実在した清吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 06:06 UTC 版)
鬼薊清吉は、文化二年 (1805) 年に小塚原刑場で打ち首獄門となった実在の盗賊・鬼坊主清吉をモデルとしている。墓所は東京都豊島区雑司ヶ谷霊園にあり参詣客が絶えない。安政六年 (1859) には二代目河竹新七(黙阿弥)が四代目市川小團次主演で劇化したのが全六幕の『小袖曾我薊色縫』である。これも講釈から脚色しているが、御家騒動や江戸城御金蔵破りの事件を絡ませており、落語よりも複雑な構成となっている。現在ではこのうち清吉とその情婦・十六夜にかかわる部分のみが全四幕の『花街模様薊色縫』(十六夜清心)としてよく上演されている。
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