韓国・北朝鮮の反応
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2000年に入り、韓国のメディアにおいて東北工程の存在とその研究内容が伝えられるようになった。韓国の歴史研究者や政治家は厳しく抗議し、一般人の中でも東北工程に対する激しい抗議活動が行われた。学会においては「中国の高句麗史歪曲対策委員会」が組織され、これを基に「高句麗研究財団」が設立された。 2006年に入ると新たに渤海および白頭山の「歴史的帰属」にまで問題は拡大した。韓国国内での中国への抗議活動に対して、2004年8月に両国政府間で「歴史解釈の問題が政治争点化することを阻む」との合意が行われた。対中外交を重視する盧武鉉大統領は東北工程は中国政府の公式認識ではないとして長い間公式の抗議を行わなかったが、メディアにおいて政府批判が強まったため、2006年9月ヘルシンキで開催されたASEM首脳会議において、中国の温家宝首相に「学術研究機関次元だとしても両国関係に否定的な影響を及ぼすことがあり得る」との抗議を行った。 2004年、スペインメディアの『エル・ムンド』が、「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していたが、1910年の韓日合併までの15年間にわたって独立を味わったりもした」「建国時点である紀元前2333年から日清戦争の1895年までの4228年間にわたって中国の属国だった」と報道し、日本が中国の植民地だった韓国を救ったように報道した。この報道についてVANKのパク・ギテ団長は、「韓国が元々中国植民地だったと伝えたCNNテレビ、平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネルなどのケースと同じ脈絡のもの」「中国が東北工程のグローバル戦略の一環に、全世界のメディア通じて韓国歴史の歪曲を展開している証拠」と批判している。 韓国のテレビ局はこぞって『朱蒙』(2006年MBC)『太王四神記』(2007年MBC)『風の国』(2008年KBS2)『淵蓋蘇文』(2006年SBS)『大祚榮』(2006年KBS)など高句麗と渤海を題材にする歴史ドラマを次つぎと制作し、一時期には韓国の歴史ドラマは古代史を題材にしたものが席巻した。これは内外に「高句麗と渤海は韓国の歴史であること」をアピールする意図があるが、そのため中国では放送禁止となるものもあった。宮脇淳子は、『朱蒙』について「朱蒙に関する神話的エピソードを、現代的な成長物語にアレンジした上に、衣装や鎧、建築物から激しい戦闘シーンに至るまで、時代考証は完全に無視した創作が盛りだくさん。このような徹底したエンターテインメント化が功を奏して、平均視聴率40%超の大ヒット作となった。また、このドラマのもうひとつの特徴が政治色の強さ。従来、韓流歴史ドラマで紀元前の時代を扱ったものはなかったが、中国との間で高句麗の歴史的帰属問題が持ち上がったことを受けて、民族的な強い意志をもって制作された。そのため、史実とは異なる形で古朝鮮という国を設定するなど、韓国の主張に沿った舞台設定がなされている。しかし、夫余や沃沮などの東北アジア諸部族の国まで、古朝鮮から発した朝鮮民族の国とするような強引な設定も目立つ」と評しており、また、『太王四神記』については「檀君神話という朝鮮民族の始祖伝説と高句麗を組み合わせることで、高句麗がシナ王朝の地方政権だとする中国の歴史研究プロジェクト・東北工程に対抗して、高句麗を韓国の歴史に取り込もうという国家的プロパガンダの企画意図が見て取れる」と評している。 