そして国石へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:58 UTC 版)
アメリカ合衆国の鉱物学者、ジョージ・フレデリック・クンツ(英語版) (1856年-1932年)は、1913年の自著 "The Curious Lore of Precious Stones" で、日本の国石について水晶がふさわしいと記述した。クンツは国石に関する概念を初めて提示したことで知られるが、ヒスイ研究にも貢献している。クンツには日本を訪れた経験はなかったが、明治年間に山梨県などで加工された「日本式双晶」と呼ばれる水晶の標本類がアメリカ国内に輸入されたことや、エドムント・ナウマンの弟子で東京大学の和田維四郎の著書などを参考に決めたという。ただし、日本の国石としての水晶はほとんど認識されておらず、定着もしていなかった。 クンツの記述から約100年を経て、日本鉱物科学会は学会の一般社団法人化事業の一環として国石選定事業を行い、2016年(平成28年)9月24日に「ヒスイ(ヒスイ輝石およびヒスイ輝石岩)を選定した。これに先立って同年5月10日、地質の日に合わせて日本地質学会が各都道府県の象徴として「県の石」を発表していた。これを受けて宮島が国立科学博物館の宮脇律郎に国石選定について話を持ち掛けたところ、宮脇が学会の一般社団法人化事業として行うように働きかけて実現に至った。 選定の手順は、まずワーキンググループによる国石の条件に関する議論を行い、選定に必須な2つの項目を設定した。次いで必須ではないが望ましいものとして、3つの項目を決めた。 ワーキンググループが設定した必須な2つの項目と望ましい3つの項目は、以下のとおりである。 日本で広く知られている国産の美しい石であること。(必須) 鉱物科学や地球科学の分野はもちろん、他の分野でも世界的な重要性を持つこと。(必須) 長い時間、広い範囲にわたって日本人の生活に関わり、利用されていること。(望ましい) その石の産出が現在まで継続し、野外で観察できること。(望ましい) 野外での見学が、法律による保護などによって持続可能であること。(望ましい) ワーキンググループは次に選定方法について議論を行い、4段階のプロセスを決めた。 ワーキンググループが叩き台として、国石の条件を揃えていると思われる石を10種類程度1次候補として挙げる。 1次候補の情報を日本鉱物科学会のウェブサイトに掲載し、学会の中にとどまらず一般からも国石候補の推薦(公募候補)を含むパブリックコメントを募集する。 1次候補と公募候補についてワーキンググループが討論し、最終候補として5候補を選抜する。 学会の年次総会で、5候補から会員の投票によって国石を決める。 選定について一般にも門戸を開いたのは、できるだけ多数の人々の関心を集め、国石候補にその意見を取り込む目的があった。そして最後は会員による投票で決めることとなった。まずワーキンググループは1次候補として、花崗岩、輝安鉱、玄武岩、讃岐石、桜石、黒曜石、自然金、水晶、トパーズ、ヒスイ、無人岩の11種を選んだ。次いで一般からの公募候補には、大谷石、赤間石、安山岩、かんらん岩、絹雲母、黒鉱、結晶片岩、琥珀、さざれ石、硯石、石灰岩の11種が選ばれた。ワーキンググループはこれら22候補の中から最終候補として、花崗岩、輝安鉱、自然金、水晶、ヒスイを選んだ。これらの候補は、国石の条件1から5の各項目について詳細に検討された。 投票は2016年(平成28年)9月24日、日本鉱物科学会の総会で実施された。学会員がそれぞれ無記名で投票し、有効投票数の過半数を得たものを国石に選ぶが、1回目で過半数の得票を得た候補が存在しない場合は、上位2候補による決選投票を実施することになった。 第1回目の投票では、ヒスイ48票、水晶35票、輝安鉱23票、自然金10票、花崗岩8票という結果であった。上位2候補による決選投票では、ヒスイ71票、水晶52票となり、ヒスイ(ヒスイ輝石およびヒスイ輝石岩)が国石に選ばれることになった。 糸魚川ユネスコ世界ジオパークではヒスイの国石選定を受けて、缶バッジやポスターなどのグッズを作成してそのPRに努めた。フォッサマグナミュージアムでも、国石となったヒスイをさまざまな面から扱った書籍『国石 翡翠』を2018年に発行している。
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