他球団の福本対策とは? わかりやすく解説

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他球団の福本対策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 08:09 UTC 版)

福本豊」の記事における「他球団の福本対策」の解説

福本盗塁脅威認識されるうになると、各球団本腰を入れて対策乗り出すようになった。なお、福本盗塁を許すのはピッチャー責任が7割、キャッチャー責任が3割であると語っている。 ロッテオリオンズ福本によると、妨害策が「真っ先頭に浮かぶチームロッテだという。ブロックのために野手の足にプラスチック製プロテクター装着させたり、本拠地だった宮城球場走路一塁の先と二塁の手前)にを吸わせた土を入れた砂場」を作り走りづらくさせた。グラウンドキーパーから「福本さん、足、気ぃつけてくださいと言われたともいう。後者については、本来の走路以外(ベースライン内と外)を走る「実験」をして、内側だと牽制球がほとんど来ないことに気づき投手からの見え方違いによる)、2つ走路使い分ける手法覚えたという。また福本は、飯塚佳寛弘田澄男有藤通世ロッテ俊足選手このため走れなくなり阪急より大きな損をしたように思う」と記している。 読売ジャイアンツ1971年の日本シリーズ直前には、牧野茂コーチ発案で、牽制球一塁にわざと勢いのある悪送球投げ一塁側の内野フェンス跳ね返ったボール送球して二塁福本封殺する練習繰り返していたが実行されることはなかった。また森昌彦も、二塁ベースボール当てる練習繰り返していた。自身投手から受けたボール二塁ベース目がけて送球し二塁手二塁ベース上で捕球したところに福本の足が入ってくる形で補殺するため(福本場合タッチではアウトできない考えられたため)だった。この作戦成功し日本シリーズ第1戦の9回裏、一塁走者だった福本初球から盗塁試みたが、二塁ベース上で牽制死した福本滑り込んだのは、送球受け取った土井正三グラブだった)。福本試合後、「アウトになるなんて、考えてもいなかったですね。あれしかない、たったひとつ、あのプレー阪急死んじゃったですね。針の穴通せなかったぼくの責任大きかったです」と語っている。 福本は、巨人との日本シリーズで足を封じられ原因として、「巨人エース堀内恒夫存在大きかった」と振り返っている。堀内対策考え自分クイックモーション投げて牽制もするからと、二塁にきちんと投げるよう頼みトスされたボール二塁投げ練習繰り返したまた、福本によると堀内牽制球は「1球ごとにタイミングが違」った上に、自分短期決戦プレッシャーから硬くなっていたという。福本堀内を「日本一走りづらいピッチャー」「クイック牽制もうまいし、クセも見つからなかった」と評し堀内はその理由について、重心移動がうまくセットポジションで左肩を一塁開き気味にしたま本塁投球できた点を挙げている。1971年の日本シリーズではこのあと福本一度盗塁企図できなかった。捕手も、若手の頃にクイックモーション名手堀本律雄投手バッテリー組んだ試合では、1960年から1962年3年間に阻止率.706(51企図対し36盗塁刺)という驚異的な数字残し、特に1960年6月1日大洋戦では一試合5盗塁刺(企図された5回全てを刺す)を記録するなど、クイックモーション有効性を肌で知っていた。なお、巨人監督長嶋茂雄代わり捕手吉田孝司変わった1977年の日本シリーズでは、第2戦の初回堀内クイックかわして盗塁成功している。 南海ホークス野村克也福本盗塁対抗する手段として、福本イニング先頭打者として迎えないように、二死走者なしの状態から9番の投手四球で歩かせ、1番の福本勝負するという策(当時パ・リーグはまだ指名打者制導入前だった)や、福本二盗試みると二塁にわざとワンバウンドの送球投げ、脚にぶつけることも考えていた。しかし、前者一度目は成功したものの、二度目には狙いがばれて、阪急監督西本幸雄投手盗塁をさせたため、キャッチャー野村盗塁を刺さざるをえなくなり後者は「脚に球をぶつけて怪我させようとしたが、実際に背中に球が当たってしまい、(怪我させるという)狙いがばれて、えらい怒られた」という。結局こうしたその場しのぎの策では福本封じることができなかったため、野村抜本的な対策としてクイックモーション改良乗り出しコーチ陣検討重ねて、足をほとんど上げず投げる「すり足クイック」を考案した福本はこの南海式のクイック投法について「モーション自体小さくて早いのはノムさん時の南海最初です。足を上げて投げてくれるとタイミングをつかむのがラクなのに、ほとんどスリ足の状態で放ってくる。思い切ってスタート切って殺されるケース増えました」と語っている。南海クイック普及によって投手データは「全部白紙戻ってしまった」といい、野村がいなければ盗塁は「1500個を超えていた」と記している。2020年2月野村死去した際、福本は(野村対策自分の)「レベル上げさせてくれた」「若手の頃は打席での会話集中力をそがれやられることが何度もあった」と偲んだ近鉄バファローズ梨田昌孝二塁送球時間短縮するため、福本出塁すると右足半歩下げて構えていたという。阪急近鉄試合前、福本梨田はよくどちらが勝つか賭けをしていたという。ただし、上記のとおり、福本は特に癖のない投手すらも癖を盗むことに成功していたため、いかに強肩梨田であっても福本が勝つことが多かった梨田前記構えのほかにも、捕球してから二塁送球までの時間短縮するためボールミットの掌の部分当てて跳ね返ったところを右手つかんで投げたり、目を閉じた状態でも二塁正確に投げ訓練をしたり、慌てないよう福本スタート見ずベンチからの声でスローイングするといった対策重ねた西鉄ライオンズ稲尾和久監督発案で、福本スタートが切りづらくなるよう一塁ベース付近ベチャベチャになるくらい撒いた

※この「他球団の福本対策」の解説は、「福本豊」の解説の一部です。
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