鈴木義雄_(日揮)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鈴木義雄_(日揮)の意味・解説 

鈴木義雄 (日揮)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/27 09:26 UTC 版)

鈴木 義雄(すずき よしお、1910年明治43年)10月3日 - 1999年平成11年)7月23日)は、日本の実業家通産省官僚通産省重工業局長、日揮社長・会長、日本輸出入銀行理事などを歴任した。

来歴・人物

神奈川県三浦郡葉山町生まれ。昭和8年(1933年)に東京帝国大学法学部を卒業し、同年商工省に入省。大阪通産局総務部長や横浜通商事務所所長、在英国日本国大使館商務参事官、札幌鉱山監督局局長を経て、昭和29年(1954年通商産業省重工業局長に就任した。通産省を退官後は、昭和32年(1957年)に日本輸出入銀行理事、昭和41年(1966年)に日本揮発油(現・日揮)社長に就任。昭和55年(1980年)からは日揮会長を務めた[1]従六位に叙される。 

略歴

栄典

家族・親族

鈴木商店(現味の素)第2代社長の鈴木忠治の四男。鈴木商店創業者の2代目鈴木三郎助は伯父。長兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代、次兄に工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄、弟に鈴木竹雄東京大学名誉教授)、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄、多摩電気工業(現・真田KOA)会長を務めた鈴木泰雄がいる。

妻・繁子は実吉敏郎(実吉安純次男)の長女。長女・昭子は渡辺英二の妻[2]

脚注

  1. ^ 日揮株式会社『日揮五十年史』1979,3
  2. ^ 『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年、す126頁。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鈴木義雄_(日揮)」の関連用語

鈴木義雄_(日揮)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鈴木義雄_(日揮)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鈴木義雄 (日揮) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS