坊城中子とは? わかりやすく解説

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坊城中子

坊城中子の俳句

藍の花栞れば紅の失せにけり
 

坊城中子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/17 09:42 UTC 版)

坊城 中子(ぼうじょう なかこ、1928年昭和3年)5月12日 - 2021年令和3年)8月16日)は、俳人。

人物

神奈川県横浜市生まれ。俳人高浜虚子の孫で[1]、俳人高浜年尾の長女[2]。俳人稲畑汀子の姉[1][2]。聖路加看護専門学校(現:聖路加看護大学)卒業。1950年、坊城としあつ(本名俊厚)と結婚。1955年より聖路加国際病院に勤務、総婦長を務める。1969年立正佼成会病院、1972年昭和大学烏山病院付属看護学校教務主任、1976年登戸病院看護部長、同年きぬ医師会病院看護学校副校長、2003年内藤病院総婦長。

幼少時より俳句に親しみ、1948年『ホトトギス』に投句、のち同人。夫としあつとともに同誌で活躍した。1959年に看護師として、祖父虚子の最期を看取った。1999年、伊藤柏翠より『花鳥』主宰を継承する[1]。夫の転任にともない3年間滞在したトルコでは、同地の風土に根ざした句を詠んだ。2011年、『花鳥』主宰を息子の坊城俊樹に譲り、名誉主宰に就任する。句集に『櫓櫂』、エッセイ集に『俳句の家』。

2021年8月16日午後1時、老衰のため東京都渋谷区の病院で死去[3][4]。93歳没。

著書

脚注

  1. ^ a b c 坊城中子さん死去 俳人、結社「花鳥」名誉主宰:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2022年9月14日閲覧。
  2. ^ a b 『人事興信録 第15版 下』タ46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月14日閲覧。
  3. ^ “坊城中子さん死去 俳人、93歳”. 時事通信社. (2021年8月31日). https://www.jiji.com/sp/article?k=2021083100890&g=obt/ 2021年8月31日閲覧。 
  4. ^ “坊城中子さん死去 俳人”. 熊本日日新聞. (2021年8月31日). https://kumanichi.com/articles/376835/ 2021年8月31日閲覧。 

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年。
  • 『ホトトギスの俳人101』 新書館、2010年。

外部リンク



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