EF10形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:37 UTC 版)
「関門トンネル (山陽本線)」の記事における「EF10形」の解説
国鉄EF10形電気機関車は、丹那トンネルの開通に合わせて国鉄EF52形電気機関車をベースに開発された、本来は貨物用の電気機関車であるが、関門トンネルにおいては貨物と旅客の両方に使用された。1両で600トンを、2両で1,200トンを牽引した。EF10形の総製作両数は41両であるが、関門トンネルを担当する門司機関区への配置は、各時代の輸送需要の変化とともに14 - 25両の範囲で増減した。1941年度(昭和16年度)に34号機から41号機の8両を関門トンネル用に製作したが、まずは東京鉄道局管内の各地に分散配置されており、1942年(昭和17年)に入って順次門司機関区へと転属した。また、国鉄EF12形電気機関車を製作・投入し、これによって捻出した既存のEF10形の門司機関区への転属も行われた。要員についても、当時九州には国鉄の電化区間はなかったこともあり、門司鉄道局では九州各地から募集した電気機関車の乗務員や整備士を東京鉄道局に派遣して養成・訓練を行い、また東京鉄道局から開通後1年間の約束で経験者の派遣を受けて対応した。 関門トンネル担当のEF10形は、車室内両側通路に鋳鉄ブロックを約5トン搭載して粘着重量を増加させていたほか、パンタグラフの継ぎ手やスリ板受けに耐食アルミ合金を採用、要所に対塩害塗装を行うなどの腐食対策を行っていた。車体の腐食が特に激しい6両については、1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)にかけてステンレス鋼製の車体を製作して取り換えた。30号機以降は当初から重連総括制御装置を備えており、空転への対処が困難という問題を抱えながらも常用されていた。 門司機関区配置のEF10形は、1942年(昭和17年)7月の貨物営業開始の時点では11両、11月の旅客営業開始の時点では15両、そして1944年(昭和19年)9月の複線開業時には最高の25両に達した。戦後は輸送構造の変化により所要両数が減少し、東京鉄道局管内や中央本線甲府機関区などへ転出していき、最低で14両まで減少した。その後、後続のEF30形に置き換えられる時点では17両となっていた。1961年(昭和36年)に、九州の交流電化に伴いEF30形の配置が始まると、8月12日にEF10 23号機が吹田第二機関区に転属になったのを皮切りに、11月1日までに全17両が直流電化区間へ転属され、門司機関区の在籍車両が消滅した。 「国鉄EF10形電気機関車」も参照
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