松涛幼稚園とは? わかりやすく解説

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松濤幼稚園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/08 07:02 UTC 版)

閉園後の松濤幼稚園
(2011年7月撮影)

松濤幼稚園(しょうとうようちえん)は、かつて日本東京都渋谷区松濤に存在した私立幼稚園[注釈 1]2010年平成22年)3月をもって閉園した。開園当時の表札には「松濤幼児研究所」、閉園当時には「松涛幼稚園」とも表記されていた。

概要

開園は1947年昭和22年)で、開設者は後の学習院大学名誉教授伯爵林友春[1]の妻、 林貞子 はやし ていこ[注釈 2]であった[注釈 3][2]

高級住宅街である松濤に所在するとともに、慶應義塾幼稚舎学習院初等科をはじめとする有名小学校への進学実績、高額な学費、皇族旧宮家旧華族政官財界・著名人など名家の子弟が多く通うことで知られ、東京のいわゆる「お受験」界において、当園を筆頭に若葉会幼稚園港区西麻布)、枝光会附属幼稚園(港区三田)が『御三家幼稚園』と呼ばれていた。

教諭陣が旧皇族華族出身者や財界人の子女で構成される等の特殊性から、入園には実技試験や両親面接以外に家柄出自の詳細・学歴の提出(いわゆる身上書)や、本園と何らかの知己のある人物の紹介(紹介者の氏名捺印など)を必要とされていた。そのため、基本的に縁故入園の傾向が強く、一般の入園が困難だった点で教育関係者の一部では紹介制の「会員制倶楽部」と称される事もあった。

従来、「日本で最も学費が高額だった幼稚園」としても知られていたが、閉園前の2008年度(平成20年度)における初年度納付金額だけをみても135.0万円で、東京都内の幼稚園としては青山学院幼稚園(144.5万円[3])に次いで2番目に高額であった[3][4]。毎日送迎時間には、運転手付きの高級車がずらりと園の前に並び、ドアマンが開け挨拶していたことから「花より男子」の学園を彷彿させるステータスシンボルのような存在でもあった。

また、皇室関係者が在籍する学年があるときは、複数の皇宮護衛官が配置されていた。

皇族華族関係者や在園家庭の一部で、3年保育のみを募集する本園から、2年保育のみを募集する学習院幼稚園に移動する事例が見られた。

創立50周年には、三笠宮崇仁親王三笠宮妃百合子夫妻、三笠宮寬仁親王妃信子ら皇族が招かれた。

麻生家との関係

元総理大臣・麻生太郎の母であり麻生太賀吉の妻であった麻生和子は松濤幼稚園創設者で園長の林貞子にとって従妹にあたり(林の父・牧野伸通の妹が吉田茂に嫁いだ吉田雪子)、近い親戚であることから麻生家との関わりが深かった。

卒園生でもある麻生信子三笠宮家寬仁親王と結婚する以前、母・麻生和子同様、姉の荒船旦子[注釈 4]らと共に英語教師として勤務していたことでも知られた[注釈 5]

麻生太郎元首相(現・自由民主党最高顧問)本人とも所縁が深く、一時期運動会のために麻生邸の庭を貸していた。実際に、2008年9月23日のニュース記事では三宅久之第5次吉田内閣の首相番記者政治評論家)が「40年ぐらい前までは(麻生邸の)近くにある松濤幼稚園に運動会をやるスペースがないということで麻生邸の庭を借りてました」と発言している[6]

三木谷浩史との関係

2008年度より新入園の募集を中止、その2年後に閉園となった。その後、敷地は売却され、建物は取り壊され現存していない。現在、跡地には楽天グループ創業者三木谷浩史の邸宅がある[7]

著名な出身者

松濤幼稚園の主な卒園生や出身者には、名誉会員として、寬仁親王妃信子高円宮憲仁親王と3人の子(承子女王千家典子守谷絢子)、千容子などの皇族から旧華族関係者までがいる。寛仁親王と寛仁親王妃の2人の子(彬子女王瑶子女王)も一時通った。

そのほか、政官財界では麻生泰慶應義塾三田會会長、麻生会長)と長男麻生巌岸信夫[注釈 6]と長男岸信千世武見敬三厚生労働大臣)、新進では中曽根康弘の孫にあたる中曽根康隆・中曽根文子(日本交通創業家社長の川鍋一朗の妻)らの他、旧中島飛行機が前身になる富士重工(現SUBARU)創業者の孫中島洋次郎ソニー創業家の盛田英夫盛田昌夫、戦後岸信介と関わりがあったロッテ創業家の重光宏之重光昭夫日興証券(現SMBC日興証券)創業者の孫遠山正道[8]山本貴大山本海苔店7代社長)、竹中工務店社長を務めた竹中宏平の孫にあたる竹中祥悟竹中土木社長)[注釈 7]堀新太郎ベインキャピタルジャパン会長)、正力源一郎CS日本社長)、新倉能文(大和自動車交通創業家社長)、旧豊年製油中興家の杉山顕太郎(旧ナレッジパーク創業者)、古屋毅彦松屋(百貨店)創業家社長、一時在籍)、細田将己(榮太樓總本鋪副社長)、石井菜穂子財務官僚地球環境ファシリティCEO)、阿部知之(元外務省大臣官房長)、松倉浩司(元交流協会専務理事、元東北通産局長)などがいる。

