ホビーパソコン
(ホームコンピュータ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 09:16 UTC 版)
ホビーパソコン(Hobby Personal Computer)とは趣味や嗜好、娯楽などのために供されるパーソナルコンピューター(パソコン)の総称である。
注釈
出典
- ^ 「MICOM NEWS 三洋電機 二万円台のパソコンなど四機種発売」『マイコン』1982年6月号、電波新聞社、p.406
- ^ 前田尋之『負け組ハード列伝 ホビーパソコン編』オークラ出版、2017年、pp.106-108
- ^ 『I/O』1983年10月号、工学社、pp.36-37。MBC-55広告ページ。
- ^ 「Big News Products 超低価格 サンヨーMBC-55」『I/O』1983年11月号、工学社、p295
- ^ 「各社MSX最新情報」『マイコン』1983年11月号、電波新聞社、p.324
- ^ 「MSXホットニュース」『MSXマガジン』1984年1月号、p.31
- ^ インタプリタ研究会「マルチ感覚人間に贈る三菱パーソナルコンピュータ MULTI8」『マイコン』1983年8月号、電波新聞社、pp.321-328
- ^ 大庭俊介+FPCユーザーズ・グループ「MP-8081 MUTLTI8 三菱電機 まったく特色のないマシン」『よいパソコン・悪いパソコン 使う立場からのレベル別主要機種・徹底点検』JICC出版局、1984年、pp.108-109
- ^ 前田尋之『負け組ハード列伝 ホビーパソコン編』オークラ出版、2017年、pp.68-71
- ^ 渡辺茂監修『パソコン大図鑑1984年版』講談社、1983年、p.66
- ^ MSX参入メーカーこぼれ話。NECから、あのサンリオまで!?:MSX30周年 週刊アスキー(2013年10月22日)
- 1 ホビーパソコンとは
- 2 ホビーパソコンの概要
- 3 概要
- 4 ホビーパソコン一覧
- 5 脚注
ホームコンピュータ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 15:06 UTC 版)
「シンクレア・リサーチ」の記事における「ホームコンピュータ」の解説
1981年3月、Sinclair Computers は シンクレア・リサーチ (Sinclair Research Ltd) に改称し、Sinclair ZX81 を通信販売で発売した(キットは49.95ポンド、完成品は69.96ポンド)。1982年2月、タイメックスがアメリカ合衆国での製造販売権を取得した。同年4月に発売となった ZX Spectrum は125ポンドでメモリ16KiB、175ポンドで48KiBを備えていた。同年7月、タイメックスはアメリカで Timex Sinclair 1000 を発売。1982年3月、シンクレアの利益は855万ポンド、回転資金は2717万ポンド(政府からのフラットスクリーン開発資金383,000ポンドを含む)となっていた。 1982年、ケンブリッジの元はミネラルウォーターの工場だった土地を新たな本社とした。この土地はシンクレアの財政問題により1985年12月には自治体に売却されている。 1983年1月、ZX Spectrum はラスベガスで開催されたコンシューマー・エレクトロニクス・ショーに出品された。同年9月、シンクレアは従来のブラウン管テレビとは異なるフラットスクリーン技術に基づいた TV80 というテレビを発売した。TV80 は事業としては失敗であり、15,000台しか売れず、開発費の400万ポンドを回収できなかった。 1983年、ケンブリッジ近郊の建物を200万ポンドで購入し、そこに MetaLab を含む研究施設を創設した。 1983年後半、タイメックスは Timex Sinclair の事業をやめることを決定した。競争の激しいアメリカでは ZX81 は大きなシェアを得ることはできなかった。しかし、アメリカ以外の国々ではその後も数年間製造販売が続いた。ポルトガルでは回路や表示能力を改良した Timex Sinclair 2048 や 2068 が発売されている。またフロッピーディスクドライブを採用した FDD 3000 も発売したが、あまり売れなかった。 1984年1月12日、Macintosh が実際に発売される直前に Sinclair QL が発表された。ビジネス市場志向の新しいコンピュータであり、価格は399ポンドとされた。しかし、発表した時点では最終的なデザインが完了していなかった。13,000台の注文が入っていたが、5月に出荷開始した時点では数百台しか出荷できなかった。これは、当初搭載されたROMでは容量が足りず、追加のROMを不恰好に加えた形のマシンが少数だけ出荷されたためである。Your Sinclair 誌はこれを「業界紙の中でシンクレア・リサーチを褒めている言葉はほとんどない」と評した。 完全な QL は夏の終わりごろにやっと登場した。遅延についてのシンクレアに対する不満は、同年5月、広告基準局が支持を表明した(1982年にも同局は Spectrum の出荷遅延についての不満に支持を表明している)。