裏格闘技団体
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拳願会 御用達の地位を求めた商人たちが血で血を洗う争いを繰り広げていた時代、徳川幕府7代将軍徳川家継の命で結成された組合。発足は1716年。以来現代まで存続し続けており、その規模は裏格闘技界でも最大となっている。拳願会各企業の社員が出向して運営している。 利害が対立した場合に「闘技者」と呼ばれる腕自慢同士が「拳願仕合」を行い、勝負の結果を絶対化、それ以外の争いを一切禁止したものである。基本的に一対一の戦いで、武器の使用は禁止、女性の闘技者は存在しない。仕合中の服装に規定はないようだが、あからさまに武器を仕込めそうな丈の長いコートなどは仕合前に脱がされる場合がある。現在では暗殺者のような裏稼業の人間だけでなく、プロレスラー、大相撲の力士、プロボクサー、総合格闘家といった表格闘技界の著名人も多く参加している。常設の会場はなく、目立たないためにも、仕合するたびに金網やリングをいちいち設営することはない。 「ケンガンアシュラ」時点では大日本銀行総帥の片原滅堂が会長。登録闘技者数は1205名、年間仕合数は選手平均で8.5仕合。大半の企業は常駐闘技者は1〜2名。無敗の選手も少なくないが、これは敗北後に解雇・引退・死亡することも少なくないためである。一概には言えないが、企業獲得資産が高額であるほど企業にとって重要な仕合を任されているということになり、闘技者の力量の目安の一つとなる。反則のない拳願仕合でレフェリーが果たす役割は少なく、仕合中の仕事は基本開始と決着のコールのみ。「企業同士の面子と利益」に影響があるため、時間無制限で消極的なファイトへの罰則もないものの打ち合わずに逃げ続けることは基本的に許されず、闘技者が「明らかな戦闘不能」に陥るか「明確な降参」の意思を示さない限りレフェリーも安易に仕合を止めることができない。仕合中に闘技者が重傷を負った場合や明確な反則行為がわかった場合でもストップは行わない。 417社が加盟しており、会員になるには「富と社会的地位」と「拳願会の承認」が必要だが、挑戦料1億円で会員権を賭けた非公式な仕合が行われている。拳願仕合での成績順に「企業序列」が決められる。闘技者が引退後に所属企業の職員となる場合もある(禍谷園やガンダイでは社長が元闘技者)が、現役闘技者が社長を兼任するのはSH冷凍が初めてであるとされる。企業の集合体であるという関係から、企業同士で「派閥」を結成しており、例として最古の派閥である「三傑」、2番目に古い派閥の「四龍」、現最大派閥で東洋電力を頂点として複数の企業を従える「百人会」が存在する。次の覇権を狙う戦国時代に例えられるほどに深刻な派閥の対立を抱えているため、会長は責任問題を追及される事態は極力避けなければならない。 なお第1回目の公式仕合は8代将軍決定戦として行われた。尾張藩主徳川継友側は闘技者として山田浅右衛門を選出、紀州藩側は藩主徳川吉宗自身が闘技者として出場した。結果は歴史の語る通りである。 拳願絶命トーナメントで優勝した鷹風の推薦で、乃木グループ会長の乃木英樹が新会長に就任。『ケンガンオメガ』の時点で闘技者の死亡事故ゼロを目標に掲げる乃木の改革により、「闘技者を死なせた企業には、最長1年間の拳願仕合禁止」という新ルールが追加され、これにより企業側は闘技者に無理な連戦を強いることが難しくなった。明らかに重傷の闘技者を仕合に送り込み死亡した場合は所属企業が責任を問われ、審判の決着コールや相手企業の降参後に相手を殺害した場合は殺害した側の企業がペナルティを負う。ただ、仕合終了や降参の「前」に殺した場合は表格闘技で言う「リング禍」として誰も罪には問われず、故意か事故かの判断は難しい。ルールに対応するためにフリー闘技者を派遣する部門として「山下商事」が設立され、稀に企業所属の闘技者が他企業の仕合にスポット参戦するようにもなった。雇いたい闘技者がいる場合は一旦山下商事に登録しなければならず、企業が新たに闘技者を直接雇用することは禁止となった。また政策の一つとして、登録の際に「基準に達していない」者を弾く目的で闘技者との立ち合いを行う「採用試験」が導入され、これを見届ける採用部門も設立されている。闘技者にとっては自分の実力を企業側に売り込む絶好の機会ともなる。公平を期すため、対戦する闘技者の情報は伏せられている。また、他の会場で行われている仕合結果をリアルタイムで配信する(動画、画像は無し)新システムが導入されている。 絶命トーナメントから2年の間に「煉獄」と「毘沙門」の統合によって裏格闘技界最大規模の座を譲ったが、それでも全団体でレベルが一番高いとされている。滅堂の代で築いた東南アジア裏格闘技界とのコネだけでなく、「煉獄」の東アジア裏格闘技界とのパイプも狙っている。一方で、先代会長の滅堂の威光が薄れたことで求心力を失いつつあり、拳願会員がダークウェブに画像を流出させたり、闘技者が「煉獄」へ移籍するといった問題が出始めている。拳願絶命トーナメント 拳願会会長の座を賭けて行われるトーナメント。明治期より大規模な拳願仕合の開催地となっていた無人島で、現在は片原滅堂のプライベートビーチとなっている「願流島」が開催地となる。安易な参加を防ぐため高額になっており、今回の参加費も50億円であるが、参加自体がステータスとされるため仕合の勝敗にかかわらず新たに契約が決まることもあり出資分を取り返すことも不可能ではない。 