学界では吉川洋(経済学者)、遠山公一慶應義塾大学教授)、真田幸俊真田家16世14代当主、慶應義塾大学教授)がいる。

他諸分野では近衞忠大(映像作家、近衞家33代目、一時在籍)、三代目中村扇雀歌舞伎俳優) 、四代目中村鴈治郎 (歌舞伎俳優)とその子中村壱太郎 (歌舞伎俳優)、千聖(ミュージシャン)、寺島しのぶ(女優)・八代目尾上菊五郎(歌舞伎役者)姉弟[9]平和相互銀行創業者の孫小宮山雄飛(ミュージシャン・タレント)、河合彩(元アイスダンス選手、一時在籍)、旧皇族 竹田宮家出身の竹田恒泰政治評論家)、丸井創業者の孫・青井実NHKアナウンサー)、上野隆博(ダンサー)、森勉(デザイナー)・森泉(タレント)・森星(モデル)ら森英恵の孫、加山徹(旧名山下徹大、俳優)・梓真悠子(タレント)・池端えみ(女優)ら加山雄三の子弟、TakaONE OK ROCK)・森内寛樹MY FIRST STORY)兄弟、藤井サチ(モデル)、田村幸士(俳優)、松田和佳(フリーアナウンサー)[10]濱尾ノリタカ(俳優・モデル)など芸能メディア関係者等も多い。

子や孫らを通わせた関係者

創設者の親族とその関係者

皇族・旧皇族・旧華族とその関係者

政治家

実業家その他

芸能・芸術関係者

他多数の名家や著名人が子息・孫を通わせている。以上は「松濤幼稚園同窓会誌」の記載からの一部抜粋である。

創設者林貞子の親族

林貞子 父:
牧野伸通
祖父:
牧野伸顕
曾祖父:
大久保利通
曾祖母:
大久保満寿子
祖母:
三島峰子
曾祖父:
三島通庸
曾祖母:
三島和歌子
母:
牧野純子
祖父:
鍋島直明
曾祖父:
鍋島直幹
曾祖母:
(不詳)
祖母:
鍋島渭子
曾祖父:
鍋島直暠
曾祖母:
鍋島精(村田政矩の娘)
大久保利通
 
 
牧野伸顕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
秋月種英
 
利武子 伸通
 
牧野純子 林博太郎 雪子
 
吉田茂
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
武見太郎
 
英子 伸和 林貞子
 
林友春 健一 麻生和子
 
麻生太賀吉
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
武見敬三 楢原茂子 小林絢子 三井富美子 麻生太郎 寛仁親王妃信子
 
 
 
 
堀内光一郎
 
堀内詔子 大林和子
 
大林剛郎
 
 
 
 
 
堀内基光

その他

その他の関係者

創立者林貞子の夫友春や、貞子の妹杉山淑子らと同様、三女楢原茂子[注釈 11]学習院桜友会副会長[16])も松濤幼稚園の運営に携わり、園長を務めた[17]

学習院幼稚園園長(2001年2008年)を務め、敬宮愛子内親王付の東宮女官を歴任した小山久子も、1968年から松濤幼稚園で勤務[18]していた。

上記以外にも、実に様々な皇族・華族・創業家等の令嬢が教諭として勤務していた[注釈 12][注釈 13][注釈 14][注釈 15]

若葉会幼稚園との関係

林貞子の長女三井富美子三井高公三井家第11代当主)の四男三井之乘の妻[2]。はじめ富美子は松濤幼稚園に勤務する予定であった[2]が、急遽1980年昭和55年)頃から若葉会幼稚園の運営にかかわるようになり、1986年昭和61年)4月[2][19]から2009年平成21年)3月[19]まで同園園長を務めた。現在、同若葉会園長は三井富美子の長女大林和子(林貞子の孫) が務める。大林和子は大林剛郎大林組創業家4代目会長)の妻である[20]