特に問題視されたのは、出荷の数ヶ月前に注文の小切手を現金化していた点である。QL はそれまでのシンクレアのコンピュータの成功には程遠い状況だった。同年秋の時点で、シンクレアは年末までに250,000台を売る予定で、「ミリオン・セラー」になると公言していた。QL の生産は1985年2月に中止され、同年末までに販売価格が半分に設定された。 1981年から1988年にかけて、シンクレアはコンピュータ用の各種周辺機器も生み出した。ジョイスティック、放電破壊プリンター、メモリ拡張モジュールなどである。その一部は他社の開発したものをシンクレアのブランド名で販売したものである。Spectrum の外部ストレージはコンパクトカセットが普通だった。一般にはその後フロッピーディスクへ移行していったが、シンクレアは独自の ZX Microdrive を採用した。これは磁気テープを使ったカートリッジ型の媒体で、信頼性がやや劣っていた。QL でもこれが主な記憶媒体とされていた。 ZX Spectrum の外観を変更した ZX Spectrum+ が1984年10月に発売された。小売業者はこのマシンがクリスマス商戦の目玉になると考え、大量に発注した。しかし、期待したほど売れず、小売業者が在庫を抱えたため、シンクレアの出荷量は翌年の1月には激減した。Spectrum+ はデザインが変更されているだけで、元の Spectrum と中身は同じだった。Spectrum の真の拡張である ZX Spectrum 128 は、1985年9月、スペインの Investronica が開発した。1986年1月にはこのマシンがイギリスでも発売された。 時期利益回転資金1971年 £85,000 £563,000 1972年 £97,000 £761,000 1973年 £180万 1974年 £240,000 £400万 1975年 £45,000 £630万 1976年 -£355,000 £560万 1977年 -£820,000 1978年 -£198万 £639万 1980年 £131,000 £640,000 1981年 £818,000 £460万 1982年 £855万 £2717万 1983年 £1380万 £5453万 1984年 £1428万 £7769万 1985年 -£1800万 £1億200万 1988年から1989年 -£183,015 £7,825 1989年から1990年 £618,389 £4,754 1989年から1990年 -£271,734 £5,486 1991年から1992年 -£592,600 £1,115 1992年から1993年 -£169,197 £379,836 1993年から1994年 -£194,826 £510,943 1994年から1995年 -£303,630 £435,742 1995年から1996年 -£122,873 £255,826 *全ての数字の出典はこちら
※この「ホームコンピュータ」の解説は、「シンクレア・リサーチ」の解説の一部です。
「ホームコンピュータ」を含む「シンクレア・リサーチ」の記事については、「シンクレア・リサーチ」の概要を参照ください。
ホームコンピュータ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:16 UTC 版)
「オペレーティングシステムの歴史」の記事における「ホームコンピュータ」の解説
コモドール64、Apple II、Atariの8ビット機、Amstrad CPC、ZX Spectrumといった1980年代の8ビット ホームコンピュータの多くは、CP/MやGEOSといったOSをフロッピーディスクからロードして使うこともできたが、一般にOSなしで使うことが多かった。多くの場合BASICインタプリタをROMに格納した状態で販売され、それが簡単なOSとして機能した。簡単なファイル操作(削除、コピーなど)、ディスクのフォーマット、アプリケーションのロードと実行などが可能だった。 娯楽や教育目的で使われることが多く、商用や科学技術計算にそれらのマシンを使うことは稀で、真のOSが必要とされることはほとんどなかった。 OSが必要とされなかったもう1つの理由は、単一のタスクを実行するシングルユーザーのマシンであって主記憶も小さく(一般に4KBから256KBで、中でも64KBから128KBの場合が多かった)性能の低い8ビットのプロセッサを使っていたため、OSを使うことでかかる余分なオーバヘッドが無視できないからでもあった。 当時のワードプロセッサなどのアプリケーションは自前でハードウェア全体を制御しており、それはテレビゲームでも同様だった。
※この「ホームコンピュータ」の解説は、「オペレーティングシステムの歴史」の解説の一部です。
「ホームコンピュータ」を含む「オペレーティングシステムの歴史」の記事については、「オペレーティングシステムの歴史」の概要を参照ください。
「ホームコンピュータ」の例文・使い方・用例・文例
- ホームコンピューターという,テレビゲーム用のコンピューター
- ホームコンピュータのページへのリンク