衣笠キャンパス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:06 UTC 版)
使用学部:法学部、文学部、産業社会学部、国際関係学部、映像学部 使用研究科:法学研究科、文学研究科、社会学研究科、国際関係研究科、映像研究科、言語教育情報研究科、先端総合学術研究科 使用附属施設:立命館グローバル・イノベーション研究機構、人文科学研究所、国際地域研究所、国際言語文化研究所、人間科学研究所、歴史都市防災研究所、アート・リサーチセンター、生存学研究センター、環太平洋文明研究センター、白川静記念東洋文字文化研究所、間文化現象学研究センター、加藤周一現代思想研究センター、地域健康社会学研究センター、ゲーム研究センター 交通アクセス:京福電気鉄道龍安寺駅、等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅、京都市営バス「立命館大学前」(12・15・50・51・52・55・59・快速202・快速205・M1・臨時(立命館大学前行き)系統) 京都市北区等持院北町56-1に所在する。 1224年(元仁元年)、西園寺公経が西園寺と北山第(山荘)を建てた。14世紀末、室町幕府第三代将軍・足利義満が、西園寺家から北山第を譲り受けたが、義満の北山第は、西は衣笠山、東は天神川、南は衣笠総門町辺りまで含む広大な敷地であった。北山第が足利義満に譲られた後、西園寺家は再び近くに邸宅を構え、それは15世紀半ばまで衣笠山南麓に存在したとされる。1939年(昭和14年)、立命館大学が現在の衣笠キャンパスの開発に着手したところ、地下約90センチメートル(三尺)の位置から約300年前のものと思われる多数の屋根瓦片が発掘され、屋根瓦には西園寺家の紋章が確認された。さらなる調査の結果、太政大臣・西園寺公経邸のものと推定されるに至ったことから、現在の衣笠キャンパス一帯には、西園寺家の邸宅が建っていたと考えられている。 幕末の頃、現在の「衣笠キャンパス」およびその周辺には薩摩藩の藩兵調練場(小松原調練場)、弾薬庫、陣屋、勤番屋敷などを置く広大な緑地が広がっていた。明治維新の「鳥羽・伏見の戦い」では、この調練場の弾薬庫から大量の弾薬等が運び出されたと記録されている。 1939年(昭和14年)、満州国皇帝の愛新覚羅溥儀が立命館に寄付した約50万円のうち20万円で衣笠山の麓に6万坪の土地を購入し、理工系学科の学舎を建設したのが現在の「衣笠キャンパス」の始まりである。この寄付金の残額で学生向けの奨学金の基金も創設された。 等持院に隣接していることから、かつては「等持院学舎」と呼ばれていた。昭和20年代にはプロ野球「松竹ロビンス」が本拠としていた衣笠球場が現在の中央広場付近にあり、1954年まで「洋松ロビンス」の準本拠地球場として使用されていた。 設立当初より文系学部を「広小路学舎(中京区)」に、理工系学部を「等持院学舎(現・衣笠)」に置くという棲み分けがなされていた。戦後、急速に増え続ける入学志願者に対応すべく、京都市右京区西院方面に約6万坪の土地を購入し教養部を移転させるという「緑の学園」構想が持ち上がった。この構想は1957年(昭和32年)12月10日の学校法人立命館理事会で「現状では広小路、等持院を中心に充実をはかるべきである」という結論に達したため実現こそしなかったが、文系理系全学部を「衣笠キャンパス」に集約させるというその後の「衣笠一拠点政策」の契機となった。衣笠一拠点化は、1981年(昭和56年)に実現している。しかし、更なる学園拡大の流れにより、衣笠キャンパスでは手狭となったことから衣笠一拠点化は10年程度で終息し、複数キャンパス体制になっている。 現在の「衣笠キャンパス」周辺は、金閣寺、龍安寺、仁和寺、等持院などが点在する京都屈指の観光名所として知られる。キャンパス北側にはこれら名刹を結ぶ観光道路「きぬかけの路」が通る。中でも隣接する等持院の墓地には、室町幕府将軍の足利尊氏、足利義量および足利義勝、映画監督の牧野省三や衣笠貞之助、画家の山元春挙、木島桜谷、役者の尾上松之助、学園創立者である中川小十郎が眠っている。 衣笠キャンパスから北へ徒歩10分程度、金閣寺西部には西園寺記念館がある。飛び地の形で立地しているため「氷室キャンパス」と俗称で呼ばれることがあるが、これは公式なものではなく、衣笠キャンパスの一部である。付近一帯は1224年(元仁元年)に藤原公経が「西園寺」を建立した場所で、寺は西園寺家の家名の由来とされていることから立命館学園とはとりわけ縁の深い場所である。 BKC(びわこ・くさつキャンパス)と並べる必要がある際は、KIC(読み:キック)と略されることがある。 