鹿園実博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:30 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動鹿園 実博(實博、しかぞの さねひろ、1866年7月2日(慶応2年5月20日[1]) - 1922年(大正11年)2月27日[1][2])は、明治・大正期の政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。旧名・亥五郎[3]。
経歴
山城国京都で下野高徳藩主戸田忠至[注釈 1]の嫡男戸田忠綱(のち藩主を継ぐ)の二男として生まれる[1][3]。1873年(明治6年)6月3日、奈良華族鹿園家当主・空晁(三条実起七男)の養子となり[3][4][5]、養父の死去に伴い、1874年(明治7年)6月7日に家督を相続する[1][3]。1875年(明治8年)3月28日、華族に列し[1][4][5]、1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][3][5][6]。
陸軍予備士官学校を修了する[2]。1893年(明治26年)7月12日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、1897年(明治30年)7月9日まで1期在任した[2]。
親族
- 実父:戸田忠綱
- 養父:空晁(三条実起七男で、幼くして興福寺に入り、同寺喜多院住職となったが、1868年に勅命により復飾し、姓を鹿園とする[9])
- 養子:博仲(男爵、林博太郎二男[1]。妹の夫・直治(南部利克六男)を養子に鹿園家を継承。その子に鹿園直建がいる)
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『鹿園家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録』6版、1921年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代: 叙爵 |
男爵 鹿園家初代 1884年 - 1922年 |
次代: 鹿園博仲 |
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