国鉄EF10形電気機関車とは? わかりやすく解説

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国鉄EF10形電気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/08 13:29 UTC 版)

国鉄EF10形電気機関車
芝浦製作所で落成したEF10 18号機(1938年)
基本情報
運用者 鉄道省日本国有鉄道
製造年 1934年 - 1941年
製造数 41両
運用終了 1983年
主要諸元
軸配置 1C+C1
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1500 V
全長 18,380 mm
全幅 2,810 mm
全高 3,940 mm
運転整備重量 97.52 t
動力伝達方式 歯車1段減速、吊り掛け式
主電動機 MT28[1]
主電動機出力 225 kW × 6
歯車比 20:83=1:4.15[1]
制御方式 抵抗制御、3段組み合わせ制御、弱め界磁制御
制御装置 電磁空気単位スイッチ式
制動装置 EL-14A空気ブレーキ、手ブレーキ
最高運転速度 75 km/h
定格速度 30.0 km/h (1時間定格)
定格出力 1,350 kW (1時間定格)[1]
定格引張力 11,700 kg (1時間定格)
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EF10形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省貨物列車牽引用に1934年から導入した直流電気機関車である。

登場の経緯

鉄道省は大正時代末期から欧米の輸入電気機関車を導入し、その実績を元に1928年、旅客列車用の大型機関車EF52形を国産開発したが、これが好成績を収めたことから、1932年にはその改良型として東海道本線の優等列車牽引を考慮した大型高速旅客機関車EF53形を開発していた。

しかし、本線貨物列車用の大型機関車国産化は遅れ、もっぱら輸入機関車によって貨物列車を運行していた。このため、それらを代替すべく、EF53の設計を基本にその派生形として開発されたのが本形式である。

1934年から1941年にかけて日立製作所汽車製造三菱重工業川崎重工業日本車輌製造で41両が製造された[2]。この両数は戦前形の国鉄電気機関車の同一形式としては最多である。長期量産によって形態にも変化が生じ、当時の鉄道省における電気機関車向けのテストベッド的技術導入の対象にもなった。

以降の増備は、基本設計は共通ながら主電動機を変更し出力増強を図ったEF12形に移行している。また、上越線(水上 - 石打間)と中央本線向けとしてEF10形に回生ブレーキを追加した設計のEF11形4両が作られている。

構造

単位スイッチ制御器などの基本機構はEF53形のシステムを踏襲した。

モーターはMT28(端子電圧675V時定格出力225kW)を6基搭載し、機関車出力は1時間定格でEF53形と同じ1,350 kWとなっている[1]。歯車比は牽引力重視の低速形に変更し、20:83=1:4.15に設定された[1]。最高速度が低いことから先・従台車も旅客機関車のような2軸式ではなく、より簡素な1軸式のLT112・113となっている。従って軸配置は国鉄電気機関車で初の1C-C1となった。

主台車は大半は旧型電気機関車で一般的な棒台枠構造のHT56であったが、一部で住友金属工業製一体鋳鋼台車のHT57・HT58を装着したものがあった。大型の一体鋳鋼台車は剛性は高かったものの、現場での台車搭載機器の整備性に難があり、製造できるメーカーも住友に限られたことから、当時は大量制式化には至っていない。

尾灯は外付け式であったが、1960年代までに全機が車体埋め込み式に改造された。

分類

EF10 1 - 16(前期型)

形式図(EF10 1-16)

EF10 1 - 16は1934年に東海道本線の丹那トンネル開通と熱海駅 - 沼津駅間の貨物列車電化用に投入された[3]。EF53形に準じ、リベット組立で庇のついた角張った車体を持ち、一般に「前期形」と呼ばれている。

EF10 17 - 24(中期型)

形式図(EF10 17)

1938・39年製の17号機から24号機は前年登場のEF11形4号機に酷似した丸みの強い溶接構造の半流線型車体[4]で「中期形」とされる。台車はEF10 17・20 - 24には一体鋳鋼台車のHT57を装着した[5]

EF10 25 - 41(後期型)

形式図(EF10 30-33)

25号機以降は1942年に完成した下関駅 - 門司駅間の関門トンネル電化区間への投入を前提に製造された[6]。車体はEF56形後期形に準じ、戦後の機関車で一般化する角形溶接車体で「後期形」として区分される。EF10 30 - 33には一体鋳鋼台車のHT58が装着されていた[7]

関門トンネル区間での重連運用の利便を考慮し、当初から重連用ジャンパ付きで竣工した。既存の22 - 24号機も門司機関区転属後に追加で取り付けられている。しかし、実際には当時の技術では空転検出が難しく、運転しにくい等の不便が指摘され、あまり活用されずに終わった。

