他球団の架空選手
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「ペナントレース やまだたいちの奇蹟」の記事における「他球団の架空選手」の解説
相原誠(あいはら まこと)背番号44 右投げ 阪神タイガースの投手。矢島とは高校時代にチームメイトとして甲子園を制覇した。爪を立てて投げるナックルボールの一種である『タイガーナックル』の使い手で、初対戦で三振を喫したトム・ブラウンに「あのトム・キャンディオッティ投手と同じナックルを投げれる奴が日本にもいたのか」と驚愕させた。その投げた本人すら予測出来ない程の凄まじい変化故に、彼の球を受ける捕手は大きなキャッチャーミットを使用している。 タイガーナックルが爪にかなりの負担をかけるという理由から、登板間隔を十分に空けるため登板数は少ない。だが、それでも6年間で57勝9敗(勝率に直すと.864)という驚異的な実績を誇る。 入院中の矢島の容態が悪化した報せを聞いて、球宴で投げる機会をたいちに譲る。 ジョン・ガーフィールド 背番号05 右投げ右打ち 広島東洋カープの外国人選手。ビッグマウスで自尊心の塊のような性格だが、口先だけではなく、かつてはボストン・レッドソックスの4番を打ち、ノーラン・ライアンから180メートルの特大アーチを打ったこともあるバリバリのメジャーリーガー。満員の大歓声をエネルギーとしており、観客が入るほどよく打つ。 ガーフィールドと対戦する前までは、公式戦でホームランを打たれた事のなかった山田泰二から、二打席連続ホームランを放つなど驚異的なパワーを見せ付けた。 石田たけし(いしだ たけし)背番号03 右投げ左打ち 読売ジャイアンツの三塁手。山田兄弟と同期でドラフト7位で巨人に入団。武者修行のため、アメリカのマイアミに位置するマイナーリーグの1Aジュピター・ハマーヘッズ(フロリダ・マーリンズ傘下)にて野球留学中だったが、ペナントレースが大変な事になっているという理由から長嶋監督が急遽呼び戻した。 守備でも打撃でも、彼のグラブやバットには球が吸い寄せられるように収まったり当たったりするという。 投球直後に自分の体をずらすことでボールを(自分から見て)ど真ん中のコースに調整する打撃で、相原のタイガーナックルや佐々木主浩のフォークを初見で簡単にヒットにした。 仲が良くずっと目標にしていた兄を事故で亡くした影響で山田兄弟に憧れ、太一になついている。 シーズン終了後、太一と同じチームでプレイしたいとダダをこねる姿が報じられ、最終話ではアストロズの入団テストに飛び入り参加し、見事に「合格」(三原監督)した。ただし巨人の意思が不明であり、本当に入団できたかは作中でも触れていない。実際にアストロズの練習にも巨人のユニフォームで参加している。 大林梅造(おおばやし うめぞう)背番号99 右投げ右打ち ヤクルトスワローズの一塁手、外野手。山田兄弟とは小、中学校で同級生だった。竹造は双子の兄。 メジャー級のパワーを武器に、シーズン終盤代打男としてチームの快進撃に大きく貢献。最終戦のダブルヘッダー第2戦では初めてスタメンに抜擢された。 小、中学校で太一を使いっ走りにしていたが、実は彼の夢に対する熱意に尊敬の念を抱いていた。 大林竹造(おおばやし たけぞう)背番号98 ヤクルトスワローズの捕手。山田兄弟とは小、中学校で同級生だった。梅造は双子の弟。 セ・リーグの一軍二軍の全投手の全投球を把握していて、そこから配球を読み梅造らに指示を出していた。また、梅造のトレーニングメニューや毎回の食事メニューを考えているのは彼である。 正捕手・古田の壁が厚く、作中でのプレーの機会はない。 前島 (まえじま) 西武ライオンズの控え投手。アストロズとのオープン戦で先発出場したものの、2/3イニング4失点と打ち込まれて降板した。 瓶子 (へいし) 西武ライオンズの控え野手。アストロズとのオープン戦に先発出場する予定だったが、一度も打席に立つ事無く辻に交代させられている。名前のモデルは新入社員時代の瓶子吉久。
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他球団の架空選手