2014年には、韓国俳優のキム・スヒョンとチョン・ジヒョンが出演していた中国商品(ミネラルウォーター)の原産地表記が(白頭山ではなく)長白山となっていたことで「白頭山を中国領にしようとする中国の歴史歪曲の動き『東北工程』にカネ目当てで利用された」との批判を浴び、CF契約を解消して謝罪、中国では共産党系メディアが猛反発するという事件も起きている。 いわゆる従軍慰安婦問題など日本の歴史問題を強く批判する韓国メディアも、東北工程については「より深刻な歴史歪曲」として捉えるなど、厳しい態度を崩していない。 このような韓国の韓国内での反発とは対照的に、北朝鮮は全く反応を示していない。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)機関紙である『朝鮮新報』において、「中国が高句麗史を自国史に編入しようとしているのは露骨な歴史歪曲」であると示されていたのが唯一の対応である。2004年にユネスコで中国の高句麗前期の都城と古墳とともに北朝鮮に所在する高句麗後期の古墳群が世界遺産に同時登録された際も当時の駐日中国大使の武大偉から同時登録を要請された画家の平山郁夫が中朝両国の仲介を行った経緯があり、北朝鮮と中国の間に、高句麗地区の領土問題が存在することが改めて認知された。 韓国メディアでは、中国人が高句麗を中国の歴史であると主張するなら、韓国人は「金及び清を朝鮮の歴史の附録或いは外史として扱う」という対抗論理も可能であるという主張もある。これに対して李鍾旭(朝鮮語: 이종욱、西江大学)は、「現代の韓国及び韓国人をつくった歴史が重要だという観点では、渤海と金は韓国人と血縁関係にないので、朝鮮の歴史の正史に入れることはできないと思います」「朝鮮の歴史の正統性は、古朝鮮、三国時代、統一新羅、高麗王朝、李氏朝鮮です。高麗王朝は、統一新羅の領土と人民をそのまま継承し、その支配体制をそのまま受け入れた。渤海は高麗王朝の建国に貢献していません。高句麗-渤海を朝鮮の歴史の正統性とみる歴史観は、目下の政治状況を合理化するための政治行為です」「20世紀に入って大日本帝国の侵略に抵抗する過程で、朝鮮人は高句麗を特別とみる歴史観をつくりあげました。活発な征服活動と広大な領土を掌握し、隋及び唐などの大帝国と堂々と戦った高句麗を朝鮮人は誇りと栄光の対象としたのです。しかし、韓国の経済規模が世界11位を占める今日に至り、民族史観を過度に強調するなら、むしろ世界の警戒対象となる恐れもあります」と述べている。 李氏朝鮮の実学者柳得恭が『渤海考』の中で、「高麗は南方の新羅、北方の渤海をあわせて南北国史を編纂すべきだったのに、これをしなかったため渤海故地をえる根拠を失い弱国となった」と主張しており、「南北国時代」論者はこれを特筆する。しかし、李氏朝鮮におけるメインストリームの見解は、『東国通鑑』に「契丹之失信於渤海、何与於我(契丹が渤海を裏切ったことなど我が国と関係ない)」とあり、『東国綱目』に「渤海不当録于我史(渤海は我が国の歴史に記録するにあたらない)」とあるように、渤海を自国の歴史の一部とみなさないものであったが、現在の韓国や北朝鮮では「渤海は高句麗人が建国した国であり、高句麗の継承国で、韓国史の一部である」と統一した見方をしている。この考え方は、1784年に柳得恭『渤海考』が初めに発表し、1970年代になってこの研究が盛んになり、現在では、この時代を北は渤海、南では新羅が並立した自国の「南北国時代」として国定教科書にも記載し教育をおこなっている。朴チョルヒ(朝鮮語: 박철희、京仁教育大学校)は、このような韓国の歴史教科書について、過度に民族主義的に叙述されており、「高句麗と渤海が多民族国家だったという事実が抜け落ちている。高句麗の領土拡大は異民族との併合過程であり、渤海は高句麗の遺民と靺鞨族が一緒に立てた国家だが、これについての言及が全く無い」「渤海は高句麗遊民と靺鞨族が共にたてた国家だというのが歴史常識だ。