を取って途中から休場など迷惑をかけるなら万全で出たいという気持ちがあったのでは」と説明していた。休場した9月場所中には4日間の断食に取り組むなどして調整し、体重を10㎏落とした。11月3日、福岡県内の宮城野部屋九州場所稽古場に出稽古に訪れた錣山部屋の十両青狼、阿炎と申し合いを行い、計12番で全勝。 11月場所は西横綱で迎える。しかし、初日から鶴竜が休場。さらに3日目から日馬富士が休場し残りの稀勢の里まで10日目に休場してしまい、横綱は自身一人だけになってしまう。そんな中でも初日から連勝し8日目にストレート勝ち越しを決めた。白鵬の中日勝ち越しは44回目となった。そのまま連勝していたが11日目に立ち合いで先に嘉風の顔を張ったがそのまま嘉風に攻められ黒星。1敗となった。白鵬は立ち合いが合わなかったと納得がいかないアピールで取組が終わったあともしばらく土俵下に残り物言いをつけたが認められず、翌日審判部から厳重注意と取り組みを行った力士には物言いを付ける権利が無いという規則説明を受け、「真摯に受け止めて、きちんとします」と反省の言葉を述べた。この12日目の取組は休場前の7月場所で不覚を取っていた御嶽海だったが何もさせずに勝利している。また取組後に「申し訳なかった」とファンに謝罪し「ファンの皆さんもあんな(中途半端な)相撲を見たくなかっただろうし、だから(取組の映像を)見てほしかった」と語っていた。13日目の宝富士戦は本人もいる人がいなかったという薄氷の勝利でなんとか勝ち2年ぶり10度目の年間最多勝を達成した。14日目に2敗で追っていた力士が破れ自らは勝利したため40回目の優勝を決めた。白鵬は「3月に休んだ時に、後援会の方から『30回優勝した人は3人いるが、40回は誰もいない』と言われ、体が熱くなった。ちくちくするものがあった」と気合が入っていたことを明かし「7年前野球賭博問題に揺れた名古屋場所に大変な場所を経験した。二度とこういうことがないようにという気持ちを持っていた。本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。ファンの温かい声援が本当にありがたい」と語っていた。千秋楽も勝利し14勝1敗で場所を終える。優勝インタビューでは改めて東京オリンピックまで現役を続けることを誓い、さらに「場所後に真実を話し、うみを出し切って、(暴行問題の当事者である)日馬富士関と貴ノ岩関を、再びこの土俵に上げてあげたいと思います」と宣言。また、2017年に取り組んでいたヨガや断食の効果が出ており、稽古は嘘をつかないものだとも話していた。次なる目標として幕内1000勝を掲げ、最後に観客と共に万歳三唱を行った。角界が不祥事に揺れており白鵬本人も場所中に自身の取組に「物言い」を求める事態を引き起こした中でのこの万歳三唱に関しては有識者からも批判が出ており、やくみつるは「暴行現場に同席した当事者の一人という自覚があれば、冗舌に語ることが許されないのはわかるだろうし、万歳をお願いできるわけがない。独善的な行動で問題の深刻さを全くわかっていない」と朝日新聞の記事で話していた。また、スポーツ評論家の玉木正之は「土俵に戻る戻らないは、相撲協会が決めることで、横綱が決めることではない。最近の白鵬は少し傲慢ではないか。それを許している協会にも責任がある」と断じた。この一連の振る舞いが、後述の一代年寄廃止論を決定づけたのではないかとする分析も存在する。2017年は56勝9敗25休(内1敗は不戦敗)で年間最多勝を獲得。しかし春場所と秋場所を休場し、計26も取組の少ない白鵬が獲得したことについて、朝日新聞の記事は「お寒い限りだった」と評している。
※この「2017年 -通算最多勝利更新・優勝40回-」の解説は、「白鵬翔」の解説の一部です。
「2017年 -通算最多勝利更新・優勝40回-」を含む「白鵬翔」の記事については、「白鵬翔」の概要を参照ください。
- 2017年 -通算最多勝利更新優勝40回-のページへのリンク