同二女小林絢子小林中の長男小林喬(元フコク生命社長)の妻で、その二女に代議士の堀内詔子富士急行社長堀内光一郎の妻)がいる(牧野伸顕#家族・親族も参照)。

楽天・三木谷氏との関係

跡地は現在、楽天社長の三木谷浩史の邸宅となっている。近隣に居住し、母 麻生和子から妹 寬仁親王妃信子らが関わってきたように、同幼稚園とゆかりが深い麻生太郎は、一代で財を成したいわば「成金」の三木谷浩史が跡地に越してきたことに複雑な心境や面持ちにあったと媒体で興味本位に伝えられた[21]。なお、三木谷浩史の子息も同幼稚園の出身である。

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 閉園前の住所は、東京都渋谷区松濤1-10-14
  2. ^ 1919(大正8)年7月4日生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、1956(昭和31)年に慶應義塾大学大学院修了(社会学修士)。東海大学名誉教授。人権擁護委員。夫・林友春は南満州鉄道総裁を務めた林博太郎伯爵と、貴族院議員田島竹之助の長女富貴子との間の長男。幼稚園より学習院に学び、高等科を経て東京帝国大学を卒業し、学習院大学名誉教授を務めた。林貞子は牧野伸顕伯爵の長男伸通と、鍋島直明男爵の長女で上皇后美智子の皇太子妃時代の東宮女官長を務めた牧野純子との間の長女。1996(平成8)年に勲四等瑞宝章受章。2006(平成18)年8月13日没。享年87歳。
  3. ^ 「元伯爵夫人林貞子さんは、名門幼稚園のナンバーワンといわれる松濤幼稚園の園長として、夫君の林友春氏は学習院大の教授としてともに人気が高い。」『ある華族の昭和史: 上流社会の明暗を見た女の記録』酒井美意子 主婦と生活社 1982年
  4. ^ スペイン特命全権大使・駐アルゼンチン特命全権大使を務めた荒船清彦の妻。荒船清彦の祖父は旧大日本帝国陸軍少将の堀吉彦、弟は東京大学宇宙線研究所所長を務めた荒船次郎東京大学名誉教授である。[5][出典無効]
  5. ^ 「ヒゲの殿下として国民に親しまれている三笠宮寛仁親王と結婚された麻生家の令嬢・信子妃は、娘時代この松濤幼稚園の英語教師として園児達に慕われておられた。」 『ある華族の昭和史: 上流社会の明暗を見た女の記録』酒井美意子 主婦と生活社 1982年
  6. ^ 安倍晋三と岸信夫の祖父であり、第二次大戦後日台関係と共に日韓関係に深く関わった岸信介(南平台町#歴史・人物も参照)の内閣総理大臣秘書官を務めた中村長芳も参照。中村は岸の指示で、大映オーナー永田雅一からロッテに経営が移譲された際、プロ野球ロッテオリオンズの球団オーナーを務めていた。
    さらに、後に中村が経営が逼迫していた西鉄ライオンズを運営する西鉄野球株式会社を買い取り福岡野球株式会社を設立し個人球団オーナーに就任した際、小宮山雄飛の祖父で平和相互銀行創業者小宮山英蔵が設立した太平洋クラブとスポンサー契約し、太平洋クラブライオンズとしてプロ野球パシフィック・リーグに参加していた。
  7. ^ 1981年東京都生まれ。慶應義塾幼稚舎から慶應義塾に学び、2004年に慶應義塾大学経済学部卒業後、竹中工務店入社。20年執行役員、21年竹中土木常務、22年社長就任。
  8. ^ 久邇宮朝建王の妻・久邇昭子は本園教諭であった。
  9. ^ 1955年以降から活発になった皇太子明仁の皇太子妃候補選びのうち、絞られた4人のうちの1人であった(他3人は田安徳川家女、大久保一翁曾孫大久保忠恒妹、北白川肇子)。4候補との話が無くなったあと、正田美智子が妃候補に挙がった(『天皇家の恋愛 - 明治天皇から眞子内親王まで』 森暢平中公新書、2022年)。
  10. ^ 東海大学出身。学習院初等科時代の同級生でもある三井総領家・北家出身の三井和子は、妹の智子(学習院大学哲学科中退)と共に浩宮(今上天皇)の妃候補であった。しかし、宮内庁の動向を同じ三井家で松坂家の流れを汲む三井高周(三井石油開発監査役)の娘・三井史子も聖心女子大学英文科在学中に名が上がったが、弘世現の孫・晃嗣郎(ニッセイアセットマネジメント専務取締役)に嫁いだ。
  11. ^ 楢原茂子は、林貞子と伯爵林友春との間の三女である。学習院大学を卒業後は源氏物語の研究者として活動している。夫はKDDI顧問を務めた楢原常榮で、常榮の父は古河鉱業(現在の古河機械金属)9代目社長の楢原良一郎。祖父は明治時代の外務官僚である楢原陳政(1900年没)。
  12. ^ トヨタ自動車11代目社長豊田章男の姉の藤本厚子(三井住友海上火災保険顧問藤本進の妻)、大林組会長大林剛郎の妻の大林和子(若葉会幼稚園園長、旧姓は三井)も教諭として長らく勤務した。
  13. ^ 南部利克(子爵、八戸藩南部家12代当主)六男・直治の二女鹿園征子も本園教諭であった。直治は鹿園実博(男爵)の子・博仲の養子で、その妻は林博太郎五女の林淑子という関係にある。
  14. ^ 武者小路公共と伊東不二子(海軍中将伊東義五郎の二女)の孫・由紀子も本園教諭であった。父は元旭硝子専務の武者小路公久である。
  15. ^ ボーイスカウト日本連盟初代理事長の子爵三島通陽と男爵松岡均平長女・松岡純との間の長女・三島昌子は本園教諭であった。祖父は第8代日本銀行総裁の三島弥太郎、祖母は侯爵四条隆謌三女・加根子である。

