関門トンネル対策車と外板のステンレス改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/30 16:06 UTC 版)
「国鉄EF10形電気機関車」の記事における「関門トンネル対策車と外板のステンレス改造」の解説
25号機以降は1942年に完成した下関駅 - 門司駅間の関門トンネル電化区間への投入を前提に製造された。更に太平洋戦争末期は本州 - 九州間の物資輸送の要衝であることから、輸送力の確保と強化のため、当時在籍した本形式の過半数が同区間に投入された。 関門トンネル区間での重連運用を予定していた25号機以降は、その利便を考慮して当初から重連用ジャンパ付きで竣工した。既存の22 - 24号機も門司機関区転属後に追加で取り付けられている。しかし、実際には当時の技術では空転検出が難しく、運転しにくい等の不便が指摘され、あまり活用されずに終わった。 海底トンネル特有の現象として、海水が漏水してくることで、車体や内部機器、パンタグラフ回り等に塩害を被る機が続出し、現場はその対処に追われた。また海峡中央部から地上へ出るまでの勾配では漏水で濡れた軌道によって空転も起きやすく、EF10各機には最大5t程度の死重を積載して粘着力を増加させるなどの対策が加えられている。 車体の抜本的な防錆措置として、戦後1953年以降、24・27・35・37・41の各機が骨組みはそのまま、外板をステンレスに張り替える改造を受けている。ステンレス合金を機関車の車体外板に採用した事例としては日本最初であった。ステンレス外板化された5両のうち4両は他の機関車と同じように標準のぶどう色に塗装されたが、24号機のみ銀色のまま無塗装で異彩を放った。 1961年に鹿児島本線九州地区が交流電化されたことから、関門トンネル用機関車も門司駅構内の交流電化区間を走行可能な交直両用のEF30に置き換えられることになった。直流専用のEF10形は撤退し、新鶴見・沼津・稲沢第二・吹田第二の各機関区に転属し、東海道本線などで使用された。無塗装であった24号機も、新鶴見機関区へ転属した直後に塗装されている。
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