今大会では「拳願会会長の指名権」を賭けるという特殊なルールの下で行われる。417社中151社がエントリーし、予選を免除された企業序列上位28社および残りの123社で行われたバトルロワイヤル方式の予選を潜り抜けた5社の計33社で行われる予定だったが、ペルシイ石油闘技者が開催前に脱落したことで32社で行われる。1回戦、2回戦、準決勝・決勝をそれぞれ1日ずつかけて行い、中日として1日のインターバルが設けられている。これは名目上では闘技者の休息のためということになっているが、企業同士の裏工作を自由に行わせる目的もある。さらに2回戦以降は本人の合意さえあれば1度だけ自由に闘技者の変更が可能となる(他企業の闘技者の引き抜きもあり)。それ以外の本大会の特徴としては拳願仕合初出場である闘技者が多く参加していることなどが挙げられる。 大会に出場した32名の闘技者は、2年を経た『ケンガンオメガ』ではレジェンドと呼ばれている。 煉獄 日本の裏格闘界で拳願仕合に次ぐ第2位の規模(「ケンガンアシュラ」時点)を誇る団体。代表は豊田出光。『ケンガンオメガ』の15年前に発足、他の裏格闘技団体と一線を画するエンターテイメントを全面に押し出した路線が爆発的な支持を得た。参加選手は「闘士」と呼ばれる。会場は人里離れた山中に建てられた5万人は収容できる闘技場。豊田のワンマン組織なので、拳願会と違って派閥は存在しない。東アジア裏格闘技界とのパイプを持っている。 他の裏格闘技と一線を画する独自のルールとして、「ノックダウン(審判の宣言から10カウント以内に立ち上がらなければ決着)」「場外(リングの外に体の一部が着いた時点で敗北)」「不殺(試合中に相手を死に至らしめた闘士は反則負けになり、ファイトマネーを没収)」の3つが存在する。一見すればスポーツのようで拳願仕合よりヌルく感じられなくもないが、この3つ以外は何でもアリな時点で表格闘技より過激である。この「過激性と競技性」のバランス調整に成功したことが一大勢力を築けた最大の理由であり、「ある程度の」生命の安全と表格闘技トップと同等〜以上のファイトマネー(A級闘士、一部のB級闘士のみ)が保証されていることで、優秀な選手が集まり観客の支持を得られた。拳願仕合よりレフェリーの仕事が多く、ダウン制があるので試合中のストップも度々起きる。 「ケンガンアシュラ」から『ケンガンオメガ』までの間に「毘沙門」と統合したことで登録選手数では拳願仕合を超え、日本最大の裏格闘技団体に成長する。『ケンガンオメガ』時点で所属する闘士は2000人に達し、上位30人までを「A級」、続く300名を「B級」、残る全員を「C級」の3階級で格付けしている。C級は玉石混淆で光る者もいるが全体レベルはそれほどでもなく、C級内の「玉のほう」はさっさとB級に昇格するがB級もピンキリ。だがA級は格別で、「強い奴」か「超強い奴」かのどちらかしかおらず、超強いとされる者は拳願仕合のトップクラスか、あるいはそれ以上の実力があるとされる。「双王(そうおう)」と称される2人の実力者や、“三鬼拳(サンキケン)”と呼ばれる3人の強力な中国拳法家などを擁し、仮にも“滅堂の牙”まで登り詰めた弓ヶ浜でもトップ5に入れないほど選手層が厚い。 毘沙門 日本の裏格闘界で第3位の規模を誇る団体。根津が絶対王者として君臨していた。 『ケンガンオメガ』より前に「煉獄」と統合して消滅した。 UNDER GROUND-1 西日本を拠点とする裏格闘団体。 デスファイト ヤクザが主催し、その資金源となっている裏格闘団体。武器の使用が許可される。裏格闘界では老舗だが、少し前まで桐生と平良が参加しており、彼の手でめぼしい相手は全員倒されてしまったらしく、その影響か最近では他団体に押されている。 殺戮武闘会 ルールの過激さで知られる裏格闘団体。 英雄故事 中国・北京で行われる裏格闘技団体。階級制を採用しているのが特徴。 運営にはチャイニーズマフィアが関わっており、ミドル級チャンピオンの隼と無差別級チャンピオンのムドーを同時に引き抜いた煉獄としばらく揉めることになった。 団体対抗戦 拳願会と煉獄で行われることになった裏格闘技団体間の対抗戦。勝利した団体が敗北した団体を吸収し合併することが決まっている。 5月当初は1年後に13名の代表選手を戦わせるという取り決めだったが、豊田が1ヶ月後に50名での開催へ変更要求したため、協議の末に半年後の11月に13名で行われることに決定した。その後、開催直前になって拳願会から延期の要求が出され、煉獄側も主力の弓ヶ浜が負傷していたためこれを受諾したことで、さらに1ヵ月遅らせて12月の開催になる。 会場は神殺山の火口に築かれた10万人を収容可能な「神殺ドーム」。試合ルールは煉獄側に準拠し、先攻チームが選手を決定したのを受けて後攻チームが選手を決め、先攻後攻は3試合ごとに入れ替わるというスペシャルルールが付け足されている。選手1人につき出場できるのは1試合だけ。また、第4試合はリング上の「時間」と共に狭まる光の範囲でしか戦えないという、制限時間5分間のスペシャルマッチとなり、「体全体」が範囲外に押し出されたら敗北、5分以内に決着しなければ無効試合となる。基本的に全ルールが煉獄側の闘士に有利に働くように設定されている。
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