2020年8月25日、映像学部と映像学研究科が、2024年4月より大阪いばらきキャンパスへ移転することが発表された。 .mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 衣笠キャンパス正門 存心館(1981年竣工・法学部基本棟) 以学館(1965年竣工・産業社会学部基本棟) 図書館(2016年竣工) 恒心館(1965年竣工・国際関係学部基本棟) 志学館(1974年竣工) 清心館(1977年竣工・文学部基本棟) 研心館(1979年竣工) 洋洋館(1988年竣工) 衣笠キャンパス「東門」 究論館(2015年竣工) 明学館(1990年竣工) 創思館(2001竣工・独立研究科事務室) ランゲージセンター(2002年竣工・言語教育情報研究科基本棟) 敬学館(2004年竣工) 充光館(2007年竣工・映像学部基本棟) 育友館(2008年竣工) 第一体育館(現存せず) サブウェイ立命館大学衣笠キャンパス店(第一体育館1階にあったが、同体育館の解体に伴い閉店) 学生会館(1973年竣工) 京都衣笠体育館(2013年竣工) 有心館(1961年竣工) 尚学館(1988年竣工) 至徳館(1979年竣工) Cafe "Junge"(学生会館・1973年竣工) 立命館大学・アートリサーチセンター(1999年竣工) 末川記念会館(1983年竣工) 西園寺記念館(1988年竣工) アカデメイア立命21(1992年竣工) 諒友館食堂「Cafe Rosso」、コンビニ「リッチェ」などを併設する 西側キャンパス 啓明館 衣笠キャンパス「南門」と銀杏並木 1935年(昭和10年)に学祖・西園寺公望から寄贈された南天竹と山梔子。植樹に際し記念碑も立てられた。 銀杏並木(修学館自転車駐輪場) 衣笠キャンパス施設図書館 (University Library)図書館、ピア・ラーニングルーム(ぴあら) 存心館 (Zonshinkan Hall)教室棟。1階に法学部事務室、マルチメディアルーム。地階に生協食堂、書籍部など 存心館時計台の大時計はシチズン製。 名称の由来:本心を放失することなく、存し養ふ。(出典:孟子 尽心章 上) 興学館 (Kogakukan Hall)セミナールーム、自習室など 名称の由来:礼記 王制篇 「楽事勧功、尊君親上、然後興学」(事を楽しみ功に勧み、君を尊び上を親しみ、然る後に学を興す)。1953年に名称公募され、佳作に「洗心館」、「恒心館」があった。 志学館 (Shigakukan Hall)教室棟。1階に保険センター、心理・教育相談センター 名称の由来:論語 為政篇 「吾十有五而志於学」(吾十有五にして学に志す) 以学館 (Igakukan Hall)教室棟。主に産業社会学部の教室。1階に産業社会学部事務室。地階に生協食堂、多目的ホールなど 名称の由来:学を以って身を修め、学を以って人をなし、学を以って世を経する。(出典:荀子 勧学篇) 上から見ると立命館の「立」の字に見えると言われることがあるが、詳細は不明。 設計は富家建築事務所(代表・富家宏泰)、施工は清水建設。 1998年まで経済・経営学部が基本学舎として使用。2000年からは産業社会学部の基本学舎として使用されている。以学館前の石畳は、かつて京都市電の路線の敷石に使用されていたものを移設したもの。 研心館 (Kenshinkan Hall)教室棟。1階にキャリアオフィス、障害学生支援室、エクステンションセンター。2階に学生オフィス(衣笠)、スポーツ強化オフィス、学生サポートルーム 名称の由来:顧炎武の詩「古隠士」から。または「心を研く」という日本語的発想から付けたと推察される。1953年に名称公募され、佳作に「博心館」、「黎明館」があった。 学而館 (Gakujikan Hall)一般教室棟 名称の由来:論語 学而篇「学而時習之」(先輩に就いて学び、而して常に反復練習する。「習」は幾度も反復練習するという意味で、「時」は「常に」という意味。 1970年から1994年まで産業社会学部が基本学舎として使用。 有心館 (Yushinkan Hall)教室棟。1階にRAINBOWサービスデスク、共通教育課、サービスラーニングセンター 西園寺記念館 (Saionji Memorial Hall)立命館史資料センター準備課、衣笠セミナーハウス 清心館 (Seishinkan Hall)主に文学部の教室・共同研究室。1階に文学部事務室 名称の由来:清らかな心。また、心を清らかにする。(出典:後漢書 西域傳論) 啓明館 (Keimeikan Hall)主に文学部の学生共同研究室、実験実習室 名称の由来:毛詩 小雅・大東篇「東有啓明、西有長庚」(東に啓明有り、西に長庚あり) 洋洋館 (Yoyokan Hall)教室・研究室など。