成田新幹線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 19:58 UTC 版)
成田新幹線(なりたしんかんせん)は、東京都と成田市を結ぶ計画であった未成の高速鉄道路線(新幹線)である。
注釈
- ^ a b 鉄道アナリストの川島令三は、「七〇年代後半は新幹線=悪と言われていた時代だったんです。新幹線が公害の一番の攻撃対象だった。実際にはその後の技術改良で騒音は少なくなったんだけど、時代が悪かったとしか言いようがない。ただ、原因はもう一つあって、過激派というか左翼側の反対も大きかった。成田新幹線は成田空港の象徴。セットみたいなものなんです。政府としても空港を開港させるのがやっとで、新幹線までは手が回らなかった」と述べている[8][信頼性要検証]。
- ^ ただし、友納はその後の著書でも高速鉄道の必要性を認めており、知事在任中に国鉄副総裁であった磯崎叡から「成田空港が開港になれば、遠くて時間のかかることを政治家が必ず指摘すると思うので、そのときに新高速の話をもち出さないとうまくいかないと思う。官僚があまり早く打ち出すと失敗します」と言われたとしている。友納は日本航空が開発していた吸引式リニアモーターカー(HSST)に先見性があったとして、「国内線の羽田空港と、国際線の成田空港を結ぶリニアモーターカーを早く実現させるべく努力しなければならないと思うものである」と述べている[10]。
- ^ 上告審では棄却。最高裁はここで運輸省による鉄建公団に対する認可を行政体間でなされる内部的な行為と認定することにより取消訴訟の対象には当たらないと判示しており、行政法における重要判例となっている[14]。
- ^ 厳密には現在の京葉線乗換通路のみ。詳細は#東京駅を参照。
- ^ いずれも最速所要時間。
- ^ トンネル工事では、日本国土開発が開発したプレライニングサポート工法が初めて採用された[44]。
出典
- ^ a b c 安藤 2008, pp. 68–73.
- ^ a b c d e 菊池 1989, p. 18469.
- ^ 西田 1970, p. 6775.
- ^ a b c 中井 1974, p. 9651.
- ^ a b 中井 1974, p. 9652.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 交通協力会 2015, pp. 348–350
- ^ a b c 『千葉県の民主運動 : いのちとくらしを守る県民の運動の記録 (1970年代から80年代へ)』千葉県自治体問題研究所、1982年6月23日、138-144頁。
- ^ 安藤 2008, p. 71.
- ^ 友納武人『望雲』千葉日報社、1974年5月、116-118頁。
- ^ 友納武人『疾風怒濤 : 県政二十年のあゆみ』社会保険新報社、東京、1981年10月、214-215頁。doi:10.11501/9773996。OCLC 673358043。
- ^ “参議院会議録情報 第080回国会 交通安全対策特別委員会 第6号”. 国会会議録検索システム (1977年5月11日). 2018年10月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 岸田法眼 (2021年10月15日). “幻の「成田新幹線」、その波瀾万丈の歴史とは”. ダイヤモンド・オンライン. 2021年12月6日閲覧。
- ^ 千葉市中央図書館 (2017年6月23日). “千葉市中央112”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2022年5月1日閲覧。 “・「新幹線50年史」348ページから成田新幹線の概略が書かれている。昭和47年4月に江戸川区、四つの土地区画整理組合及び土地所有者8名から国に対し認可取り消しを求める訴訟が行われたことが書かれている。”
- ^ 芝池義一『行政法読本』(第4版)、2016年。ISBN 978-4-641-13194-1。OCLC 945626591。
- ^ a b c d e f g h i 草町 2008.
- ^ “昭和47(行ウ)52”. 裁判所. 2022年5月1日閲覧。
- ^ “昭和47(行コ)95”. 裁判所. 2021年9月3日閲覧。
- ^ “昭和49(行ツ)8”. 裁判所. 2021年9月3日閲覧。
- ^ “開業までの道のり”. www.nra36.co.jp. 成田高速鉄道アクセス. 2019年1月16日閲覧。
- ^ a b c 杉山淳一 (2008年11月7日). “どうなる、こうなる首都圏の鉄道網--(最終回)成田新線・新交通編”. Business Media 誠 2017年4月21日閲覧。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1975年8月号、電気車研究会
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1976年10月号、電気車研究会
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1977年9月号、電気車研究会
- ^ e-Gov法令検索) (1986年12月4日). “日本国有鉄道改革法”. 2018年10月1日閲覧。 第24条第1項第2号
- ^ “日本国有鉄道改革法等施行法 抄”. e-Gov法令検索 (1986年12月4日). 2018年10月1日閲覧。 附則第32条第2項
- ^ 小倉 1994, p. 22220.
- ^ 斉藤 1964, p. 3505.
- ^ 御船 et al. 1994, p. 22769.
- ^ a b c 山本博之 1982, p. 14347.
- ^ 浅野 1998, p. 50.
- ^ “成田新幹線の建設工事として施行した空港駅施設等について | 昭和57年度決算検査報告”. report.jbaudit.go.jp. 会計検査院. 2021年12月6日閲覧。
- ^ 『鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、121頁。
- ^ “第107回国会 参議院 本会議 第7号 昭和61年10月29日”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2020年7月8日閲覧。 “確かに国鉄が資本費を負担することを前提として鉄建公団が建設を進めてまいりました鉄道施設の中には、成田新幹線や京葉線の一部の区間などのように、社会経済情勢の大幅な変化などにより工事を凍結しておるものがあります。これらの鉄道施設の建設をもしそのまま継続するとすれば、これが将来さらに大幅な経営収支の悪化をもたらすことは予想されることでありまして、このようなことから、これらの鉄道施設については工事凍結はやむを得ないものと考えておりまして、工事の再開、継続は困難と考えております。これらの施設に係る債務については、再建監理委員会の『意見』に沿いまして、施設とともに清算事業団が承継し、事業団によって処理することと考えております”
- ^ a b 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1970年8月号
- ^ 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1978年4月号
- ^ a b 小林拓矢 (2018年5月13日). “東京駅の「京葉線ホーム」があんなに遠いワケ”. 東洋経済オンライン. 2022年5月1日閲覧。
- ^ 草町 2011, pp. 23–27.
- ^ 『週刊鉄道データファイル』 デアゴスティーニ・ジャパン File8-064 「鉄道の歴史 北陸新幹線東京駅改良工事完成」
- ^ 『朝日新聞』 (1972年2月4日). “成田新幹線 広まる反対の声 浦安、市川、船橋でも”
- ^ 『サンケイ新聞』 (1972年5月4日). “大詰め迎えた成田新幹線 沿線市町長 近く県に建設中止を要請”
- ^ 『記念誌 区画整理のあゆみ』 市川市南行徳第二土地区画整理組合 1974年
- ^ a b 白土 1996, p. 310.
- ^ “幻の成田新幹線「日本最長」メガソーラーに…千葉ニュータウンで開所式”. レスポンス(Response.jp) (2017年7月18日). 2022年5月2日閲覧。
- ^ 日本国土開発株式会社 (1981). 三十年の歩み -躍進の10年-. ダイアモンド社. p. 153
[続きの解説]
「成田新幹線」の続きの解説一覧
- 1 成田新幹線とは
- 2 成田新幹線の概要
- 3 運行計画
- 4 参考文献
- 5 関連項目
固有名詞の分類
このページでは「ウィキペディア」から成田新幹線を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から成田新幹線を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から成田新幹線を検索
Weblioに収録されているすべての辞書から成田新幹線を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から成田新幹線を検索
- 成田新幹線のページへのリンク