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渋谷 貴之(しぶや たかゆき) 背番号22(アスレチックス時代)→51、右投げ右打ち、福岡ダイエーホークスの内野手。スコアボードの表記は「渋谷兄」(仁村薫・徹兄弟と同じ)。 アスレチックスの正捕手にして主軸打者だったが、プライドの高さが災いしてチームメートと仲が悪く、さらに首脳陣批判を繰り返し、FA移籍をほのめかしたことから矢島との交換トレードで放出。ダイエーでは不動の正捕手・城島の存在と彼の打力を生かすためということで、三塁手に転向する。その甲斐もあってアスレチックス時代よりも打棒に磨きがかかった。捕手での経験を生かした読みのバッティングを得意とし、バッテリーとの駆け引きもうまい。東京六大学出身。大のヘヴィメタルファンで、同じくヘヴィメタルファンであるロッテの初芝清が打席に立ったときは、ささやき戦術が度々口論に発展する。 渋谷 直之(しぶや なおゆき) 背番号19、右投げ右打ち、福岡ダイエーホークスの外野手。スコアボードの表記は「渋谷弟」。 渋谷貴之の弟。守備はあまり上手くないが、兄以上の強打者でアマ全日本の4番も務めた。監督の王貞治を尊敬しているが、親に甘やかされて育てられたためわがままで子供っぽく、オープン戦では実力を誇示するため、王が出したスクイズのサインを無視して強攻策に出ている。シーズン途中から1軍に合流すると、月間本塁打記録タイの16本を打ち、毒島が投げた際どいコースへの直球を打ち返すなど、強打者ぶりを遺憾なく発揮する。終盤からは4番打者を務め、毒島は「既に超一流の打者に育った」と驚嘆している。 フィッシュバーン 背番号4(巨人時代)→22→50、左打ち、近鉄バファローズの外国人選手。 3Aで2年連続三冠王の実績を持つ。読売ジャイアンツ2軍時代に毒島と初対戦、その後素行の悪さや外国人枠の関係から1996年途中に金銭トレードで近鉄へ。ストーブリーグ時にはモントリオール・エクスポズのオファーがあったが、それを蹴って岡本太郎がデザインした近鉄のエンブレムのタトゥーを左腕に彫り、近鉄残留を決めている。近鉄では主砲として活躍し、2年連続で本塁打王を獲得する。速球派の毒島大広を「力と力の勝負が出来る選手」と認め、ライバルとして意識する。近鉄監督・佐々木恭介に惚れ込んでおり、「2冠を獲ったら監督を温泉に連れて行く」と発言。名前と風貌のモデルはローレンス・フィッシュバーン。 毒島 貴志(ぶすじま たかし) 背番号7、左投げ左打ち、千葉ロッテマリーンズの外野手。 主人公・毒島大広の実兄。劇中で木暮スカウトが「和製バリー・ボンズ」と称し、ケガをしなかったらメジャーでトリプルスリーを軽くクリアする逸材と評価する天才。リトルリーグで世界制覇の経験があり、高校卒業後渡米しマイナーリーグへ入団するが、交通事故で瀕死の重傷を負いメキシコシティ・ソリタリオへ移籍。メキシコでのリハビリ中には拳銃自殺実行一歩手前まで至るも思いとどまり、1996年のドラフト3位でロッテに入団。実は木暮は大広よりもこの貴志を獲ろうとしていた。 指名された当初はロッテ入団にあまり乗り気ではない様子だったが、弟・大広と再会し、1球勝負をする。そこで大広が投げた球に対抗心を燃やし、リハビリに励み驚異的とも言える回復を果たす。天才肌で拘りが非常に強く気分屋な一面がある他、渡米中の経験からか風変わりな言動を取ることもある。2軍デビュー戦では大怪我から野球ができるまでに復帰できたことに感謝して、1球もバットを振らず見逃し三振を繰り返した。その際、近藤監督からは「佇まいはすでに1流」と評される。1軍デビュー戦の近鉄戦では佐野重樹から放った満塁弾を含む3本塁打を打ち、チーム全打点をあげる強烈なデビューを飾る。弟・大広に変化球で抑えられた試合では悔しさからか、2軍に落としてほしいと直訴して降格。その後、納得した一打が出るまで髭を剃らないと決めるも、安打や本塁打を打っても納得せず、髭を剃らず伸ばし続けていた。シーズン最終戦で試合の途中に髭を剃り落とす。これは「納得できる一打を打てそう」と感じたため。その相手は大広であり、感覚通り会心の当たりは場外本塁打となった。