そして独立へとは? わかりやすく解説

そして独立へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 01:59 UTC 版)

スロベニアの歴史」の記事における「そして独立へ」の解説

1991年ベオグラード開催され第14回共産主義者同盟大会でクロアチアスロベニア共産主義者たちはこれまでの教条捨て去る事を主張したが、これが受け容れられなかったため、クロアチア代表スロベニア代表らは大会会場から退場スロベニア代表らはユーゴスラビア共産主義者同盟とは無関係であると宣言したミロシェヴィッチ大会そのまま続けようとしたが、今度クロアチア代表団の抗議が行われ1月23日大会中断されたまま無期延期となった中央政府首相アンテ・マルコヴィッチ (en) はユーゴスラビア継続する共産主義者同盟政治の舞台より消え去った宣言したがすでにセルビアを代表とする中央集権派とスロベニアクロアチアらを代表とする独立派分かれていた。 これが明確に現れていたのが1990年4月行われた初の自由選挙であり、スロベニアでは野党連合デモス」が55%の得票率獲得残り得票率それまで存在していた共産党系である民主改革党など三政党分け合うとなっていた。首相にキリスト教民主党党首ロイゼ・ペテルレ (en) が選出され同時に共和国大統領直接選挙が行われた上でスロベニア複数政党制暴力行為無し導入した改革派共産主義者ミラン・クーチャン59%の得票率当選していた。これら初の自由選挙ではハンガリー系イタリア系少数民族らにも一議席ずつ割り当てがあり、スロベニア人々スロベニア独立目指すデモス」を支持していたことが明らかになった。これらの結果受けて大統領クーチャン共産主義者同盟辞表提出デモス代表者らに組閣要請したスロベニア共和国首相ペテレルはスロベニア民主的平和的な独立達成するためにスロベニア政治的民族的政策纏め上げユーゴスラビア連邦政府との交渉を行うことを考えており、1990年12月議会においてスロベニア独立ユーゴスラビアからの離脱について国民投票を行う事を決定した一方でスロベニア国内では過去の「ドモブランツィ」と「パルチザン」らの和解課題として残っていたがこれは盛大な記念式典1991年6月開催されたことにより清算向かっていた。しかし、連邦政府はこの問題話し合う気は全く持ち合わせておらず、すでに独立へ意思明確にしていたスロベニアクロアチアから少しでも領土獲得するための行動開始したこのためクロアチアセルビア人らはユーゴスラビア連邦軍の協力得た上でリーカ地方から北ダルマチアにかけてクロアチア政府の政策拒否アドリア海へつながる交通路遮断するなどを行っていた。 スロベニアでは7月2日から国会においてソ連邦バルト三国の例にならい共和国法が連邦法優先するなどの「主権宣言」を行い、さらに9月28日には国防に関する分野など全ての分野共和国掌握するとした憲法修正採択され領土防衛隊スロベニア政府指揮下となり、10月8日には新通トラール導入された。これに対してユーゴスラビア連邦幹部会議長ボリサヴ・ヨーヴィッチ (en) は連邦政府権限侵す激しく非難した。しかし、スロベニア大統領クーチャン首相ペテルレはこれに対して12月23日に行う国民投票においてユーゴスラビアスロベニア新たな関係を確立するべきがどうかについて信を問う事を決定リュブリャナ教区のシュシュタル大司教もこれを支持した。しかし連邦政府首相アンテ・マルコヴィッチはスロベニア憲法違反犯しており、必要対抗処置を取ると脅迫した結局投票が行われ、有権者150万人の内、89%が参加その内の88.5%がスロベニア主権を持つ事、スロベニア独立することへの支持しており、さらにはスロベニア以外に住むスロベニア人以外の人々もこれに賛成していた。これに対してスロベニア独立あくまでも認め気のないセルビア共和国政府連邦政府セルビア影響下にあることを証明するために16ドル当のディナール紙幣印刷したが、これはユーゴスラビア経済致命的な打撃与えるという皮肉な結果終わったスロベニア国民投票時に発表した半年猶予期間過ぎた1991年6月25日リュブリャナ議会にてスロベニア共和国独立宣言した。しかし、連邦政府はこれを認めずさらには国際社会においても連邦政府意向支持する可能性存在していた。さらには連邦政府首相マルコヴィッチ独断オーストリアイタリアとのそれぞれの国境確保命令スロベニア孤立させようとした。しかしスロベニアはこれを事前に察知、8万人動員してこれに備えていた。

※この「そして独立へ」の解説は、「スロベニアの歴史」の解説の一部です。
「そして独立へ」を含む「スロベニアの歴史」の記事については、「スロベニアの歴史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「そして独立へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「そして独立へ」の関連用語

そして独立へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



そして独立へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスロベニアの歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS