韓国・北朝鮮の主張の概略とは? わかりやすく解説

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韓国・北朝鮮の主張の概略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:29 UTC 版)

竹島問題」の記事における「韓国・北朝鮮の主張の概略」の解説

詳細は「#争点」を参照 韓国側の主張によれば現在の竹島独島)は古代から于山島の名で知られている韓国領土であり、1696年には朝鮮安龍福現在の竹島から日本人追い返し日本渡り幕府抗議したその後幕府鬱陵島当時竹島)と現在の竹島当時松島)を放棄した判断している(日本側は鬱陵島放棄したが、竹島放棄していないという立場を採っている)。また、1877年明治10年)に日本側の明治政府太政官指令により鬱陵島現在の竹島松島)を日本の領土から除外しており、その後1900年大韓帝国勅令41号が官報掲載され竹島独島)は石島という名で鬱島郡(=現、鬱陵郡)の管轄となったとしている。日本側が領有根拠のひとつにあげている1905年明治38年)の竹島編入については、日本の「韓国侵略」の過程行われたものであり、無効であると主張している。 なお、「解放」後の韓国政府は、戦後処理のうち帰属財産問題対日賠償請求に特に力点置いており、領土問題としては、竹島ではなく長崎県対馬の「返還」を、しばしば日本に対して要求していた。1948年1月23日南朝鮮過渡立法委院委員60名が「対馬島返還要請願書」に署名して提出し2月17日韓国国会でも来たる対日講和会議では対馬島返還」の提案が立議された。李承晩は、大韓民国政府樹立直後1948年8月17日記者会見において「対馬韓国領」との声明発表し9月10日には大統領特使東京での会見で「対馬韓国帰属すべき」と発言した1949年年頭記者会見でも李承晩は「対馬返還すべき」として、対馬領有権強く主張した竹島への言及はなかった。竹島については、米軍政期にあっても韓国地図文献には竹島描かれておらず、この時期地理教科書地図では韓国領土の東限を鬱陵島としており、竹島領土外とする状態が長くつづいた。「独島返還要求は、1948年8月5日憂国老人会という民間団体マッカーサー送った請願書の中で、対馬とともに独島」と波浪島という実在しない島返還求めたのが最初であった北朝鮮の立場 北朝鮮による領有権の主張は、もっぱら韓国による竹島実効支配支持するという形で行われている。北朝鮮竹島軍事境界線以北属するとは主張しておらず、黄海における北方限界線問題のような実効支配をめぐる南北間の対立存在しない。 「于山」の名が残る朝鮮古地図新増東国輿地勝覧』(1530)の付属地図朝鮮八道総図」部分 1628年地図地図東側鬱陵島朝鮮半島の間に于山島がある) 1600年代後半地図地図東側鬱陵島朝鮮半島の間に于山島がある) 『廣輿圖』(1737-1776)(鬱陵島東側に"所謂于山"と書かれた島が隣接している金正浩大東輿地図』(1861)、部分鬱陵島東側に"于山"と書かれた島が隣接している官撰大韓地誌』(1899)「大韓全図」部分鬱陵島右側于山と書かれている

※この「韓国・北朝鮮の主張の概略」の解説は、「竹島問題」の解説の一部です。
「韓国・北朝鮮の主張の概略」を含む「竹島問題」の記事については、「竹島問題」の概要を参照ください。

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