実在しない島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:01 UTC 版)
中ノ鳥島 別名ガンジス島。北緯30度05分・東経154度02分にあったとされる島である。1907年に山田禎三郎が発見し、上陸して測量を試みたとされている。1908年に日本領に編入されたが、その後は誰ひとり存在を確認できず、1946年に地図から抹消された。 ロス・ジャルディン諸島 別名マーシャル諸島(実在するマーシャル諸島とは異なる)。北緯21度37分・東経151度31分付近にあったとされる島であり、1972年11月までは海図に記されていた。南鳥島の南西約390km、マリアナ諸島のパハロス島の東約700kmの地点であった。1528年、北太平洋の横断途中であったスペインのアルバロ・デ・サアベドラ・セロン(スペイン語版)によって発見され、16世紀半ばや18世紀後半にもこの諸島についての報告が残されているが、1933年にアメリカ海軍の測量艦が行った捜索では島々を発見することができなかった。その後、音響測深によって海底2050mを頂点とする海山が発見されたが、かつて存在した島々が海中に沈没した痕跡である可能性は地質学者によって否定されている。 アブレオジョス島 別名ラングデイル島。北緯23度10分0秒・東経129度25分45秒付近にあったとされる島であり、1924年9月まで海図に記されていた。沖縄本島の南南東約370km、奄美大島の南550km、沖大東島の南西約230kmの地点であった。1543年、スペインのベルナルド・デ・ラ・トーレが発見し、1904年にイギリスの汽船によって再発見されたが、その後は目撃が途絶えた。沖大東島そのものである可能性が高いとされる。 イキマ島 北緯24度25分30秒・東経125度28分にあったとされる島であり、1906年8月まで海図に記されていた。宮古島の南約33kmの地点であった。1721年、清朝の康熙帝によって琉球国に派遣された徐葆光は『中山伝言録』に「[伊奇麻]訳伊喜間。在太平山東南。」(イキマ島という島が宮古島の東南にある)と記し、1751年にはフランス人のイエズス会士アントワーヌ・ゴービルによって『イエズス会士書簡集』にイキマ島が記された。しかし、徐葆光が記したイキマ島は宮古島の北西に実在する池間島のことであり、実在する池間島と実在しないイキマ島が地図上で共存していた時代もあった。1897年製図(1909年発行)の『東亜輿地図』には東西に細長い島として描かれている。イキマ島があるとされた付近の水深は1000m以上あり、地殻変動などによって島が水没したとする可能性は否定されている。 グランパス島 別名セバスティアン・ロボス島。北緯25度10分・東経146度48分にあったとされる島であり、1900年まで海図に記されていた。硫黄島の東約550km、南鳥島の西約730kmであった。1788年にイギリスのジョン・ミーアズが発見したが、1890年代の調査では確認できなかった。19世紀末には民間人から日本海軍の船艦までがグランパス島の捜索を試みている。 ビショップ岩 大東諸島近海にあったとされる。 ドロレス島 沖ノ鳥島と大東諸島の中間付近、沖大東海嶺にあったとされる。 ムーア島 伊豆・小笠原海溝の東側にあったとされる。 フォルファナ島 母島の南東、小笠原海台にあったとされる。 これら以外にも数多くの実在しない島が海図などに記載されていた。
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