西日本水害による水没事故とは? わかりやすく解説

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西日本水害による水没事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:37 UTC 版)

関門トンネル (山陽本線)」の記事における「西日本水害による水没事故」の解説

1953年昭和28年)の梅雨例年になく早く始まり、特に西日本では多く6月末になると4日間で600ミリを超すような60年ぶりという大雨降った大雨各地被害もたらし、のちに昭和28年西日本水害記録されることになった国鉄でも、680か所に及ぶ不通箇所発生するなど大きな被害受けた6月28日日曜日降り続いており、関門トンネル備えつけられた排水ポンプ稼働続けてトンネル侵入する雨水排出し続けていた。11時頃、戸ノ上山の麓でがけ崩れ発生し門司駅北側大川を堰止めた。これによって溢れたは、南側田畑川から溢れた合流して門司駅構内流れ込み始めた門司駅設置され雨量計では、10時から12時までの間に155ミリという猛烈な雨観測しており、このに川から溢れた加わり門司駅からスロープ状の掘割になっている関門トンネル門司坑口へと流れ込み始めた関門トンネル掘割囲う防水壁の第13号架線鉄柱付近にある切り欠き(壁が途切れた部分)から架線かすめるように濁水噴出し始め11時頃に巡回中の門司保線区員がこれを発見して通報した当時京都博多を結ぶ特急「かもめ」は、26日以来豪雨鹿児島本線不通となって上り列車を運転できずに博多編成取り残されており、次いで27日下り列車下ってきた列車門司打ち切りとなっていたが、この門司打ち切りとなった編成28日上り臨時第6列車「かもめ」として運転する予定としていた。しかし、11時2分に関門トンネルへの濁流流入通報受けて「かもめ」発車抑止された。 続いて下関側連絡して下り列車抑止行おうとしたが、約800名の乗客乗せた岩国佐世保下り327列車10時57分にすでに発車したあとであった関門トンネル抜けてきた第327列車機関士は、門司方の出口防水壁の切り欠きからの落水気づき、また公安職員の停止指示受けて11時8分ごろ、トンネル出口の約70メートル手前列車停車させた。保線区員が土嚢積んで切り欠きを塞ごうと試みたが、思うように塞ぐことができず落水は止まらなかった。仮に落水の中をそのまま通り抜けた場合水流によってパンタグラフ車体の間が短絡されるか碍子絶縁破壊起こして電気機材車体焼損するおそれがあり、あるいは架線溶断変電所遮断器動作により停電してトンネル内からの脱出不可能になるおそれがあった。電話指令室の指示仰いだところ、トンネル自体浸水懸念したことから強行突破指示出され1117分ごろに脱出開始した列車停止した場所から落水場所までは数十メートル程度しかなく、また急な上り勾配途中で列車引き出しは容易ではなかったこともあり、機関士はいったんトンネル内に列車退行させた。EF10形電気機関車車両前後合計2台のパンタグラフ搭載しており、このうち前部パンタグラフ下げて後部パンタグラフのみから集電した状態で列車再発進させると、勢いをつけてトンネルか出てきて、落水箇所直前後部パンタグラフ下げて落水箇所惰性通過し通過直後前部パンタグラフ上げて門司駅向かい1124分ごろに無事に到着した。 この直後1130分ごろ、防水の上越えて滝のようトンネル内に流れ込み始めたトンネル各所据えつけられた排水ポンプフル稼働したが、1145分ごろに上り線トンネル中央部ポンプが、1150分ごろには門司入口ポンプ使用不能となり、12時には下り線トンネル中央部ポンプ室配電盤浸水して爆発した本線トンネルか溢れた試掘坑道流れ込み弟子待と小森江試掘立坑底部集まってきた。浸水により繰り返し遮断器動作する中を変電所から排水ポンプ強行送電続けられていたが、ポンプ室次々機能停止していき、13時5分にはポンプ室への送電打ち切られた。ポンプ室詰めていた職員全員脱出成功した排水機能失った関門トンネル急速に水没していき、上り線1,880メートル下り線1,760メートル水没して推定浸水量は約9立方メートル達した16時すぎに浸水止まった時点確認したところ、トンネル全長の約3分の2天井まで浸水しており、関門トンネルによる本州九州連絡切断されてしまった。 関門間の輸送途絶したため、下関駅門司港駅結んで運航されていた関門連絡船豊山丸長水丸下関丸を使って旅客小荷物新聞類の代替輸送にあたるとともに支援として大島航路から七浦丸投入した貨物輸送については国鉄所有船舶のほかに、汽船漁船機帆船なども借り上げ代行輸送行った。かつて下関小森江桟橋の間で貨車航送行っていたが、下関岸壁関釜連絡船岸壁延長のために埋め立てられており、小森江可動橋取り外して転用したため、急に再開できる状況ではなかった。しかし、国鉄がかつて運航していた関門丸は宇高連絡船での運用終了したあと、民間会社払い下げられ関門海峡カーフェリーとして運用されており、結果的に貨車からトラック積み替え貨物代行輸送役に立つことになったトンネル浸水するとすぐに、国鉄西部総支配人を長とする復旧対策本部設置され各地から応援人員機材手配して排水復旧作業取りかかった。