改造

関門トンネル向けステンレス化改造

関門トンネルで使用されていた門司機関区のEF10形の車体の抜本的な防錆措置として、戦後1953年以降、24・27・35・37・41の各機が骨組みはそのまま、外板をステンレスに張り替える改造を受けている。ステンレス合金を機関車の車体外板に採用した事例としては日本最初であった。ステンレス外板化された5両のうち4両は他の機関車と同じように標準のぶどう色に塗装されたが、24号機のみ銀色のまま無塗装で異彩を放った。

1961年のEF30形への置き換えにより、門司区のEF10形は全車が他区所に転属した。無塗装であった24号機は新鶴見機関区へ転属し、転属直後は無塗装のまま使用されていたが、翌1962年内にぶどう色に塗装された[8]

運用

当時としては大型の機関車であり、東海道本線の電化区間で貨物列車牽引に用いられたほか、関門トンネルや勾配線の中央本線では旅客列車牽引にも充当された。

東海道本線

東海道本線では1934年の丹那トンネル開通に合わせてEF10形が投入された。主に品川駅 - 新鶴見操車場 - 沼津駅間の貨物列車に使用され、配置区は大半が国府津機関区であった[9]

第二次世界大戦後は山陽本線関門トンネルで使用されていたEF10形の余剰機が転入した。関東圏では従来から配置されている車両とともに首都圏の貨物列車用として、関西・中部地区では名阪間の区間貨物列車用として使用されていた。1965年には関東地区での運用に集約された。

上越線

上越線では1938年に水上駅 - 石打駅間の貨物列車用としてEF10 17 - 19が水上機関区に新製配置された[4]。1940年には関門トンネル開業用のEF10 25 - 28も暫定的に水上機関区に新製配置されている[6]

従来のED16形重連の650 t牽引からEF10形単機で1,000 tの牽引に強化されたが、さらなる輸送力向上のため出力を増強したEF12形に置き換えられたため、EF10形は東海道本線などへ転用された[9]

山陽本線(関門トンネル)

関門トンネルの最初の試運転列車

山陽本線関門トンネルは1943年6月に当初から電化で開業し、EF10形が門司機関区に配置された。これらは関門トンネル用として製造後に東海道本線や上越線で暫定使用されていたものが転入している[10]

本州 - 九州間の物資輸送の要衝であることから、太平洋戦争末期の輸送力確保と強化により転入を含めた最大配置両数は25両に達し、当時在籍した本形式の過半数が同区間に投入された。旅客列車は下関駅 - 門司駅間を単機で、貨物列車は幡生操車場 - 門司操車場間を重連で牽引した[9]

海底トンネル特有の現象として、海水が漏水してくることで、車体や内部機器、パンタグラフ回り等に塩害を被る機が続出し、現場はその対処に追われた。また海峡中央部から地上へ出るまでの勾配では漏水で濡れた軌道によって空転も起きやすく、EF10各機には最大5t程度の死重を積載して粘着力を増加させるなどの対策が加えられている。1953年には5両が外板のステンレス化改造を受けている。

1961年鹿児島本線九州地区が交流電化されたことから、門司駅構内も交流電化に変更され、関門トンネル用電気機関車も交直両用のEF30形に置き換えられた。EF10形は新鶴見・沼津・稲沢第二・吹田第二の各機関区に転属し、東海道本線や山手貨物線などで使用された[9]

中央東線

中央本線では第二次世界大戦後の1951年に中央東線用として甲府機関区にEF10形が転入し、旅客列車の牽引に使用された[9]。その後はEF52形EF13形が転入したため、EF10形は国府津機関区と新鶴見機関区にそれぞれ転出した[9]

東京地区

東海道本線や山陽本線関門トンネル区間で使用されていたEF10形は1965年昭和40年)までに全機関東地区に転属し、国府津機関区新鶴見機関区八王子機関区および東京機関区に配置されて、首都圏の各線で区間貨物列車を中心に使用された。

40号機が1967年米軍燃料輸送列車事故で罹災し、長期休車ののち1975年に廃車。1975年以降老朽廃車も始まり、首都圏では東京機関区に配置されていた29・33号機が1977年昭和52年)に廃車されたのを最後に姿を消した。

信越本線新潟地区

戦後には長岡第二機関区にも一部が転属し、信越本線新潟地区の貨物列車に使用されたが、東京地区のEF53形EF59形へ改造されたのを補うため1965年に東京機関区へ転属した[9]