しかし同試合最終打席での対戦ではストレートに抑えられた。 バットを低く寝かせた独特なフォームで、選球眼もとても良い。しかしリハビリを経ても足だけは回復が遅れ、安打を放ったにもかかわらず、走れないため塁に出ないことがあった。終盤は守備に就けるほど回復しており、アスレチックスとのシーズン最終戦では「メジャー級」の肩による好返球を見せつけた。 兄弟仲はかなり険悪。「弟(大広)が勝手に嫌っているだけ」と語っているが、幼少時代には大広を苛めたり、プロ入りしてからも大広から本塁打を放った際に「嫌いな奴からイッパツ打つのは気分いいね」と呟くなど、見下しているような言動が見受けられる。チック君の中の人物が誰かを知っている様子。 溝口(みぞぐち) 背番号80、右投げ左打ち、日本ハムファイターズの外野手。毒島には中学時代に抑えられて以降、左投手に苦手意識を持つようになってしまったという因縁がある。赤堀商業高校時代には「甲子園のアイドル」と呼ばれてロッテ側からは「初芝二世」と評され、オリックスからは仰木監督が直々に挨拶に来ているところから、注目の高さが伺える。1995年ドラフト1位で日本ハムに入団。2軍で英才教育を受け、2年目にイースタンリーグの首位打者となり、オールスター戦後に1軍昇格。金子誠と共に上田監督から、かつての上田の教え子でもある阪急黄金時代の福本豊、蓑田浩二の1、2番コンビを超えるほどの活躍を期待される。プロ入り後に対戦した毒島は「やっぱりこいつは天才だな」と漏らしている。 ジミー・カイテル 背番号50、右投げ右打ち、西武ライオンズの外国人選手。 ピッツバーグ・パイレーツ時代にバリー・ボンズ、ボビー・ボニーヤとクリーンアップを組んだという超大物選手で、1995年のディビジョンシリーズでロジャー・クレメンス、プレーオフでランディー・ジョンソンから本塁打を放ったことから「100マイル(約160km/h)キラー」と呼ばれる。ニューヨーク・ヤンキースとの契約に折り合いがつかず来日。軽々と場外本塁打を打つほど実力は確かだが、清水以上に日本球界を腰掛けにしか思っておらず、打撃が好調な日でも適当な理由をつけて途中で引っ込んだり、試合に出なかったりする。日本の投手との勝負に張り合いを感じられずに不満を抱いていたところ、フィッシュバーンから毒島の事を聞かされるが、実際の対戦ではベンチからの指示で毒島が全て敬遠し、力勝負は描かれなかった。名前と風貌のモデルはハーヴェイ・カイテル。 菅野 純 (すがの じゅん) 背番号42、右投げ右打ち。オリックス・ブルーウェーブの投手。19歳。 経歴/?-オリックス・ブルーウェーブ(1996年3位) MFとしてJリーグ・シエロ姫路に所属し、日本代表候補になったこともあるプロサッカー選手としての顔も持つ、自称「和製ディオン・サンダース」。 普段はサッカーの方を優先しているため登板機会は少ないが、仰木監督からは「サッカーよりも野球の才能がある」と言われており、サッカーで鍛えられた足腰から150km/hの直球、カーブ、フォークを武器にしている本格派。野茂英雄や伊良部秀輝の投球フォームを真似するひょうきんな一面も兼ね備えている。甘いマスクで女性の人気が高い。また、彼のスポンサーと球団は、彼が登板中にバックスクリーンへ菅野自身のCMを流すように契約している。 学生時代も野球部とサッカー部を掛け持ちしていたため、いじめや理不尽な暴力にあっており、(特に世代が上の)他の選手にもあまり気に入られていない。ただイチローには気に入られている様子で、実力も認められている。ひょんなことから打席に立つことになった毒島と勝負し、逆転満塁本塁打を被弾する。 不破 明 (ふわ あきら) 背番号18、左投げ左打ち。千葉ロッテマリーンズの投手。 白武高校卒、社会人を経て1995年ドラフト1位で入団。ハロルド作石の前作『ゴリラーマン』で、球技大会の際に「ゴリラーマン」こと池戸定治に本塁打を打たれた野球部のエース・不破の数年後の姿である。3種類を投げ分けられるスクリューボールが武器。好投手に成長したにもかかわらず、いまだにゴリラーマンにトラウマを抱えている。
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