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鈴木義隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 13:45 UTC 版)

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鈴木 義隆(すずき よしたか、1869年7月2日明治2年5月23日[1])- 1944年昭和19年)12月31日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

越後国頸城郡、のちの新潟県[2]中頸城郡代石村(大出口村吉川村吉川町代石[3]を経て現上越市吉川区代石)で、政治家鈴木昌司の長男として生まれる[3]。私塾で学ぶ。日清日露の両戦役に参加。自由通信社取締役となる[2]

1920年第14回衆議院議員総選挙において新潟12区から立憲政友会公認で立候補して初当選[4]1924年第15回衆議院議員総選挙では政友本党公認で立候補したが落選[5]1930年第17回衆議院議員総選挙では新潟4区から立憲政友会公認で立候補したが落選[6]1932年第18回衆議院議員総選挙では無投票で当選した[7]1936年第19回衆議院議員総選挙で落選した[8]。1944年死去。

脚注

  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、9頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』337頁。
  3. ^ a b 『越佐人物誌 上巻』514頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』66頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』73頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』92頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』100頁。
  8. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』108頁。

参考文献

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 牧野利平編『越佐人物誌 上巻』野島出版、1972年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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