身延線・飯田線

EF65形などの新型機関車の増備により余剰となったEF10形は、先輪付きで軸重が軽いことを活かして次第に甲府機関区豊橋機関区に転属し、身延線飯田線など支線区での貨物列車牽引に充当されるようになった。

身延線で使用されていたグループは1977年暮れまでにEF15形に置き換えられて廃車となった。最後に残った豊橋機関区の飯田線南部の貨物列車運用も、後継形式であるED62形の増備で次第に廃車が進み、1979年には31号機の1両が残るのみとなった。31号機はダム建設による臨時貨物列車運転の予定があった為に暫く残される事になり、休車を繰り返しながらも時折運用に入っていたが、モーター焼損をきっかけに1983年に廃車になり、EF10形は形式消滅となった。

保存

EF10 35。前後にデッキを備えた国鉄旧型電気機関車の典型例。関門トンネル向けのステンレス外板車体仕様である。九州鉄道記念館にて(2017年8月11日)

関門トンネルで運用されたステンレス外板車のうちの1両、35号機は1978年に豊橋機関区で廃車となった後に北九州市に寄贈され、門司区の大里不老公園に保存された。2003年に修復の上、新しく開館した九州鉄道記念館に移され静態保存されており、これが本形式で唯一の現存機となっている[11]。動態保存機はない。

配置表

機関車配置表
年度 1935年 1937年 1939年 1941年 1943年 1947年 1949年 1951年 1953年 1955年 1957年 1959年 1961年 1963年 1965年 1967年
国府津 16 16 16 20 3 20 23 23 16 15 18 18 18 18 17 16
水上 3 6 10
沼津 7 6 3 1 1 1 1 3 1
甲府 2 3 6
長岡第二 3 3
浜松 1
八王子 2 3 4 2 9
新鶴見 2 5 5 12 13 13
稲沢第二 3
吹田第二 5 5
門司 16 21 16 14 17 17 17 17 17
東京 3
  • 「国鉄動力車配置表』1931年より1967年までの1945年を除く隔年分から『世界の鉄道』1969年、朝日新聞社
  • 不明分あり

脚注

  1. ^ a b c d e 藤本勝久「省形電気機関車 出生の記録 2」『鉄道ファン』2006年8月号、p.152
  2. ^ 沖田祐作 編『機関車表 国鉄編II 電気機関車・内燃機関車の部』(ネコ・パブリッシング RailMagazine 2008年10月号(No.301)付録CD-ROM)より。
  3. ^ 藤本勝久「省形電気機関車 出生の記録 2」『鉄道ファン』2006年8月号、p.151
  4. ^ a b 藤本勝久「省形電気機関車 出生の記録 3」『鉄道ファン』2006年9月号、p.127
  5. ^ 藤本勝久「省形電気機関車 出生の記録 3」『鉄道ファン』2006年9月号、p.129
  6. ^ a b 藤本勝久「省形電気機関車 出生の記録 4」『鉄道ファン』2006年10月号、p.132
  7. ^ 藤本勝久「省形電気機関車 出生の記録 4」『鉄道ファン』2006年10月号、p.133
  8. ^ 転属直後の1961年11月に無塗装車体のまま貨物列車を牽引中の写真が鉄道ピクトリアル誌の読者投稿写真として掲載されている。また同誌1962年11月号(通巻138号)では撮影日が1962年6月28日付の無塗装の写真と、同年8月24日付の塗装後の写真が読者投稿写真として掲載されている。
  9. ^ a b c d e f g 杉田肇「EF10・11・12・14形30年の動き」『鉄道ピクトリアル』1965年12月号、p.21
  10. ^ 藤本勝久「省形電気機関車 出生の記録 4」『鉄道ファン』2006年10月号、p.137
  11. ^ 但し、大里不老公園に保存されていた際に車体の窓が現役時代とは異なる太枠の窓枠に変わっており、九州鉄道記念館に移設後も復元されておらず原型を大きく損ねている。

参考文献

  • 『鉄道ピクトリアル』1965年12月号(No.178)、電気車研究会、「特集:EF10・11・12・14」
  • 藤本勝久「省形電気機関車 出生の記録 2」『鉄道ファン』2006年8月号(No.544)、交友社、pp.146-153
  • 藤本勝久「省形電気機関車 出生の記録 3」『鉄道ファン』2006年9月号(No.545)、交友社、pp.122-129
  • 藤本勝久「省形電気機関車 出生の記録 4」『鉄道ファン』2006年10月号(No.546)、交友社、pp.132-139

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