出典

  1. ^ 林友春 (1989). “〈林友春先生講演録〉学習院教育の歴史”. 教育学雑誌 (第23号): 96. https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihondaigakukyouikugakkai/23/0/23_KJ00009738928/_pdf/-char/ja. 
  2. ^ a b c d トップインタビュー vol.12 若葉会幼稚園園長 三井富美子さん 『都政新聞』 2008年12月20日号、2011年7月10日閲覧
  3. ^ a b 平成19年度 都内私立幼稚園入園児(4歳児)納付金調査 東京都生活文化局私学部私学行政課、平成23年7月10日閲覧
  4. ^ 初年度納付金の高い私立幼稚園(都内) 2008年8月31日 『となりの芝生』編集部調べ WebCrew Inc.、平成23年7月10日閲覧
  5. ^ 閨閥学 (2019年3月26日). “荒船家(荒船清彦・荒船龍彦・荒船清太の家系図)”. 閨閥学. 2022年10月16日閲覧。
  6. ^ 麻生氏「天命」4度目挑戦、圧勝で自民党総裁キター!”. 2008年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月29日閲覧。
  7. ^ 三木谷氏の推定23億円新居、時価上昇-アベノミクスで富裕層恩恵”. Bloomberg.com. 2022年4月29日閲覧。
  8. ^ a b 2022年1月25日(火)、遠山正道が8年ぶりの新刊・文芸エッセイ「新種の老人 とーやまの思考と暮らし」を発売します。”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2022年5月26日閲覧。
  9. ^ 寺島しのぶ[女優の写真・画像・動画・ブログ]”. talent.yapy.jp. 2022年5月26日閲覧。
  10. ^ 松田 和佳 プロフィール|吉本興業株式会社”. profile.yoshimoto.co.jp. 2023年8月8日閲覧。
  11. ^ 佳子さまの花婿候補に富士急ハイランドの御曹司銀行員が浮上”. NEWSポストセブン. 2021年10月9日閲覧。
  12. ^ https://twitter.com/yuhikomiyama/status/990394598420725760”. Twitter. 2022年5月26日閲覧。
  13. ^ ひみつのどうくつ (2020年5月19日). “歌手のchay(29)が一般男性と結婚。永谷園創業ファミリーの娘でガチのマジの上級国民”. ひみつのどうくつ. 2021年10月9日閲覧。[出典無効]
  14. ^ 【学生時代は素行不良?】森星が自宅&美少女時代の写真公開【画像あり】”. 芸能人の自宅探訪. 2021年12月29日閲覧。[出典無効]
  15. ^ 【学生時代は素行不良?】森星が自宅&美少女時代の写真公開【画像あり】”. 芸能人の自宅探訪. 2021年12月29日閲覧。[出典無効]
  16. ^ 学習院桜友会 » 平成30年度学習院桜友会 輔仁会課外活動優秀団体表彰式・懇親会報告”. www.gakushuin-ouyukai.jp. 2021年12月30日閲覧。
  17. ^ 学校概要”. meibo.shigaku.go.jp. 2021年12月30日閲覧。
  18. ^ 愛子さまに養育専任女官/学習院幼稚園前園長小山氏”. 四国新聞社. 2021年12月30日閲覧。
  19. ^ a b 若葉会幼稚園の沿革”. 若葉会幼稚園のウェブサイト. 2011年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月10日閲覧。
  20. ^ 閨閥学 (2019年11月15日). “大林家(大林組社長・大林剛郎・大林芳五郎・大林芳郎の家系図)”. 閨閥学. 2021年12月30日閲覧。[出典無効]
  21. ^ 麻生太郎財務相がご近所に建つ「三木谷御殿」に苦虫顔の理由 NEWSポストセブン 2014年1月29日



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