しかし国史を扱う小学校社会教科書には靺鞨族に対する内容は全くない。渤海は高句麗との連続線上だけで扱われている」と批判している。 金翰奎(朝鮮語: 김한규、西江大学)は、「東胡(モンゴル、契丹)、粛慎(靺鞨、女真)、濊貊(夫余、高句麗)は韓民族でも中国の漢族でもないとし、朝鮮史でも中国史でもない遼東史」という学説を提唱しており、「高句麗は朝鮮の一部でも中国の一部でもなかった。高句麗は遼東という第三の領域で建立された国で、歴史に出現した」「高句麗史は朝鮮史を形成した要素でもあるが、中国史を形成した要素でもある。しかし、同時に高句麗は朝鮮でも中国でもない」として、高句麗と朝鮮、高句麗と中国はそれぞれ言語と文化が異なり、同族意識がなく、高句麗が存在した4世紀から7世紀の「朝鮮」の支配領域は、三韓=朝鮮半島中・南部に限定され、大同江を超えておらず、一方、「中国」の支配領域も中原に限定され、遼西を超えておらず、高句麗は朝鮮でも中国でもない遼東の国であり、隋、唐の時代の中国人は、高句麗を「遼東」と呼び、高句麗侵攻を指して「征遼」とした。当時の遼東は、朝鮮半島北部以北の広い地域を指す概念であり、高句麗の領土範囲とほぼ一致し、高句麗は遼東で出現し、平壌遷都(427年)以降に遼東と朝鮮半島の一部を支配した統合国家であり、高句麗滅亡後、その流民と領土の一部が朝鮮や中国に編入され、その文化が朝鮮文化と中国文化の形成に一定の影響を及ぼしたが、高句麗という要素は、いくら高く評価しても、朝鮮と中国の周辺的成分に過ぎないと述べている。金翰奎(朝鮮語: 김한규、西江大学)が根拠として挙げているのは以下である。 種族や言語が異なる=高句麗建国の中心になった民族集団は貊人であり、それに濊と靺鞨が包摂され、平壌遷都後に韓人が包摂された。このうち、貊人、濊、靺鞨はすべて遼東に分布しており、高句麗人は中国人と同族意識を持つことがなく、朝鮮人も平壌遷都までは同族意識を持つことがなく、平壌遷都以前の高句麗はツングース系言語を使用し、平壌遷都以後、朝鮮語の要素が高句麗語に混入された。 歴史的経験と同族意識がない=高句麗は中国王朝である漢、魏、西晋、北魏、北斉の直接支配を受けたことがなく、また、三韓、百済、新羅など朝鮮国家の政治的支配下にあったこともなく、歴史意識の共有がない。高句麗人は自らの建国神話を夫余の建国神話に関連付けており、また、箕子を祭祀することにより、箕子朝鮮を継承したという歴史意識を表現しており、高句麗滅亡後、渤海人が高句麗継承意識を表明することで、箕子朝鮮、夫余、高句麗、渤海と繋がる遼東的歴史意識が形成された。 遼東共同体=遼東に出現した国家は例外なく、中国や朝鮮などの周辺地域に進出し、統合国家を成し遂げ、古朝鮮、高句麗、渤海は朝鮮半島北部を統合支配し、金、元、清は遼東を掌握した後、中国の一部あるいは全体を統合支配した。 韓国メディア『東亜日報』は、韓国人が高句麗を韓国の誇らしい歴史として認識しているのは、「私たちの歴史のなかで、ほとんど唯一中国王朝と対立し、中国王朝と戦うことができた国家だから」と報じている。 李鍾旭(朝鮮語: 이종욱、西江大学)は、高句麗中心史観を廃棄して、渤海も朝鮮の歴史から除外しようと主張しており、「韓国人のルーツは、新羅で正統性も新羅にある」「韓国人の姓氏は金、李、朴、崔など新羅出身が70%以上である」として、「高句麗と百済が私たちに残してくれた遺産はかすかな血筋と歴史記録だけ」と述べており、年中行事などの多くの遺産は新羅に起源をもち、新羅史を注目していないのは、自らの親を恥ずかしいとして隠す行為と同じであると主張している。
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