まず単線での運転再開1日早く実現することにし、下り線早期開通させる方針作業取りかかった試掘坑道に対して立坑にシンキングポンプ(吊り下げポンプ)を各4台、上り線下り線の各本線トンネルに対して下関側坑口から、門司側は小森江立坑からパイプ伸ばして水面付近にタービンポンプ(ディフューザポンプ)を各2台配置して排水行った小森江試掘立坑運び込んだ最初ポンプ7月1日から稼働し始め以降各地からポンプ届けられ幡生鉄道工場現地整備して据えつけられ、稼働し始めて行った1日約1,300立方メートルから1,700立方メートルに及ぶ湧水があったため、当初トンネル内の水量減少させるには至らなかったが、多数ポンプ順調に稼働し始めるとようやく減水していった。本線トンネル20パーミル程度勾配であり、1メートル水位が下がると水面50メートル後退することになるため、受電装置・ポンプ・サクションホースを台車載せて前進させ、後ろパイプ順次つなぐ作業をしていった。このパイプをつなぐ作業かなりの時間要したため、結果的に運転時間1日平均6 - 10時間程度であった。これに対して立坑から吊り下げたポンプ1日20 - 24時間程度運転することができた。また輸送用モーターカー排気により一酸化炭素発生し頭痛訴え作業員出たため、モーターカー使用制限した換気装置設置したりといった対応に追われた。 最盛期には1,000人を超える作業員1日3交代制作業従事した下り線7月10日に、上り線は翌11日に、トンネル天井部分がすべて見えてくる程度減水し下り線12日12時に一応の排水完了した。しかし、残り試掘坑道排除できるものと考えていたが、試掘坑道通じ排水管詰まっていたため、トンネル内の湧水により却って増水する状況であった。そこで、排水管閉塞取り除く流れ出した吸い込まれてしまう危険があるのを顧みず下関工事事務所職員汚水潜って手探り排水管探り当て詰まっていたごみを取り除いて無事に排水完了させることに成功した中央部溜まった泥や土が約60センチメートル程度あり、ポンプ室備えられ試掘坑道への連絡パイプ通じてできるだけ試掘坑道排除するとともに両側の坑口からトロッコ使って搬出し、7月13日19時に試運転列車通過させ、7月14日0時35門司発の貨物列車第678列車から単線での運転を17日ぶりに再開した続いて上り線では7月13日20時に排水完了し電気信号関係を完全に復旧させて7月17日開通させ、一旦下り線休止して上り線運行移したうえで下り線の完全整備実施し7月19日8時31分複線での完全復旧完了した本線トンネル復旧した時点ではまだ試掘坑道排水終わっておらず、さらに本線トンネル設置ポンプが未復旧であったため、トンネル内の漏水線路電線洗浄使った流れ込んで、むしろ水位増える方向であった表面ポンプ吸い上げてドラム缶ヘドロ詰めて立坑から運び上げるという作業昼夜三交代で継続し、ようやく8月20日試掘坑道復旧完了した国鉄列車の運行優先し1120分に最後列車通過するまで門司方の線路上に土俵による防水壁を築くことができずにおり、これがのちに衆議院運輸委員会問題にされることになった一方、第327列車機関士トンネル浸水発見した保線区員、現場で機関士運転指令の間の連絡あたった公安職員2名の計4名が8月31日に「緊密な連絡臨機処置により列車重大事故未然防止した」として長崎惣之助日本国有鉄道総裁から国鉄総裁表彰を受け、さらに機関士保線区員の2名は10月20日に「本年六月の風水害際し生命危険を顧みず公務遂行に当たりその功労は特に顕著である」として吉田茂内閣総理大臣より総理大臣表彰受けた。またトンネル中央部汚水潜って排水管閉塞解決した下関工事事務所職員は、2003年平成15年になって叙勲受けている。 水没事故経験生かし門司方の防水壁はさらに1メートル高くされ、トンネル入口ポンプ従来の約2倍の能力増強された。浸水防止するためにトンネル入口には鉄製防水扉が取りつけられ、トンネル内のポンプ地上から操作ができる強力なポンプ取り替えられるなど、浸水対策強化された。また、毎年6月には総合的な水防訓練実施されるようになった。なお、この水没事故後の1961年昭和36年)の変電所無人化に際して、運転電流と事故電流高精度弁別区別)して送電停止する故障選択継電器と、事故時に並列饋電している隣接変電所遮断器同時に開放する連絡遮断装置導入されたため、同様の事件再度発生したとしても、遮断器動作して停電することになり、第327列車のように落水箇所強行突破することは不可となっている。 上り線トンネル建設時工事事務所長を務めていた星野茂樹は、水没事故時は民間企業顧問となっていたが、トンネル開通から10年経ってちょうどいい機会であるとして、門司鉄道管理局根来次郎施設部長に連絡して排水作業傍ら流してトンネル大掃除をさせた。当時吉田朝次郎所長何事かと怒ったものの、関係者は「星野さんの命令」としてそのまま掃除続行したという。さらに根来施設部長は、トンネル再開後の最初試運転列車先頭乗って特級酒全線振りかけたという。またこの水没事故は、関門トンネル開通10周年記念して門司坑口に「道通天地」(道は天地通ず)という銘板取りつけ直後であったため、「天と地つながって空からもらい水をした」などと皮肉を言われることになってしまった。 「昭和28年西日本水害」も参照

※この「西日本水害による水没事故」の解説は、「関門トンネル (山陽本線)」の解説の一部です。
「西日本水害による水没事故」を含む「関門トンネル (山陽本線)」の記事については、「関門トンネル (山陽本線)」の概要を参照ください。

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