島津肇子とは? わかりやすく解説

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島津肇子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/28 15:22 UTC 版)

島津 肇子(しまづ はつこ、1939年昭和14年〉11月13日 - )は、日本旧皇族島津忠広の妻。北白川宮永久王同妃祥子の第1王女子。旧名、肇子女王(はつこじょおう)。皇籍離脱前の身位女王で、皇室典範における敬称殿下。兄に北白川宮道久王がいる。


注釈

  1. ^ 祖父北白川宮成久王の弟であり、肇子の大叔父にあたる。臣籍降下し小松侯爵。島津忠済の娘、すなわち忠広の伯母である薫子と結婚しており、両家と深い関係にある。
  2. ^ 忠広は、皇太子明仁親王島津久永と学習院の同級生であった[13]
  3. ^ 当時は一般的であり、例えば1学年上の清宮貴子内親王も結婚の際に大学を中退している。
  4. ^ 北白川宮永久王は、1959年(昭和34年)10月4日に 靖国神社に合祀されている。

出典

  1. ^ 昭和14年11月15日『官報』第3859号、宮内省告示第37号 ※原文は旧漢字カナ
  2. ^ 昭和22年10月14日『官報』第6226号、宮内府告示第15号
  3. ^ a b 少女 1950 p.34
  4. ^ 少女 1950 p.37
  5. ^ 少女 1950 p.36
  6. ^ a b c 婦人倶楽部 1959 p.167
  7. ^ a b 婦人倶楽部 1959 p.168
  8. ^ a b c 週刊読売 1958 p.78
  9. ^ a b c d e 週刊読売 1958 p.79
  10. ^ 1958年12月3日読売新聞「北白川肇子さん婚約」
  11. ^ 週刊明星 1959 p.84
  12. ^ 婦人倶楽部 1959 p.169
  13. ^ a b c d 週刊平凡 1960 p.6
  14. ^ 1959年2月24日毎日新聞(東京夕刊)「正式に婚約 島津忠広さんと北白川肇子さん」
  15. ^ 週刊明星 1959 p.84-85
  16. ^ 神宮司庁広報室「北白川肇子姫の御結婚」『瑞垣』、神宮司庁、1960年6月。 p.16-18
  17. ^ a b 1960年5月16日毎日新聞「北白川肇子さんが結婚」
  18. ^ a b 「お年始」『婦人倶楽部』、講談社、1969年1月。 p.11
  19. ^ 「新春の語らい 高貴と美しさと」『主婦と生活』、主婦と生活社、1968年1月。 p.10-11
  20. ^ a b 1972年4月27日読売新聞(夕刊)「また有名人宅強盗 島津忠承さん宅に 長男夫妻縛り逃走」
  21. ^ 「A級戦犯「合祀」の謎 後世の「大問題」決めたのはだれか」『AERA』、朝日新聞出版、2005年7月25日。 p.34


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