成田空港問題円卓会議
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成田空港問題円卓会議(なりたくうこうもんだいえんたくかいぎ、以下円卓会議)とは、成田空港問題(三里塚闘争)を対話によって解決するために開かれた会議。過去流血を伴いながら続けられた新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設について、民主的手続きにより空港と地域との共生について一定の合意がなされたとして、大規模公共事業を進める上での1つのモデルとされる[1]。
注釈
- ^ このときまでに三里塚芝山連合反対同盟は分裂しており、「北原派」「熱田派」「小川派」の三派に分かれていた。
- ^ 発起人は、熱田派幹部の石井新二、村山元英、芝山町長の真行寺一朗、芝山町議の伊橋昭治・吉岡誠[3]。
- ^ シンポジウム開催時に主要な役割を担った熱田派の石井新二は、仲間が襲撃されたときには用意した1億円でやくざのヒットマンに復讐させると吹聴して、これを牽制した[7]。
- ^ 成田空港問題の本質・現状並びに社会正義にかなった解決方法に関する調査委員会
- ^ 宇沢はアダム・スミスの『国富論』をもじったとしている[11]。
- ^ シンポジウム開催前に代表の熱田一が辞任したため、熱田派は「旧熱田派」と呼称されるようになった。
- ^ ただし、空港公団の後身である成田国際空港株式会社(NAA)は、所有権を取得した空港用地内の団結小屋撤去などを求める訴訟をその後提起しており、裁判所は「民事訴訟で解決を求めることは、強制的手段ではない」と判示しNAAの請求を認めている[16]。
出典
- ^ 原口和久『成田空港365日』崙書房、2000年、210頁。
- ^ “市民的不服従と現代 Ⅱ 三里塚の今を生きる” (PDF). 和光大学総合文化研究所 (2015年2月8日). 2017年3月27日閲覧。
- ^ 嘉瀬井 2015, p. 130.
- ^ “共生委員会とは?”. 2017年3月27日閲覧。
- ^ “地域振興連絡協議会について”. 千葉県. 2017年3月27日閲覧。
- ^ 朝日新聞成田支局 1998, p. 138.
- ^ 朝日新聞成田支局 1998, pp. 135–138.
- ^ 朝日新聞成田支局 1998, p. 135.
- ^ “平成3年警察白書 第7章 公安の維持”. 警察庁. 2017年3月5日閲覧。
- ^ 村山元英, ed (1997). 民営ハブ空港論. 文眞堂. p. 288
- ^ a b c 。 激動を生きて 隅谷三喜男先生喜寿記念文集. 隅谷三喜男先生喜寿記念文集編集委員会. (1994-9-1). pp. 27-30
- ^ “「隅谷調査団」の成立”. 2017年8月14日閲覧。
- ^ “隅谷三喜男先生について”. 隅谷三喜男研究会. 2017年8月14日閲覧。
- ^ “成田空港問題関連資料”. 2017年3月27日閲覧。
- ^ “成田空港問題円卓会議”. www.rekishidensho.jp. 成田空港 空と大地の歴史館. 2020年6月28日閲覧。
- ^ “反対派の小屋撤去確定 NAAが勝訴 最高裁が上告棄却”. www.chibanippo.co.jp. 千葉日報 (2016年7月23日). 2022年11月28日閲覧。
- ^ a b c 「「共生」に安堵と期待と」『朝日新聞(千葉版)』1994年10月12日、31頁。
- ^ 隅谷三喜男『成田の空と大地』岩波書店、1996年、369頁。
- ^ “成田空港地域共生委員会記録集” (PDF). 成田空港地域共生・共栄会議 (2011年1月). 2017年3月29日閲覧。
- 1 成田空港問題円卓会議とは
- 2 成田空港問題円卓会議の概要
- 3 成田空港問題シンポジウム
- 4 成田空港問題円卓会議
- 5 脚注
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