1階にマルチメディアルーム 名称の由来:充実しているさま、美しくすばらしいさま。(出典:論語 泰伯 第八篇) 恒心館 (Koshinkan Hall)主に国際関係学部の教室・研究室。1階に国際関係学部事務室 名称の由来:如何なる事件や境遇に遭遇しても決して変わらぬ道徳心(出典:孟子 梁恵王篇 上) 1965年の竣工時は六号館と呼ばれ、理工学部化学科と土木工学科が基本学舎として使用した。1994年から2000年まで産業社会学部の基本学舎だった。 諒友館(Ryoyukan Hall)教室棟。1階、地階に生協食堂、コンビニなど 名称の由来:論語 李氏篇「友直、友諒、友多聞、益矣」(直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、益なり) 修学館 (Shugakukan Hall)個人研究室棟。リサーチオフィス(衣笠) 名称の由来:史記 儒林伝「薫仲舒・・・至卒、終不治産業、以修学著書為事」(薫仲舒は、卒するに至るまで、終に産業を治せず、学を修め書を著すを以て事と為す) ランゲージセンター (Language Center)言語教育センター、言語習得センター (CLA)、言語教育企画課 尽心館 (Jinshinkan Hall)教員研究室棟、地階に情報処理演習室、情報語学演習室など 名称の由来:孟子 盡心篇 上「盡其心者、知其性也」(其の心を尽す者は、其の性を知るなり) 明学館 (Meigakukan Hall)教室棟。1階に衣笠国際教育センター、京都国連寄託図書館など 名称の由来:孟子 盡心章「日月明有り、容光をも必ず照らす」(その他の候補に、良知館、良智館、愛智館があった) 尚学館 (Shogakukan Hall)教員研究室棟 名称の由来:孟子 万章篇 下「以友天下之善士為未足、又尚論古之人、(中略)是尚友也」(天下の善士を友とするを以て未だ足らずと為し、又古の人を尚論す、(中略)是れ尚友なり) 敬学館 (Keigakukan Hall)教室棟 名称の由来:礼記 学記篇「師厳然後道尊、道尊然後民知敬学」(師厳にして然る後道尊し、道尊くして然る後民学を敬するを知る) 至徳館 (Shitokukan Hall)旧称「中川記念会館」 1階にキャンパスインフォメーション、衣笠キャンパス事務課、教職支援センター。2階に入学センター。3階に役員室。4階に教務課など 名称の由来:孝徳、即ち年長者への敬愛(出典:孝経 開宗明義章) 末川記念会館 (Suekawa Memorial Lecture Hall)故・末川名誉総長のメモリアルルーム、ホール、松本記念ホール陪審法廷、会議室。地階にレストラン「カルム」など 名称の由来:学校法人立命館の名誉総長である末川博の功績をたたえて名付けられた。 第一体育館 (Gymnasium 1) =解体トレーニングルーム、道場、サンドイッチ「サブウェイ」などがあったが、2013年に解体。跡地には新図書館が建設される。 第二体育館 (Gymnasium 2) =解体競技場、サークル部室 京都衣笠体育館 (Kyoto Kinugasa Gymnasium)旧第一・第二体育館を統合して2013年に新設。3つのアリーナ・柔道場等 学生会館 (Student Center)学生施設、サークルボックス、練習ホール、小ホール(劇場)、「Cafe Junge」(ゆんげ) アート・リサーチセンター (Art Research Center) アカデメイア立命21 (Academeia Ritsumei 21)立命館大学国際平和ミュージアム、中野記念ホール、立命館孔子学院 歴史都市防災研究センター (Research Center for Disaster Mitigation of Urban Cultural Heritage)展示ルーム、研究室 国際関係学部後期博士課程共同研究室 創思館 (Soshikan Hall - Human Research Center)研究棟。1階にカンファレンスルーム、独立研究科事務室 名称の由来:遠い将来を見通して、はかりごとを立てる(出典:人物誌 三国時代) アトリエ棟 (Atrium) クレオテック (Creotech)旧「平野会館」 充光館 (Jukokan Hall)映像学部基本棟(学部事務室)、映像学部ラウンジ 名称の由来:充実し、光り輝いている(出典:孟子 「尽心章句」) 育友館 (Ikuyukan Hall)小学校教員養成課程実習教室 名称の由来:小規模な建物であることから漢籍からの引用せず、使用目的から命名 究論館 (Kyuronkan Hall)大学院生共同研究室、リサーチコモンズ
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