そして次世代機へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:59 UTC 版)
コモドール社長のトラミエルは経営陣と対立し、1984年にコモドールを追放される。一方C64との市場競争に敗北し、アタリショックに見舞われたアタリの家庭用ゲーム機・パソコン部門は毎日巨額の損失を出し続けており、親会社のワーナー・コミュニケーションズ(現タイム・ワーナー)は部門のリストラを決定、外部に買い取り手を探していた。業界に未練があったトラミエルは、破格の条件で売りに出されていたアタリの家庭用ゲーム機・パソコン部門(アタリコープ)を買収し、その社長としてホームコンピュータ業界に再参入するという数奇な運命をたどる。コンピュータに無理解な経営陣に嫌気を感じたコモドールの開発者も全員が退職してトラミエルの新会社アタリコープに合流する。1985年、アタリコープは16ビットの次世代機Atari STを発売し、一方でコモドールも外部のAmiga社の買収により次世代機Amigaを発売し、再び熾烈なシェア争いを繰り広げる。 ゲームパソコンとしてのC64の事実上の後継機はAmiga500(1987年発売の廉価版Amiga、通称「A500」)である。ゲーム雑誌の「Commodore User」も1990年より誌名を「CU Amiga」と変更するなど、1990年頃にはC64の市場はほぼ終焉するが、その後も生産は継続され、安価なゲームパソコンとして長く愛された。 1985年に登場したNESによるゲーム機市場のアタリショックからの復興、1984年に発売されたIBM PC/AT互換機とMacintoshのシェア拡大、またコモドール・アタリがそれらに対抗しうるハードを投入できなかったなどの理由によって、1980年代に覇を競った数多のホームコンピュータは、「ホームコンピュータ」という概念もろとも1990年代前半にはすべて消滅した。C64は1994年のコモドールの倒産によって終止符が打たれる。
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